1967年、21歳の時、「意地悪ばあさん」でテレビドラマデビューすると、その後は、舞台、映画、テレビドラマと幅広く活動していた、藤田みどり(ふじた みどり)さん。
そんな藤田みどりさんは、プライベートでは、俳優の岡田眞澄さんと結婚&離婚しているのですが、後に、岡田眞澄さんにひどい仕打ちを受けていたことが明らかとなり、大きな話題となりました。
今回は、藤田みどりさんの、元夫・岡田眞澄さんとの馴れ初め、離婚理由、離婚後についてご紹介します。
「【画像】藤田みどりの若い頃は?デビューから現在までの出演ドラマ映画まとめ!」からの続き
藤田みどりと岡田眞澄の馴れ初めは?
藤田みどりさんは、1972年、俳優の岡田眞澄さんと結婚しています。
藤田みどりさんと岡田眞澄さんがどのように知り合ったのか詳細は不明ですが、2人は、同じ「劇団欅」に所属していたことから、このことが縁で仲良くなったのかもしれません。
藤田みどりと元夫・岡田眞澄の離婚原因は?
結婚後、藤田みどりさんと岡田眞澄さんの間には、3人の子供が誕生するほか、1984年には、藤田みどりさんが「岡田眞澄家の手づくりケーキ」という書籍を出版するなど、幸せな日々を送っているかと思われたのですが・・・
入籍から23年目の1994年に離婚しています。
実は、岡田眞澄さんは、藤田みどりさんとの離婚の翌年の1995年、26歳年下の日本航空の客室乗務員と結婚しているのですが、なんと、8年に渡る不倫の末の結婚だったといいます。
(岡田眞澄さんは3度結婚しており、藤田みどりさんは2番目の妻でした)
藤田みどりは元夫・岡田眞澄に「映画を撮るため」と騙されて離婚していた
しかも、岡田眞澄さんは、藤田みどりさんとの離婚の際、その理由として、
(映画を撮るため)失敗したら借金を抱え、家族に迷惑がかかる。そうしないために、完全に縁を切ろう
と、言い、
さらには、
慰謝料も養育費もいっさい求めないでほしい
と、要求したそうで、
藤田みどりさんは、この要求に応じる約束を交わしたのだそうです。
しかし、蓋を開けると、これが全くの嘘で、実際は、客室乗務員と一緒になるための口実だったということを、1年後、岡田眞澄さんの結婚発表で知ったそうで、藤田みどりさんは、この時、ようやく騙されたと分かったのだそうです。
(しかも、岡田眞澄さんは、離婚後、夜寝静まった後に、藤田みどりさんの家に忍び込み、金庫からお金を持って行くこともあったそうで、子どもたちの学資保険や絵画なども少しずつ持ち出していたのだそうです)
藤田みどりは元夫・岡田眞澄と離婚後も「岡田」姓を名乗り続けていた
また、藤田みどりさんは、(岡田真澄さんの「映画を撮るための離婚」という言葉を信じ)離婚後も岡田姓を名乗っていたそうですが、
岡田眞澄さんは、藤田みどりさんや子供たちと縁を切るため、再婚相手の婿養子に入り、姓も、あっさりと再婚相手の「鑓田(やりた)」に変えていたそうで、
藤田みどりさんは、
私たちはもう岡田なんだから、この姓を守っていくしかない
と、子どもたちに言い聞かせたのだそうです。
(以降、当然のことながら、藤田みどりさんと3人の子供たちは、岡田眞澄さんと絶縁状態となったそうです)
「藤田みどりの子供(息子)は?長男は岡田眞善!三男の自殺原因は岡田眞澄だった?」に続く
1972年、俳優の岡田眞澄さんと結婚するも、入籍から23年目の1994年、岡田眞澄さんの「映画を撮るために離婚したい」という言葉を信じ、離婚に応じると、 翌年、岡田真澄さんが別の女性と再婚し、裏切られていたことを知ったと …