1979年8月に「オフコース」の正式メンバーとなると、以降、「さよなら」「Yes-No」「I LOVE YOU」「言葉にできない」「YES-YES-YES」ほかヒットを連発し、日本史上に残る日本武道館10日間コンサートも成功させるなど、一時代を築き上げた「オフコース」のドラマーとして活躍した、大間ジロー(おおま じろう)さん。
そんな大間ジローさんは、1989年、「オフコース」解散後は、東京で、ドラマー、音楽プロデューサーとして活動していたそうですが、1992年には、故郷・秋田県に移り住み、以降、東北を拠点に活動しているといいます。
今回は、大間ジローさんの、若い頃(オフコース時代)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。
「【画像】大間ジローの若い頃は?オフコースの前はジャネット(ドナルドダック)!」からの続き
大間ジローは21歳の時にオフコースのレコーディング(「ひとりで生きてゆければ」)に初参加
1975年12月にバンド「ザ・ジャネット」を解散した大間ジローさんは、その後、「ザ・ジャネット」のディレクターを担当していた武藤敏史さんに、
いいから、とにかくスティックだけ持って、来い
と、誘われ、
以降、「オフコース」のレコーディングやライブ演奏を手伝い始めるようになったといいます。
(大間ジローさんが、初めてレコーディングに参加したのは、1976年5月5日にリリースされたシングル「ひとりで生きてゆければ」だったそうです)
「ひとりで生きてゆければ」
大間ジローは25歳の時にオフコースの正式メンバーになっていた
こうして、「オフコース」のサポートメンバーとして活動するようになった大間ジローさんは、1979年8月1日には、「オフコース」の正式メンバーとなったそうで、
(1978年頃から、大間ジローさんのパワフルなドラムソロが「オフコース」のステージの名物の一つになっていたそうです)
そんな中、「オフコース」は、
- 1979年12月1日には、「さよなら」
- 1980年6月21日には、「Yes-No」
- 1981年6月21日には、「I LOVE YOU」
- 1982年12月1日には、「言葉にできない」
- 1982年6月10日には、「YES-YES-YES」
と、シングルをリリースすると、ヒットを連発。
1982年6月30日には、日本史上に残る日本武道館10日間コンサートを成功させるなど、「オフコース」は1980年代を代表するグループの一つとなったのでした。
「さよなら」
大間ジローは38歳の時に故郷・秋田県に移住していた
ただ、そんな「オフコース」も、1982年に「オフコース」の創設メンバーだった鈴木康博さんが脱退すると、その後は活動が減速し、1989年には解散。
その後、大間ジローさんは、ドラマーとして、さまざまなアーティストと共に演奏活動をするほか、音楽プロデューサーとしても活動していたそうですが、
1992年には、20年間暮らした東京を離れて、故郷・秋田県に移り住むと、秋田県をはじめとする東北地方の様々な音楽イベントに参加しているそうです。
(FM秋田「J”S SOUND BOX」のプロデュースとDJも担当しているそうです)
ちなみに、大間ジローさんは、秋田県に移り住む決意をした経緯について、
オフコースのシングル『さよなら』が大ヒットして念願の武道館公演も果たし、会館規模のコンサートを八百回以上も重ねたオフコースだったが、鈴木の脱退を契機に活動が減速。
一九八九年二月、東京ドームでの解散コンサートを最後に四人はそれぞれの道に分かれ、私は一人のドラマー大間ジローになった。
精魂を傾けてきたバンドが役目を終えた時、十八歳の時から根拠地としていた東京へのこだわりも感じなくなっていた。そして、思い出されてくる故郷のこと。
四年前に母が亡くなって以来「ふるさとが懐かしい」そんな望郷の念が強くなっていた。ドラマーとして、プロデューサーとして、それまでどおりの活動をしながら、生活はのどかな故郷で、そんな風に考える年齢でもあった。
妻も大館市生まれの秋田県出身である。一九九二年、二十年間暮らした東京を離れて家族とともに秋田市に移り住むことにした。
と、語っています。
大間ジローは45歳の時に清水仁と松尾一彦と「Acoustic Beatles Club(A.B.C.)」を結成
そんな大間ジローさんは、1999年には、自ら企画して、元「オフコース」の、清水仁さん、松尾一彦さんと共に「Acoustic Beatles Club(A.B.C.)」を結成すると、
- 2000年11月2日「ABC Vol.1 – A.B.C.」
- 2003年12月22日「ABC Vol.2 – A.B.C.」
- 2017年6月23日「ABC GREATEST HITS-A.B.C.」
と、3枚のアルバムをリリースし、
2023年現在も、「A.B.C.」名義でライブ活動を継続しています。
大間ジローは49歳の時にドラムと津軽三味線のユニット「Soul & Beat TEN-CHI-JIN (天地人)」を結成
また、大間ジローさんは、2003年には、岩手在住の津軽三味線の第一人者、HIRO KUROSAWA(黒澤博幸)さんと共に、ドラムと津軽三味線のユニット「Soul&Beat TEN-CHI-JIN(天地人)」を秋田県で結成すると、
東北を拠点にライブ活動を展開し、その後、アメリカ、スペイン、フランス、ドイツ、台湾など海外公演も行っているそうで、
2008年9月には、初のシングル「Human Being」もリリースしているそうです。
1979年8月1日、小田和正さん率いる「オフコース」に正式に加入すると、以降、ドラムスとして活動し、1989年の解散まで「オフコース」に在籍した、大間ジロー(おおま じろう)さん。 そんな大間ジローさんは、小学生で太鼓、 …