1980年代、アイドルに数多くの曲を提供しヒットさせた、筒美京平(つつみ きょうへい)さんですが、その中でも、特に、小泉今日子さんには、シングル・アルバムを合わせると、30曲以上もの曲を提供したといいます。
今回は、筒美京平さんが小泉今日子さんに提供した曲をご紹介するとともに、筒美京平さんが小泉今日子さんに多数の曲を提供した理由や、「なんてったってアイドル」の制作エピソードなどを、作詞家の秋元康さんや小泉今日子さんのコメントを交えてご紹介します。
「筒美京平が松田聖子と中森明菜に曲を提供しなかった理由とは?」からの続き
筒美京平は小泉今日子に30曲以上提供していた
筒美京平さんは、1983年、小泉今日子さんの5枚目のシングル「まっ赤な女の子」(1983年5月リリース)で作曲を担当すると、
「まっ赤な女の子」
以降、「半分少女」「迷宮のアンドローラ」「ヤマトナデシコ七変化」「魔女」「なんてったってアイドル」ほか、1995年11月にリリースされたシングル「BEAUTIFUL GIRLS」まで、シングルA面だけで11曲、カップリングやアルバム曲も含めると30曲を超える楽曲を提供しており、
1980年代にデビューしたアイドルで、小泉今日子さんほど、筒美京平さんの作品を歌ったアイドルはほかにいません。
(1984年7月21日に発売された小泉今日子さんの5枚目のアルバム「Betty」は全曲筒美京平さんの作曲です)
筒美京平が小泉今日子に提供したシングル一覧
それでは、ここで、筒美京平さんが小泉今日子さんに提供したシングルをご紹介しましょう。
- 1983年5月5日「まっ赤な女の子」
- 1983年7月21日「半分少女」
- 1984年6月21日「迷宮のアンドローラ」
- 1984年6月21日「DUNK」(迷宮のアンドローラ」と両A面)
- 1984年9月21日「ヤマトナデシコ七変化」
- 1984年11月7日「ヤマトナデシコ七変化(Long Version) 」
- 1985年7月25日「魔女」
- 1985年11月21日「なんてったってアイドル」
- 1986年7月10日「夜明けのMEW」
- 1987年2月25日「水のルージュ」
- 1987年5月1日「水のルージュ(Dancing Mix) 」
- 1988年7月6日「夏のタイムマシーン」
- 1995年11月1日「BEAUTIFUL GIRLS」
と、どれも名曲揃いとなっています。
筒美京平が小泉今日子に多数の曲を提供した理由とは?
また、筒美京平さんは、当時、筒美京平さんに曲を書いてもらいたくて順番待ちしている歌手が多い中、小泉今日子さんには、「まっ赤な女の子」と「半分少女」を同時に渡したこともあったそうですが、
小泉今日子さんは、
私自身まだカラーが迷走してたから、逆に「何でもあり」だったんだと思うんです。
だから、たとえば他の歌手の人だったら「こういう戦略でこういうタイプの曲が欲しいんです」という発注になるところが、私の場合は「なんかおもしろいことやりましょう」みたいな感じだったのかな。
そうすると筒美さんはアレンジのこともすごく指示をされる方だったと聞いたことがあるので、「じゃあこういうことも試してみようか」みたいに思える自由さがもしかしたら私に書く曲にはあったのかなと思ったりします。
と、語っています。
筒美京平は「なんてったってアイドル」の歌詞をイントロ部分に持ってくるアイディアを出していた
そんな中、小泉今日子さんは、1985年11月には、自由で遊び心のあるシングル「なんてったってアイドル」をリリースしているのですが、
「なんてったってアイドル」の作詞を担当した秋元康さんによると、その頃はまだ、「アイドルは大人に操られたマリオネットだ」という、アイドルという存在が少しバカにされた見方があり、
小泉今日子さんならそれを払拭できるのではと思い、「なんてったってアイドル」というタイトルを思いついたそうで、
みんながアイドルを否定してる時代だから、アイドルを肯定する歌にしようというコンセプトなんです。
と、語っています。
「なんてったってアイドル」
とはいえ、この歌詞は、会社側からNGが出たそうで、
小泉今日子さんのディレクターの田村充義さんが、
このままの歌詞じゃないと、意味がない
と、押し切って、詞を持って筒美京平さんに曲を依頼したのだそうです。
すると、詞を読んだ筒美京平さんにも、
なに、これ
と、言われたそうですが、
田村さんが、
いやいや、そう言わずに。絶対ウケますから
と、なだめると、
結果、筒美京平さんは、すごくいい曲を書いてくれたそうで、秋元康さんも筒美京平さんに提示された曲のメロディと構成に驚き、
筒美京平おそるべしです。『こんなメロディがつくのか! 詞先でこれを作れるのはすごいな』と思いました。
「なんてったってアイドル」から歌詞が始まる構成は、京平さんのアイデアです。僕は普通にAメロの歌詞から書いていったんですけど、それを京平さんが曲の構成としてヴァースに持ってきた。
と、絶賛。
(イントロ部分の「なんてったってアイドル」と高らかに歌うアイディアは筒美京平さんによるものだったそうです)
小泉今日子さんも、
あれはすごいですよね。ヒットする曲って一音目から様子が違いますもんね(笑)。
と、語っています。
小泉今日子は筒美京平に捧げるトリビュートライブ「唄うコイズミさん 筒美京平リスペクト編」を開催していた
ちなみに、小泉今日子さんは、2020年3月21日、ソロライブ「唄うコイズミさん 筒美京平リスペクト編」を無観客配信で開催しているのですが、
前年2019年10月7日に他界された筒美京平さんへのトリビュートとして、小泉今日子さん自身が企画したものだったそうで、
小泉今日子さんは、このライブをしようと思った経緯について、
筒美さんがお亡くなりになったとき、いろんな新聞社やテレビ関係の方から「一言いただけませんか」という取材の依頼が来ました。
だけど、私と筒美さんのつながりって曲を通じてでしかなかったのに、それだけでその人を語ってしまうのがなんかイヤだなと思ったんですよ。
すごくたくさん私のシングル曲を書いていただいて、『Betty』(1984年7月)というアルバムのように一枚まるまる筒美さんの曲だったりするのもある。
しかも、筒美さんに初めて書いていただいた「まっ赤な女の子」(1983年5月)から、まさに私の転機が訪れた。そういうつながりはあるんですけど、当時の私はあまりにも子どもすぎて、ちゃんとお話をした記憶がなかった。
だから、筒美さんが書いてくださった曲を歌うことでしか語れないと思ったし、今回のライブでそれができたらいいのかなという感じです。
と、語っています。
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