1964年、32歳の時、小説「虚栄の市」で作家デビューして以来、数多くの作品を世に送り出してきた、小林信彦(こばやし のぶひこ)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。
今回は、小林信彦さんの、妻、子供(娘)についてご紹介します。
「【画像】小林信彦の若い頃は?現在までの代表作(小説)は?受賞歴は?」からの続き
小林信彦の妻は?
小林信彦さんは、1962年10月13日、元雑誌編集者(「映画ストーリー」)の仙石郁代さんという方と結婚しているそうで、
小林信彦さんの著書「小林信彦60年代日記: 1959-1970 」には、
葉山での終戦記念日。とくに感想なし。落ちつける家がほしい。
オリンピックなる国家的行事が不快なので、数日、大阪へ逃げることを考える。左門町は外苑に近いので、不快なことがさらに多くなるはず(1964年8月15日)
オリンピックの前日。
夕方5時、妻と、逃げるように東京駅発。8時34分、京都駅着(1964年10月9日)
(1965年7月30日には江戸川乱歩邸で江戸川乱歩氏の密葬があり)山田風太郎氏に挨拶する。妻の実家の親戚にヘンな人がいるという噂があり、それが山田さんだったのだ。
「シンセキになるようですね」と私が言うと、山田氏、「どうも、そのようで・・・」
と、たびたび、奥さんが登場しています。
また、小林信彦さんは、「小林信彦60年代日記: 1959-1970 」で、1960年代に、
結婚し、娘も生まれて
と、綴っているほか、
作家としての苦悩の日々の中で、
私ひとりの思い込みで家族を不幸にする
との不安を綴っており、家庭への責任感や緊張感が伝わってきます。
ただ、小林信彦さんは、公の場でプライベートをほとんど明かしていないため、奥さんとどのように知り合い、いつ頃から交際して、どのような経緯で結婚に至ったかは不明です。
小林信彦の子供(娘)は2人
小林信彦さんと奥さんの間には、女の子が2人誕生しているそうで、
長女は、1963年10月17日に誕生した真理さん、次女は、1972年4月14日に誕生した由紀さんで、由紀さんは、編集者として出版社に勤務しているそうです。
小林信彦は著書「生還」の中で妻と娘について綴っていた
ちなみに、小林信彦さんは、脳梗塞を起こした体験を綴った著書「生還」の中で、
奥さんと娘さんについて、
(小林信彦さんが脳梗塞を起こし眠っていた1週間)ここで、現実にどうであったか、何がおこっていたかの証言を入れる。
次女が記していたことである。私の家はまず、〈編集者一家〉といってもよいので、 私が小雑誌(今はなき「ヒッチコック・マガジン」)の編集長、妻が今はなき「映画ストーリー」の編集者、そして次女は文藝春秋とは関係がない某出版社の編集者である。
家族4人のうち3人が編集者、まさに偏執(へんしゅう)者一族といってもいいもので、なにかというと、メモを残すくせがこのたびは良い方に働いたか。
と、綴っています。
さて、いかがでしたでしょうか。
小林信彦さんの、
- 小林信彦の生い立ちは?幼少期は裕福も戦争後は没落し苦労していた!
- 小林信彦のプロフィール
- 小林信彦が幼い頃は裕福で芝居や映画に親しみながら育っていた
- 小林信彦は小学3年生の時に太平洋戦争が始まり実家が没落していた
- 小林信彦は19歳の時に父親が他界していた
- 小林信彦は23歳の時に「有馬晴夫」名義で短篇「白い歯車」を発表
- 小林信彦は大学卒業後はことごとく就職活動に失敗していた
- 小林信彦は23歳の時に米兵向けの貸家会社に勤務するも25歳の時に解雇されていた
- 小林信彦は25歳の時に先が見えず自殺を考えるほど追い詰められていた
- 【画像】小林信彦の若い頃は?現在までの代表作(小説)は?受賞歴は?
- 小林信彦は25歳の時に江戸川乱歩の推薦でミステリ雑誌「ヒッチコック・マガジン」の編集長に抜擢されていた
- 小林信彦は26歳の時に短編「消えた動機」で商業誌デビュー
- 小林信彦は31歳の時に「宝石社」を解雇されていた
- 小林信彦は32歳の時に長編小説「虚栄の市」で作家デビュー
- 小林信彦は38歳頃テレビやバラエティ番組制作に携わっていた
- 小林信彦は74歳の時には著書「うらなり」で菊池寛賞を受賞
- 小林信彦は84歳の時に脳梗塞になっていた
- 小林信彦の著書(小説)
- 小林信彦の受賞歴(候補も含む)
- 小林信彦の妻は?子供は娘が2人!妻と次女は編集者!
- 小林信彦の妻は?
- 小林信彦の子供(娘)は2人
- 小林信彦は著書「生還」の中で妻と娘について綴っていた
に、ついてご紹介しました。
戦後の混乱期に雑誌編集者としてキャリアをスタートすると、やがて、作家・評論家として多方面で才能を発揮し、ユーモア小説から映画・テレビ評論、そして昭和という時代そのものを活写したエッセイに至るまで、多くの読者を魅了し続けてきた小林信彦さん。
そんな小林信彦さんは、年齢を重ねた今もなお、時代を見つめる鋭いまなざしと軽妙な筆致で作品を世に送り出しており、「書くことをやめる理由が見つからない」と語るその姿勢には、今後も目が離せません!
江戸時代から続いていた老舗和菓子屋の長男として誕生すると、幼い頃は、モダンなお父さんの影響で、芝居や映画に触れながら育つも、小学校3年生の時には、東京大空襲で生家が焼失したうえ、戦後には、お父さんが結核で他界してしまい、 …