1979年8月に「オフコース」に正式に加入すると、同年12月には「さよなら」が大ヒットして、たちまちブレイクし、その後も、「Yes-No」「I LOVE YOU」「言葉にできない」「YES-YES-YES」が次々とヒットするなど、「オフコース」の最盛期を支えた、松尾一彦(まつお かずひこ)さん。
今回は、松尾一彦さんの若い頃(「オフコース」時代)から現在までの代表曲やシングル、アルバムほか経歴を時系列でご紹介します。
「【画像】松尾一彦の若い頃は?オフコースの前はジャネット(ドナルドダック)!」からの続き
松尾一彦は22歳の時オフコースのレコーディング(めぐる季節/ランナウェイ)に初参加
1975年12月、バンド「ザ・ジャネット」を解散した松尾一彦さんは、その後、「ザ・ジャネット」のプロデューサーだった武藤敏史さんの紹介で東芝EMIの配送センターでアルバイトを始めたそうですが、
1976年には、「オフコース」の小田和正さんと鈴木康博さんと一緒に演奏できるメンバーを探していた武藤敏史さんに誘われ、オフコースのシングル「めぐる季節/ランナウェイ」(1976年10月5日発売)のレコーディングに参加したそうで、
松尾一彦さんは、その頃のことについて、
その後は曲を書いては東芝EMIへ持ち込んだりして。生活できないんでEMIのレコード配送センターを紹介してもらってバイトしてました。午前中はシングルだから軽いんだけど、午後からはアルバム中心で、これが重いんだ、アハハ
ハーモニカ1本持って遊びにきなよ、的なノリでしたね。それがアルバム『SONG IS LOVE』の“めぐる季節”
と、語っています。
「めぐる季節/ランナウェイ」
松尾一彦は22歳の時にオフコースのサポートメンバーになっていた
すると、松尾一彦さんは、そのまま、「オフコース」のサポートメンバーとして活動するようになったそうで、
同年10月23日には、中野サンプラザで開催された「第6回オフコース・リサイタル「秋ゆく街でIII」」で初めてファンにお披露目されると、アルバム「SONG IS LOVE」(1976年11月5日発売)のレコーディングにも参加しています。
ちなみに、松尾一彦さんは、この頃の「オフコース」について、
まだ全然ヒットが出なくて。ライブでは日増しにお客さんは増えているのにレコードは売れなかった。でも、音楽だけやっていればいい環境が幸せでしたね
と、語っています。
松尾一彦は24歳の時に「オフコース」の正式メンバーになっていた
そんな松尾一彦さんは、1979年8月1日には、「オフコース」の正式メンバーとなっているのですが、
同年(1979年)12月1日にリリースした「さよなら」が大ヒットを記録し、「オフコース」はデビュー10年目にしてついにブレイクを果たしたのでした。
(「オフコース」は、1972年から、小田和正さんと鈴木康博さんの2人体制で活動していたのですが、1976年に、松尾一彦さん、清水仁さん、大間ジローさんが加入したことで、キーボード、シンセサイザーを含むバンドサウンドとなったそうです)
松尾一彦は25歳~27歳の時に「オフコース」として「Yes-No」「I LOVE YOU」「言葉にできない」「YES-YES-YES」などが大ヒット
すると、これをきっかけに、「オフコース」は、
その後も、
- 1980年6月21日には、「Yes-No」
- 1981年6月21日には、「I LOVE YOU」
- 1982年12月1日には、「言葉にできない」
- 1982年6月10日には、「YES-YES-YES」
と、ヒットを連発するほか、
1982年6月30日には、後に伝説として語り継がれる日本武道館10日間コンサートも成功させるなど、1980年代を代表するバンドの一つとなったのでした。
「言葉にできない」
松尾一彦はオフコース解散後(36歳頃から)は吉田拓郎のアルバム制作&コンサートツアーに参加していた
ただ、そんな「オフコース」も、人気絶頂だった1982年に創設メンバーの鈴木康博さんが脱退すると、
(松尾一彦さんも、1986年7月2日には、シングル「普通のオフィスレディ」でソロデビューしています)
次第に活動が減速していき、1989年12月には解散。
その後、松尾一彦さんは、1990年には、吉田拓郎さんのアルバム制作やコンサートツアーに清水仁さんと共に参加するほか、
(ツアーは1992年まで、レコーディングは1996年まで参加)
1992年には、ソロ活動も本格的に再開しています。
「普通のオフィスレディ」
松尾一彦は斉藤和義、コルツなどのアルバムプロデュース、レコーディング、ライブにも参加
また、松尾一彦さんは、ソロ活動と並行し、1994年には、ボーカリストの福田康子さんとユニット「Everything She Wants」を結成して、アルバム「Everything She Wants I」(1994年3月24日発売)、シングル「秘密の出来事」(1994年3月24日)「少年たちのいた夏」(1994年8月24日)をリリースしているのですが、
そのほかにも、斉藤和義さん、コルツなど、他のミュージシャンの、アルバムのプロデュース、レコーディング、ライブにも参加しています。
松尾一彦は44歳の時に清水仁、大間ジローと共に「Acoustic Beatles Club(A.B.C.)」を結成
そんな松尾一彦さんは、1999年3月には、「オフコース」の元メンバーである、清水仁さん、大間ジローさんと共に「Acoustic Beatles Club(A.B.C.)」を結成すると、
当初はビートルズのカバー曲を中心に演奏していたそうですが、次第にオリジナル曲や「オフコース」時代の曲も演奏するようになったそうで、
- 2000年11月2日には、「ABC Vol.1-A.B.C.」
- 2003年12月22日には、「ABC Vol.2-A.B.C.」
- 2017年6月23日には、「ABC GREATEST HITS-A.B.C.」
と、アルバムも3枚リリースし、2023年現在も、「A.B.C.」名義でライブ活動を継続しています。
松尾一彦のシングル(ソロ)
それでは、最後に、松尾一彦さんの主な作品(ソロ)をご紹介しましょう。
シングルでは、
- 1986年「普通のオフィスレディ」
- 2007年「There’s No Shoulder」
- 2009年「星くず」
松尾一彦のアルバム(ソロ)
アルバムでは、
- 1986年「Wrapped Woman」
- 1990年「Breath」※ミニアルバム
- 1991年「Being There」
- 2000年「Untitled 23 Works 」
- 2003年「Yesterdays」
- 2010年「せつなくて」
- 2013年「忘れ得ぬ人」
- 2016年「Post Off Course 1990~2015 Selection」
- 2017年「MY HARP LIFE~Kazuhiko Matsuo Best Harmonica Works」
- 2017年「Chromatic Romantic~On Winter Night~」
- 2019年「君を待つ渚」
などを、リリースしています。
「松尾一彦の妻は?子供は娘!弟は松尾直樹!病気だった?」に続く
1989年、「オフコース」解散後は、他のミュージシャンへの、楽曲提供、プロデュース、ライブサポートなどに携わるかたわら、ソロ活動を本格化させるほか、自身のバンド「A.B.C.」としても精力的に活動している、松尾一彦(まつ …