作曲家として、「喝采」「わたしの青い鳥」「心のこり」「北酒場」など、数々のヒット曲を世に送り出した、中村泰士(なかむら たいじ)さん。
そんな中村泰士さんは、プライベートでは、結婚を2度、離婚を1度しています。
今回は、中村泰士さんの、元妻(最初の妻)、再婚相手(2番目の妻)の星ますみさん、子供(息子と娘)について、ご紹介します。
「中村泰士が佐川満男に作詞作曲した「今は幸せかい」は実体験だった!」からの続き
中村泰士の前妻(最初の妻)は?
中村泰士さんは、若い頃、最初の奥さんと、結婚し、離婚しているようですが、
中村泰士さんは、プライベートをほとんど明かしていないため、どのように知り合い、いつ頃から交際して、どのような経緯で結婚&離婚に至ったかは不明です。
中村泰士の再婚相手(2番目の妻)は星ますみ
その後、中村泰士さんは、1992年、53歳の時、モデルで歌手の星ますみさんと再婚しています。
中村泰士さんは、星ますみさんに、楽曲「とまどい」を提供したことがきっかけで知り合い、交際、結婚に至ったそうで、当時、”17歳の年の差婚”として話題になりました。
「とまどい」
星ますみは中村泰士の提供曲「とまどい」で再デビューしていた
ちなみに、星ますみさんは、1956年5月31日に茨城県水戸市で誕生すると、高校2年生の時に新宿でスカウトされたことがきっかけで芸能界入りし、以降、ファッションモデルやCMモデルを務めていたそうですが、
1976年、21歳の時に、「渚通りのディスコハウス」で歌手デビューすると、その後、「星ますみ」⇒「岡田由美」⇒「岡田ますみ」(1983年)と改名し、中村泰士さんが提供した「とまどい」で、歌手として再デビューしたのだそうです。
中村泰士の妻・星ますみは「有限会社 ドット・エムズエム」の代表取締役
星ますみさんは、その後、2006年には、美容用品のプロデュースや販売を手掛ける会社「有限会社 ドット・エムズエム」を立ち上げ、代表取締役を務めているのですが、
実は、1995年5月の誕生日にステージ3の乳ガンが見つかり、右乳房を全摘出する手術を受けていたそうで、幸い、手術は無事に成功するも、以降、5年に渡り、ホルモン療法を続けた結果、自律神経に異常をきたし、様々な後遺症に悩まされるようになっていたそうで、
それを乗り越える過程で、スローエイジングの構想を思いつき、「有限会社 ドット・エムズエム」を立ち上げるに至ったのだそうです。
2014年時点での星ますみさん。
ちなみに、星ますみさんは、中村泰士さんとの生活について、
話す時はいつもすでに決まってから(*1)。ワタシはあまり驚きませんでした。水戸と大阪を行ったり来たりする生活にも何も文句はいいませんし、とっても理解がある主人です(*2)
と、語っています。
(*1)中村泰士さんは、1995年に奈良県知事選、1996年に衆院選に立候補しています。
(*2)星ますみさんは、2014年頃には、お母さんの介護のため、地元・茨城県水戸市と会社のある大阪を行ったり来たりしていたそうです。
中村泰士の子供(息子と娘)は3人
中村泰士さんは、前妻との間に、子供が3人(息子と娘)がいるそうで、
2011年、夕刊フジの「ZAKZAK」のインタビューでは、
「自分でもイヤになるくらい元気なんや。好きなことしかしてへんからかな?」。成人した3人の息子や娘らとたまに会うたび、あまりの元気さに「ええ加減にせえよ」とあきれられるという。
と、ありました。
ちなみに、息子さんや娘さんについては、ほとんど明かしていないため、芸能関係者ではないようです。
(星ますみさんとの間には、子供はいないそうです)
1957年、18歳の時に、「美川鯛二」名義で歌手デビューするも、1968年、佐川満男さんの「今は幸せかい」を作曲したことをきっかけに作曲家に転身すると、 以降、ザ・ピーナッツの「大阪の女」、ちあきなおみさんの「喝采」、桜 …