「また逢う日まで」「木綿のハンカチーフ」など、世代を超えて親しまれる名曲を次々と生み出し、昭和の歌謡曲黄金期を支えた筒美京平(つつみ きょうへい)さんは、

特に、1980年代には、近藤真彦さん、松本伊代さん、早見優さん、河合奈保子さん、斉藤由貴さん、小泉今日子さんなど、数多くのアイドルに楽曲を提供し、ヒットに導いているのですが、

なぜか、1980年代のツートップ、松田聖子さんと中森明菜さんには曲を提供していません。

今回は、筒美京平さんが、松田聖子さんと中森明菜さんに楽曲を提供しなかった理由についてまとめてみました。

筒美京平

「筒美京平のサザエさんほかアニメソング作曲作品を時系列まとめ!」からの続き

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筒美京平が松田聖子に楽曲を1曲も提供しなかった理由は?

筒美京平が売れっ子だったため順番が回ってこなかった

松田聖子さんを発掘して育てたプロデューサー・若松宗雄さんによると、松田聖子さんのファーストアルバム「SQUALL」(1980年発売)の制作の際、筒美京平さんにもオファーしたそうですが、

その頃、筒美京平さんは、あまりにも売れっ子過ぎて、順番待ちが多く、結局、叶わなかったといいます。

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松田聖子側の郷ひろみに対する対抗意識

ただ、その後は、松田聖子さん側が筒美京平さんに楽曲の依頼をしなかったことが挙げられます。

そこで、松田聖子さん側が筒美京平さんに楽曲の依頼をしなかった理由ですが、

ミュージシャンの近田春夫さんによると、

松田聖子さんが在籍していた「CBS・ソニー」の社内的な事情があったからでは

とのことですが、

松田聖子さんを見出したプロデューサーの若松宗雄さんは、

郷ひろみさんを手がけていた酒井政利さんのチームへの対抗意識から、郷ひろみさんに曲を提供していた筒美京平さんを遠ざけていたのでは

と、語っています。

松田聖子側が松田聖子に歌謡曲的な要素がつくのを避けたかった

また、筒美京平さんとタッグを組んでヒット曲を連発した、作詞家の松本隆さんは、松田聖子さんのプロデューサー的な立場にいながら、筒美京平さんに曲作りを依頼しなかったそうで、

その理由について、近田春夫さんは、

1970年代の歌謡曲的な要素が松田聖子さんにつくことを避けたかったからでは

とも、語っています。

(松田聖子さんは、4枚目のシングル「チェリーブラッサム」の作曲をチューリップの財津和夫さんに依頼して以降、ニューミュージックやロックのシンガーソングライターに作曲を依頼するようになり、1971年にリリースした7枚目のシングル「風立ちぬ」は元「はっぴいえんど」の大瀧詠一さんが手掛け、大ヒットしています)


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筒美京平が中森明菜に楽曲を1曲も提供しなかった理由は?

次に、筒美京平さんが中森明菜さんに楽曲を1曲も提供しなかった理由ですが、

実は、デビュー当時、中森明菜さんは、あえて、メジャーな作曲家ではなく、若くて新鋭の作家陣を起用していたそうで、

その後も、井上陽水さん、玉置浩二さんといったニューミュージック畑のアーティストに作曲を依頼することが多く、筒美京平さんに作曲を依頼しなかったからだといいます。

(中森明菜さんのデビュー曲「スローモーション」の作詞・作曲は、当時新進気鋭だった来生えつこさん、来生たかおさん姉弟)

また、前述の近田春夫さんは、

中森明菜は後に、『歌姫』(1994年~)というシリーズをはじめとするカバーアルバムを多数リリースするんですが、昭和の歌謡曲をたくさん取り上げていながら、なぜか京平さんの楽曲は桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」だけ。筒美京平に対する思い入れはあまりなかったのかも。

とも、語っています。

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筒美京平は若い世代に寄り添い常に時代の最先端を走っていた

ちなみに、1980年代になると、ロックが流行った影響からか、アイドルの間にも、「自分は何で歌うのか」というような、アーティストとしての自覚が生まれるようになったそうで、

これまでのように、職業作家の先生たちからありがたく曲をいただく、というよりは、コラボレーションを行っているというふうに意識が変化していったそうです。

そんな中でも、筒美京平さんは、そこに誠実な形で歩み寄ったことから、1980年代以降も活躍できたのですが、すでに名を成した大家にとって、それは簡単なことではなく、筒美京平さんと同世代のほかの作曲家たちは、流行から次々と脱落していたったのでした。

(筒美京平さんは、若い人たちが興味を持つものに対して、強い好奇心を示し、常に、時代の最先端を走っていたそうです)

「筒美京平は小泉今日子に「なんてったってアイドル」ほか30曲以上提供していた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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