1979年に「オフコース」の正式メンバーとなると、以降、1989年に解散するまで、ギターやコーラスで「オフコース」の活動を支え続けた、松尾一彦(まつお かずひこ)さん。

そんな松尾一彦さんは、5歳で作曲をするなど幼少期から音楽の才能を発揮すると、小学6年生の時には、ウクレレでベンチャーズやビートルズを弾くようになり、中学生の時には、3人編成のバンドを結成したそうで、

高校3年生の時には、別の高校に通う、同い年の大間ジローさんに熱心に誘われ、ロックバンド「ドナルドダック」を結成していたといいます。

今回は、松尾一彦さんの幼少期(生い立ち)からロックバンド「ドナルドダック」結成までをご紹介します。

松尾一彦

Sponsored Link

松尾一彦のプロフィール

松尾一彦さんは、1954年8月7日生まれ、
秋田県山本郡八森町(現・八峰町)の出身、

身長165センチ、

血液型はA型、

学歴は、
秋田県立能代高等学校卒業

(一旦、大学に進学するも、音楽活動に専念するため中退したそうで、公式では「高卒」と表記されています)

ちなみに、「松尾一彦」は本名で、「ザ・ジャネット」時代は「松尾ジュン」名義で活動していたそうです。

松尾一彦は小学6年生の時にウクレレでベンチャーズやビートルズを弾くようになっていた

松尾一彦さんは、5歳の時から作曲を始めるなど、幼い頃から音楽に目覚めていたそうで、

小学6年生の後半頃からは、ウクレレでベンチャーズやビートルズを弾くようになったそうです。

(ただ、この頃はまだ、レコードのジャケットを見てもビートルズのかっこよさが分からなかったそうです)

松尾一彦は中学生の時に3人編成(ギター、ベース、ドラム)のバンドを組んでいた

そんな松尾一彦さんは、中学生になると、ビートルズのジョン・レノンさんがかっこいいと思うようになったそうで、ビートルズへの憧れから、自身もバンドを組んだそうですが、

好きな人たち(ビートルズ)はとっておきたい、という気持ちがあり、4人編成(ビートルズ)ではなく、仲の良かった友達と3人編成(ギター、ベース、ドラム)のバンドを組んだのだそうです。

(松尾一彦さんは、この3人で秋田を出たいと思っていたそうですが、そう考えていたのは、松尾一彦さんだけだったそうです)

松尾一彦は高校3年生の時に大間ジローに熱心に誘われてロックバンド「ドナルドダック」を結成

その後の詳しい経緯は不明ですが、松尾一彦さんは、高校時代には、地元のバンドマン界隈では有名な存在となっていたそうで、

1973年1月、高校3年生の時、別の高校に通っていた、同い年の大間ジローさんに、

上京して『ロックンロールコンテスト(ロックンロール振興会主催)』に出場しよう

と、熱心に誘われると、

これを承諾し、大間ジローさんと共にロックバンド「ドナルドダック」を結成したそうです。

ちなみに、大舘在住のバンドマンだった陸川明彦さんが大間ジローさんに、

一緒に東京に出てプロになろう

と、バンド結成を持ちかけたことが始まりだったそうで、

この時、陸川明彦さんは、

ギターとボーカルは松尾一彦しかいない

とも、言ったそうですが、

大間ジローさんも、前年の1972年夏、松尾一彦さんのロックンロールを歌う姿を見て衝撃を受けていたそうで、陸川明彦さんと同じ思いを持っていたことから、

松尾一彦さんの通う秋田県立能代高等学校に直接電話を入れて熱心にバンド結成に誘ったのだそうです。

Sponsored Link

松尾一彦は高校3年生の時に「ロックンロールコンテスト」で準優勝

こうして、ロックバンド「ドナルドダック」を結成した松尾一彦さんたちは、早速、同年(1973年)3月に行われた「ロックンロールコンテスト」に出場すると、わずかな練習期間にもかかわらず、準優勝したそうですが・・・

その後は、あてのない練習の日々が続いたそうで、そんな中、方向性の違いから、「ドナルドダック」は、リーダーの陸川明彦さんが脱退すると、幾度かのオーディションを経て松尾一彦さんの高校時代の同級生だった大塚幸雄さんが加入したといいます。

「【画像】松尾一彦の若い頃は?オフコースの前はジャネット(ドナルドダック)!」に続く

お読みいただきありがとうございました

Sponsored Link