1966年、34歳の時、「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビューすると、いきなり、「第6回小説現代新人賞」を受賞し、翌年の1967年には、「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞も受賞した、五木寛之(いつき ひろゆき)さん。
そんな五木寛之さんは、その後も、「青年は荒野をめざす」「朱鷺の墓」「青春の門」などの作品を次々と発表すると、1999年には、「大河の一滴」が累計320万部を超える大ベストセラーとなっています。
今回は、五木寛之さんの、若い頃(作家デビュー)から現在までの代表作(書籍)や経歴を時系列でご紹介します。
「五木寛之の生い立ちは?幼少期は朝鮮!少年期から家計のため働いていた!」からの続き
五木寛之が20代後半頃は放送作家・作詞家として活動していた
五木寛之さんは、1957年、25歳の時、早稲田大学を除籍となると、その後は、様々な仕事をしつつ、業界紙「交通ジャーナル」の編集長も務めていたそうですが、
知人の音楽家・加藤磐郎さんの紹介で、三木トリローさんの主宰する三芸社でCMソングの作詞の仕事を始めると、やがて、CMソングの仕事が忙しくなったことから、「交通ジャーナル」は退職したそうです。
また、放送作家として、テレビやラジオ番組の構成を行う仕事をするほか、クラウンレコードの専属作詞家として、童謡や主題歌など約80曲を作詞したそうです。
五木寛之は33歳頃から本格的に小説の執筆を始めていた
また、五木寛之さんは、1965年、33歳の時、結婚すると、かねてより憧れていたという、ソビエト連邦や北欧などを奥さんと共に旅し、
(五木寛之さんは、早稲田大学時代、露文科でした)
帰国後は、マスコミから距離を置くため、奥さんの郷里である金沢に居を定め、小説の執筆に取り掛かったそうです。
五木寛之は34歳の時にデビュー作「さらばモスクワ愚連隊」が「第6回小説現代新人賞」を受賞
すると、1966年、34歳の時に発表した、ソ連の首都・モスクワで出会ったジャズ好きの少年をモデルにした小説「さらばモスクワ愚連隊」が、いきなり、「第6回小説現代新人賞」を受賞し、「第55回直木賞」の候補にもなったのでした。
ちなみに、この「さらばモスクワ愚連隊」は、堀川弘通監督により映画化されるなど、五木寛之さんの名を、一躍、世間に知らしめたのですが、
主人公の少年・ミーシャが非行少年として描かれていたことから、映画化に際し、駐日ソ連大使館から、
ソ連の否定的側面のみを拡大誇張して書かれた反ソ的作品
と、問題視されて強い圧力がかかり、
現地ロケが認められなかったほか、発表から20年以上経った1988年まで、五木寛之さんはソ連を再訪することができなかったといいます。
五木寛之は35歳の時に「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞
そんな五木寛之さんは、1967年、35歳の時には、「蒼ざめた馬を見よ」を発表すると、見事、この作品で「第56回直木賞」を受賞しています。
五木寛之は35歳の時に連載を開始した「風に吹かれて」がロングセラー
さらに、五木寛之さんは、同年(1967年)、「週刊読売」でエッセイ「風に吹かれて」の連載を開始しているのですが、
1994年に刊行されると、2001年までに単行本・文庫本の合計が460万部というロングセラーを記録しています。
また、「平凡パンチ」では、若いジャズ・トランペッターの冒険を描いた「青年は荒野をめざす」の連載を開始すると、タイトルと同名の曲を自身で作詞し、「ザ・フォーク・クルセダーズ」が歌ってヒットを記録しています。
五木寛之は36歳の時に「朱鷺の墓」が大きな反響を呼びテレビドラマ化や舞台化されていた
また、五木寛之さんは、1968年、36歳の時、「婦人公論」で、日露戦争下の城下町・金沢を舞台に、美貌の芸妓とロシア貴族出身の青年将校との恋の行方を描いた作品「朱鷺の墓」の連載を開始すると、
連載の途中から大きな反響を呼び、テレビドラマ化や舞台化されています。
(連載は、1968年3月号から途中休載を挟み、1976年5月号まで8年に及んでいます)
五木寛之は37歳の時に連載を開始した「青春の門」が吉川英治文学賞を受賞
そして、1969年、37歳の時には、「週刊現代」で、戦後、筑豊の地に生まれた少年の人生への旅立ちを壮大なスケールで描いた「青春の門」の連載を開始すると、
1976年には、「青春の門 筑豊篇」が吉川英治文学賞を受賞しています。
(この「青春の門」は1994年4月の第8部まで断続的に連載され、2017年には、23年ぶりに連載を再開しています)
五木寛之は39歳の時から休筆し、「泉鏡花文学賞」「泉鏡花記念金沢市民文学賞」を設立
そんな五木寛之さんは、1972年(39歳)から休筆しているのですが、
休筆期間中の1973年、40歳の時には、金沢市出身の文豪・泉鏡花にちなみ、「泉鏡花文学賞」「泉鏡花記念金沢市民文学賞」の設立に携わると、
以降、「泉鏡花文学賞」「泉鏡花記念金沢市民文学賞」の審査委員を務めています。
五木寛之は42歳の時に翻訳小説「かもめのジョナサン」が120万部を売り上げるベストセラーを記録
そして、1974年、42歳の時に、執筆活動を再開し、リチャード・バック原作の小説「かもめのジョナサン」の翻訳本を刊行すると、120万部を売り上げるベストセラーを記録しています。
