1985年に小泉今日子さんに楽曲を提供して以降、田原俊彦さん、荻野目洋子さん、光GENJI、浅香唯さんらに提供した楽曲が次々とヒットし、売れっ子作曲家としての地位を確立した、井上ヨシマサ(いのうえ よしまさ)さんですが、
そんな井上ヨシマサさんは、6歳でクラシックピアノを習い始めると、小4でジャズも始め、ビックバンドに加入してカバー曲を演奏するようになると、中学1年生の時には、シンセサイザーを中心とするテクノポップバンド「コスミック・インベンション」に加入していたといいます。
今回は、井上ヨシマサさんの幼少期(生い立ち)から「コスミック・インベンション」に加入するまでをご紹介します。
井上ヨシマサのプロフィール
井上ヨシマサさんは、1966年7月18日生まれ、
東京都の出身、
本名は、「井上能征」(読み方同じ)です。
井上ヨシマサはハーフ?
井上ヨシマサさんは、彫りの深い顔立ちからか、「ハーフ」との噂がありますが、
井上ヨシマサさん本人は「ハーフ」とは明言しておらず、真偽は不明です。
井上ヨシマサは6歳の時にクラシックピアノを習い始めていた
井上ヨシマサさんは、4人兄弟の三男として誕生すると、お母さんの教育方針で、6歳の時に楽器を習うことになり、楽器を持ち運ばなくてもいい(譜面だけ持ち運べばいい)と言う理由からクラシックピアノを選択したそうです。
(お母さんは日本人としては最初期の頃のキャビンアテンダントだったそうで、退職後は、英語塾を開くなど、独立心の強い女性だったそうで、子どもたちには、勉強が出来なかったり学校を辞めたりしても食いっぱぐれないよう、音楽でもやらせておこうと考え、楽器を習わせたのだそうです)
ただ、当時は、まだ、「男の子がピアノをやっている」とからかわれた時代だったことから、井上ヨシマサさんも、「男がピアノを弾く」ということが嫌で、友達にも隠していたそうですが、
やがて、作曲家の伝記を読んだり、クラシック以外の音楽を積極的に聴き始めるようになったそうで、
井上ヨシマサさんは、
ピアノは男が弾いても恥ずかしくないし、クラシックもいろんな音楽をやるための基礎として習うならいいかなと思うようになりました。
と、語っています。
井上ヨシマサは小学3年生の時にジャズを習い始めていた
そんな中、小学3年生の時に、テレビCMでサミー・デイヴィスJr.の音楽を聴き、お父さんに何の音楽か尋ねたところ、ジャズだと教えてもらったそうで、
井上ヨシマサさんの通っていた小学校には、当時としては珍しい、子供にジャズを教える指導者・駒形裕和氏がいたことから、
井上ヨシマサさんが、駒形裕和氏に、
僕にJAZZを教えてください
と、直訴すると、
駒形裕和氏は他の小学校に転勤することになっていたそうで、
井上ヨシマサさんが、
先生、僕どうしたらいいですか?
と、聞くと、
転勤先の西巣鴨小学校に来るよう言われたのだそうです。
井上ヨシマサは小学4年生の時にビックバンドに加入していた
こうして、井上ヨシマサさんは、小学4年生の時、駒形裕和氏に言われた通り、西巣鴨小学校に行くと、
西巣鴨小学校の子供たちに交ざってビックバンド「東京ニイニイゼミ・ポップス・オーケストラ」に加入し、カバー曲を演奏するようになったそうで、
井上ヨシマサさんは、
(ビッグバンドは)「スウィングガールズ」の元祖みたいなうまいバンドで。クラシックをやりつつ、毎日3~4時間バンドの練習をしてジャズの基礎を学びました。コードと元のメロディに自分なりのメロディを加えていくアドリブも覚えました。
と、語っています。
井上ヨシマサは中学1年生の時にテクノポップバンド「コスミック・インベンション」に加入していた
そんな井上ヨシマサさんは、1979年、中学1年生の時には、知り合った森岡みまさんに、テクノポップバンド「コスミック・インベンション」というシンセサイザーのバンドに誘われ、
ジャズもできるし、4~5人でビッグバンドの音が出せると聞いて、面白いなと思い加入すると、デパートの屋上などでジャズを弾いていたそうですが、
やがて、小中学生によって結成された「コスミック・インベンション」は、たちまち、評判になったのだそうです。
(森岡みまさんは、電子楽器メーカー「ヒルウッド/ファーストマン」の創業者・森岡一夫氏の娘で、「コスミック・インベンション」は、森岡一夫氏がシンセサイザーを宣伝するために、娘と同年代の少年少女を集めて結成したバンドだったそうです)
「井上ヨシマサの若い頃はYMOの前座にコスミックインベンションとして参加!」に続く
1981年3月5日、14歳にして、テクノポップバンド「コスミック・インベンション」のメンバーとして、「YAKIMOKI」でレコードデビューした、井上ヨシマサ(いのうえ よしまさ)さんですが、 デビュー前は、ジャズのスタン …