1966年、実態のない夫婦生活を送っていたという最初の夫と離婚すると、1973年には、電化製品販売会社を経営する男性と再婚した、湯川れい子(ゆかわ れいこ)さんは、子供にも恵まれ、幸せな日々を送っていたそうですが・・・

突然、夫に借金30億円に加え、不倫されて子供まで作られ、置き手紙をして家を出て行かれたといいます。

今回は、湯川れい子さんの再婚相手(2番目の夫)が家を出ていくまでの経緯とその後の関係についてご紹介します。

湯川れい子と元夫の田村駿禮

「湯川れい子の再婚相手(2番目の夫)との馴れ初めは?エルビスプレスリーが結婚の証人だった!」からの続き

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湯川れい子は2番目の夫と再婚後は幸せな日々を送っていた

世界的なスーパースターのエルビス・プレスリーさんに、結婚証明書に証人としてサインをしてもらい、田村駿禮さんと再婚した湯川れい子さんは、

40歳の時には、念願だった子供(男の子)も授かり、子供をおんぶしながら仕事を再開するなど、公私ともに幸せな日々を送っていたそうですが・・・

湯川れい子と息子
息子さんをおんぶしながら仕事に励む湯川れい子さん。

湯川れい子は再婚相手(2番目の夫)に借金30億円を作られたうえ不倫され子供まで作られて家出されていた

幸せな日々は長くは続かなかったといいます。

というのも、田村駿禮さんは投資のために土地を担保にして銀行からお金を借りていたそうですが、バブルが崩壊したことで、1週間ほどで6億円もの負債を抱えてしまったそうで(借金総額は30億円)、

湯川れい子さんが終の棲家として田村駿禮さんと一緒に建てた家も抵当に入っていて、突然、競売にかけられたのだそうです。

しかも、田村駿禮さんは、手紙(A4で10枚)を残して家を出ていったそうで、

その手紙には、

信じられないことを今日は語る。君との人生で初めて、オレはただ頭を下げて、この先のことのすべてを君の理解と判断と助けと、さらに協力に委ねる。長いあいだイニシアチブを取っていたオレはもうこの家にはいない

色々な非常事態が起こっている最中、よりによってこういうタイミングで全てが同時に起こった

人生で最大のお詫びであり、心のからのお願いであり、助けと協力を求めた内容でもある

子供をつくってしまったーーー

などと、書かれていたそうで、

湯川れい子さんが幸せな結婚生活を送っていると思っていた間に、田村駿禮さんは、不倫をし、子供まで作っていたのでした。

それでも、湯川れい子さんは、

住んでいる家は競売にかけられるし、“助けてください”と言われてもあり得ないような家庭の崩壊だったので、それはもうショックでした。

ちょうどバブルがはじけて、凄い真面目な人だったんです、結婚した人が。(田村駿禮さんのこと)

喘息を持っていて、小児喘息が治らないままで、タバコも吸えず、お酒も飲めずっていう人で、本当に真面目な人だったので、まさか、まさかと思うようなことがバブルがはじけたことで起きたんじゃないかなと

などと、語っています。

(ちなみに、田村駿禮さんは、その後、(置き手紙で書いていた)双子の子供が生まれたそうで、その後、不倫相手と結婚し、次の子供も生まれたそうですが、結局はうまくいかず、離婚したそうです)

湯川れい子は再婚相手(2番目の夫)と一時は絶縁するも再び交流していた

田村駿禮さんが家を出て行って以来、湯川れい子さんは、田村駿禮さんとは絶縁状態にあったそうですが、

時が過ぎ(いつ頃かは不明ですが)、久しぶりに会うと、婚姻中は神経質で口やかましかったという田村駿禮さんが、随分、変わっていたそうで、

湯川れい子さんは、

苦労したんだろうな

と、思ったそうですが、

息子さんが、自分と母親を捨てた父親のことが全く受け付けられず、この時は交流再開とはならなかったそうです。

ただ、息子さんに子供(湯川れい子さん・田村駿禮さんにとっての初孫)ができたことがきっかけで、再び交流が始まると、湯川れい子さんにとって、田村駿禮さんは親友のような存在になっていったのだそうです。

湯川れい子の再婚相手(2番目の夫)はコロナ治療のための入院中に急逝していた

そんな中、2023年、田村駿禮さんは、コロナウィルスに感染し、治療のために入院することになったそうですが、入院中、急逝したそうで、

湯川れい子さんは、予想だにしていなかった出来事に、自分でも信じられないほど落ち込んでしまったそうです。

また、田村駿禮さんの他界後、息子さんと共に相続の手続きに奔走する中、体調を崩し、2024年1月には、心労から3週間、入院したのだそうです。

(退院後はお元気にされているようです)

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湯川れい子の息子はキョードー東京の取締役・田村有宏貴

ちなみに、湯川れい子さんと2番目の夫・田村駿禮さんの間に誕生した息子さんは、「キョードー東京インターナショナル」代表取締役社長、「キョードー東京」取締役の、田村有宏貴(たむら ゆうき)さんで、

田村有宏貴さんは、2013年には、ポール・マッカートニーさんの来日公演を、2002年以来11年ぶりに実現させるほか、2017年にも実現させたそうです。

そんな田村有宏貴さんは、父親である田村駿禮さんが置き手紙をして家を出て行った時には、留学をしていたことから、そのことを知らず、後に知ると、多感な時期だったこともあり、父親を受け付けられなくなっていたそうですが、

徐々に関係を回復させ、自身の結婚式には、両親そろって出席してもらい、その後、子供が誕生したことがきっかけで、本格的に父親との交流も再開したそうです。

とはいえ、やはり、完全には父親を許せなかったようで、複雑な気持ちで父親を看取ったといいます。

「湯川れい子は長年病気(C型肝炎)も現在は完治?音楽療法で免疫力アップ?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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