(この「かもめのジョナサン」は、その後も、読み継がれ、2014年時点で270万部を超える大ベストセラーとなっています)
五木寛之は43歳の時に連載を開始したエッセイ「流されゆく日々」がギネス世界記録を更新中
また、五木寛之さんは、1975年、43歳の時、「日刊ゲンダイ」でエッセイ「流されゆく日々」の連載を開始しているのですが、
この連載は、2008年に、連載8000回を記録し、世界最長コラムとしてギネス世界記録に認定されると、2016年には、自己更新して連載10000回を達成し、その後2023年時点も続く長寿連載となっています。
五木寛之は49歳の時に弟の死により再び休筆し龍谷大学の聴講生として仏教と仏教史を学んでいた
ただ、1980年には、仕事を手伝ってくれていたという5歳年下の弟・松延邦之さんが、43歳という若さで他界したそうで、その心の痛手から、1981年には、再び執筆活動を休止。
休業中には、京都に移り住み、龍谷大学の聴講生となると、仏教と仏教史を学び、民衆仏教に思いを深めていったそうです。
(五木寛之さんは、法隆寺を見下ろすことのできる丘に弟さんの石碑を建て、そこに、母親の遺髪や父親の遺骨も納めたそうです)
五木寛之は66歳の時にエッセイ「大河の一滴」が累計320万部を超える大ヒット
そして、1987年~1992年には、トルコ、ソ連(ロシア)、東西ベルリン、ポーランド、ソ連崩壊後のロシアなど、世界各地を精力的に周っていたそうですが、
1999年、66歳の時、エッセイ「大河の一滴」を刊行すると、たちまちベストセラーに。
(それまで五木寛之さんを知らなかった世代にもその名を知らしめました)
さらに、2020年には、コロナ禍により、売り上げが再び急増し、累計320万部を超える大ヒットとなっています。
(単行本と文庫本合わせて、13回、34万部を増刷したそうです)
ちなみに、この「大河の一滴」は、朝鮮・平壌で敗戦を迎えた自身の経験や、究極のマイナス思考から出発したブッダや親鸞の教えを散りばめながら、
どんなに前向きに生きようとも、誰しもふとした折に、心が萎えることがある。だが本来、人間の一生とは、苦しみと絶望の連続である。そう〝覚悟〟するところからすべては開けるのだ
と、人生の向き合い方を説いているのですが、
時を経たコロナ禍で、不安と混迷の中、疲れた人々の心に強く響いたようです。
五木寛之の書籍(小説)一覧
それでは最後に、五木寛之さんのそのほかの書籍(小説)もご紹介しましょう。
- 1967年「海を見ていたジョニー」
- 1968年「幻の女」
- 1968年「裸の町」
- 1968年「男だけの世界」
- 1968年「恋歌」
- 1969年「ソフィアの秋」
- 1969年「内灘夫人」
- 1969年「デラシネの旗」
- 1969年「ヒットラーの遺産」※作品集
- 1969年「涙の河をふり返れ」※作品集
- 1970年「狼のブルース」
- 1970年「こがね虫たちの夜」※作品集
- 1970年「樹氷」
- 1970年「白夜物語」
- 1971年「四月の海賊たち」
- 1971年「にっぽん三銃士」※上・下
- 1971年「ユニコーンの旅」※作品集
- 1972年「わが憎しみのイカロス」
- 1972年「鳩を撃つ」
- 1973年「変奏曲」
- 1973年「夜のドンキホーテ」
- 1973年「にっぽん退屈党」
- 1975年「白夜草紙」
- 1976年「スペインの墓標」
- 1976年「戒厳令の夜」
- 1976年「凍河」
- 1977年「海峡物語」
- 1977年「遥かなるカミニト」
- 1978年「燃える秋」
- 1977年「日ノ影村の一族」
- 1977年「浅の川暮色」
- 1979年「風花のひと」
- 1979年「水中花」
- 1979年「四季・奈津子」
- 1979年「男と女のあいだには」
- 1980年「夜明けのタンゴ」
- 1981年「さかしまに」
- 1982年「鳥の歌」
- 1985年「風の王国」
- 1985年「冬のひまわり」
- 1985年「ヤヌスの首」
- 1985年「メルセデスの伝説」
- 1986年「旅の幻灯」※自伝小説
- 1986年「哀しみの女」
- 1986年「旅の終りに」
- 1986年「疾れ!逆ハンぐれん隊」
- 1987年「ガウディの夏」
- 1987年「朱夏の女たち」
- 1987年「大人の時間」
- 1988年「フランチェスカの鐘」
- 1988年「雨の日には車をみがいて」
- 1988年「奇妙な味の物語」
- 1989年「金沢望郷歌」
- 1990年「野火子の冒険」
- 1991年「ワルシャワの燕たち」
- 1992年「晴れた日には鏡をわすれて」
- 1992年「レッスン」
- 1993年「ステッセルのピアノ」
- 1995年「蓮如物語」
- 1996年「物語の森へ 全・中短篇ベストセレクション」
- 1998年「ハオハオ亭忘憂録」
- 2002年「サイレント・ラブ」
- 2010年「親鸞」※上・下
- 2012年「親鸞 激動篇」※上・下
- 2013年「怨歌の誕生」※短編集
- 2014年「親鸞 完結篇」※上・下
- 2015年「金沢あかり坂」
ほか、数多くの書籍を発表しています。
「五木寛之の妻との馴れ初めは?結婚後の夫婦仲は?子供は?」に続く
「風に吹かれて」「戒厳令の夜」「風の王国」「大河の一滴」「親鸞」(三部作)などの作品を次々と発表すると、1975年に「日刊ゲンダイ」で連載を開始したエッセイ「流されゆく日々」は、2008年、連載8000回の世界最長コラム …