大学時代、小田和正さん、鈴木康博さんと共に、「The off Course(ジ・オフコース)」として活動し、ヤマハのコンテストにも出場したという、地主道夫(じぬし みちお)さんですが、
実は、地主道夫さんは、小田和正さんとは、中学時代からの友人で、中学時代にギターを始めると、小田和正さんの家でレコードを聴き、ポピュラー音楽を覚えたそうで、その後、活動を共にするも、大学在学中に「The off Course」を脱退し、音楽活動自体をやめてしまったといいます。
今回は、地主道夫さんの幼少期(生い立ち)からオフコースを脱退するまでをご紹介します。
地主道夫のプロフィール
地主道夫さんは、1948年生まれ、
神奈川県横浜市の出身、
学歴は、
聖光学院中学校・高等学校
⇒東北大学工学部金属加工学科卒業
⇒早稲田大学理工学部建築学科に編入(学士入学)・卒業
ちなみに、「地主道夫」は本名です。
地主道夫は中学1年生の時にクラシックギターを始めていた
地主道夫さんは、中学1年生の時にクラシックギターを始めると(本当はポピュラー音楽が好きだったそうですが)、
友人の小田和正さんの家に出入りし、小田和正さんのお兄さんがかけてくれたレコードを聴いて曲を覚えたそうです。
地主道夫は高校時代は小田和正、鈴木康博、須藤尊史と共にバンド活動をしていた
そんな地主道夫さんは、高校1年生の時には、8人編成のバンドを組み、学内のクリスマスパーティーで初めて人前で演奏すると、
高校2年生の時には、小田和正さんに誘われ、鈴木康博さん、須藤尊史さんと共に、「ブラザース・フォア」(1960年代に人気を博したアメリカのフォークソンググループ)などの曲を4~5曲練習したそうです。
(小田和正さんが、学園祭(「聖光祭」)で先輩たち4人が黒人霊歌(ゴスペル)をアカペラで歌っているのを見て、かっこいいと思い、来年あそこのステージに立つのは自分たちだと決意して、地主道夫さんたちを誘ったのだそうです)
地主道夫は高校3年生の時に学園祭のステージで大好評を博していた
そして、高校3年生の時には、学園祭「聖光祭」で、小田和正さん、鈴木康博さん、須藤尊史さんと共に4人でステージに立って演奏を披露すると、
観衆から大歓声が上がり、大好評を博したのだそうです。
地主道夫は東北大学進学後も小田和正と鈴木康博と共に音楽活動を続けていた
高校卒業後、地主道夫さんは、親元を離れ、東北大学の工学部に進学したそうですが、小田和正さんも一緒に同じ学部に進学したそうで、
鈴木康博さんとは、東京と仙台で離れ離れになったそうですが、鈴木康博さんが、仙台まで車に楽器を積んで行き来してくれたそうで、
(夏休みは、地主道夫さんと小田和正さんが、仙台から東京に帰り、集中して練習したそうです)
大学在学中も、小田和正さん、鈴木康博さんと3人で、横浜市磯子区の区役所の400人ぐらいの会場や、横浜市紅葉坂(桜木町)の青少年センターでコンサートを行うなど、音楽活動を続けたのだそうです。
(高校の学園祭で、小田和正さん、鈴木康博さんと共に一緒にステージに立った須藤尊史さんは、高校3年生の時に脱退したそうです)
地主道夫は21歳の時に「The off Course(ジ・オフコース)」としてヤマハのコンテストで全国2位になっていた
そして、1969年11月2日、大学4年生の時には、満を持して、「The off Course(ジ・オフコース)」として「第3回ヤマハライトミュージックコンテスト」に出場すると、
見事、東北予選で1位になり、全国大会に進出したのだそうです。
ただ、全国大会では、かなり自信があったそうですが、優勝は「赤い鳥」で、「The off Course(ジ・オフコース)」は2位に終わってしまったのだそうです。
地主道夫は22歳の時に「The off Course(ジ・オフコース)」として「群衆の中で」でデビューするも・・・
それでも、地主道夫さんは、「The off Course(ジ・オフコース)」として、1970年4月5日、22歳の時には、シングル「群衆の中で」でデビューを果たしたのですが・・・
「群衆の中で」
地主道夫は早稲田大学編入2年目に建築家になるため音楽活動をやめていた
地主道夫さんは、建築家になりたかったそうで、東北大学工学部金属加工学科を卒業後は、早稲田大学理工学部建築学科の3年に学士入学し、建築を学び始めていたそうで、
(学士入学とは、4年制大学を卒業or卒業見込みの人が、別の大学の学部3年次に編入する制度で、短期間で卒業できることがメリットですが、一般の入学試験よりも難易度が高いと言われています)
そんな中、1971年、早稲田大学に学士入学して2年目の時、「The off Course(ジ・オフコース)」を脱退して音楽活動をやめ、建築の道に集中することにしたのだそうです。
ちなみに、地主道夫さんは、
自分は建築をやりたかった。音楽では小田に勝てないと確信した
と、語っているのですが、
特に、早稲田大学の建築学科は難易度が高く、学士試験の難易度はもちろん、本来4年間で学ぶところを3年で卒業するそうで、地主道夫さんは、相当優秀だったようです。
「地主道夫の現在は建築家(設計事務所を経営)!若い頃は竹中工務店!」に続く
1970年4月5日、22歳の時、「The off Course(ジ・オフコース)」として、シングル「群衆の中で」でデビューするも、1971年には、「The off Course(ジ・オフコース)」を脱退し、音楽活動自体を …