1970年、フォークグループ「オフコース」として「群衆の中で」でメジャーデビューすると、以来50年以上に渡りミュージシャンとして活動している、小田和正(おだ かずまさ)さんですが、幼少期は、近所のパチンコ屋から流れてくる歌謡曲を聴きながら育ったといいます。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

小田さんは、1947年9月20日生まれ、
神奈川県横浜市金沢区の出身、

身長172センチ、

血液型はA型、

学歴は、
関東学院六浦小学校
⇒横浜市立八景小学校
⇒聖光学院中学・高校(中高一貫教育)
⇒東北大学工学部建築学科
⇒早稲田大学大学院理工学研究科修了

趣味は、映画鑑賞、ゴルフ
特技は、絵画、

ちなみに、小田和正は本名です。

幼少期は近所のパチンコ屋から流れてくる歌謡曲を聴きながら育った

小田さんは、「金沢文庫すずらん通り商店街」にある「小田薬局」を経営する両親のもと、2人兄弟の次男として誕生すると、

幼い頃から、家の周りにたくさんあったパチンコ屋から流れてくる、三橋美智也さんの「達者でナ」や、美空ひばりさん、島倉千代子さんらが歌う歌謡曲を聴きながら育ったそうで、

(そのため、当時、ヒットした歌謡曲は全部聴いて知っているそうです)


「達者でナ」(タップでyoutube)

一日の終りに、大津美子さんが歌う「ここに幸あり」という曲が流れた後、「蛍の光」がかかるのを、毎晩、子守唄代わりにして寝ていたそうです。

母親は小学校の唱歌や子守唄を真剣に歌っていた

ちなみに、お母さんは、歌謡曲ではなく、小学校の唱歌を好み、「朧月夜」や「故郷の廃家」(子守唄)などをよく歌っていたそうですが、

(お母さんは、子守唄を歌って聞かせるというのではなく、家事をしながら鼻歌まじりで歌っていたわけでもなく、かなり真剣に歌っていたそうです)

小田さんは、「故郷の廃家」は出だしが「幾年ふるさと 来てみれば~」で始まるいい歌ながら、「なんだかこの歌はちょっと暗いな」と思いながら聞いていたそうです。


「故郷の廃家」(タップでyoutube)

小学生の時は賛美歌・洋楽・映画音楽などジャンルを問わず何でも聴いていた

また、小田さんは、小学校がキリスト教系で、毎朝、賛美歌を歌わされていたそうですが、「いい歌だな」と思い、積極的に歌っていたそうです。

そして、ラジオから流れてくる、ニール・セガタの「おお!キャロル」やポール・アンカなどの洋楽、映画音楽なども好きで、当時、流行していたヒットパレード系の番組をラジオで聴くのが楽しく、ジャンルを問わず、音楽ならなんでも聴いていたそうです。


「おお!キャロル」(タップでyoutube)

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小学生の時から自分の伴奏で歌いたいと思うようになっていた

そんな小田さんは、小学生の時には、お兄さんがスタンダードジャズを聴くようになったことから、小田さんも横で聴いていると、「こういうのもいいな」と思ったそうで、お兄さんに内緒でレコードに合わせて歌ったりしていたそうですが、

やがて、レコードの歌に合わせて歌うことに満足できず、自分のための伴奏で歌ってみたいと思うようになったそうです。

すると、ある日、ギターにはコードというものがあり、コードを弾けば歌えるという話を誰かから聞き、同じ頃、アメリカのフォークソンググループ「PPM(ピーター・ポール&マリー)」の「パフ」という曲などを聴いて、これなら自分でもできるのではないかと思ったそうで、このことがきっかけとなり、自分でギターを弾き、自分の伴奏で歌うようになったのだそうです。

「小田和正は高3の学園祭で初ステージを踏むと大好評を博していた!」に続く


パフ/ PPM(ピーター・ポール&マリー)(タップでyoutube)

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