「踊る大捜査線」シリーズをはじめとする、数多くのテレビドラマや映画で、渋い役どころを演じている、河西健司(かさい けんじ)さんですが、
40歳の時、舞台の稽古中に、右膝が曲がりにくく感じ、翌朝、みるみるうちに腫れてきたことから、病院に行くと、痛風と腰部脊柱管狭窄症であることが判明したといいます。
今回は、河西健司さんが痛風と腰部脊柱管狭窄症と診断されるまでの経緯、その原因、改善のために心がけていること、そして現在についてご紹介します。
「【画像】河西健司の若い頃は?デビューから現在までの出演映画TVドラマは?」からの続き
河西健司は40歳の時に痛風と診断されていた
河西健司さんは、40歳の時、舞台の稽古で膝を床について這ったりしていたそうですが、ある晩のこと、右膝に曲がりにくいような違和感を感じ、
強く打ち付けてはいないのに変だな?
と、思っていたところ、その翌朝、みるみるうちに腫れ上がり、激痛に襲われたそうで、
医療機関を受診すると、骨折はしていなかったことから、ウイルスが入り込んだ可能性があるとの見立てだったそうですが、
血液検査の結果、痛風と診断されたそうです。
(河西健司さんは、病院に行くにしても、ほとんど歩けなかったため、自転車にまたがって右足を浮かせ、左足だけを使って自転車をこいで、自宅近くの整形外科へ行ったのだそうです)
河西健司が痛風を発症したのはビールの飲み過ぎが原因だった
ちなみに、痛風といえば、一昔前は、高価な食事ばかりしているとなってしまう”贅沢病”と言われていましたが、
河西健司さんは、それほど高価な食事はしておらず、大食いでも肥満でもなかったうえ、一般的に痛風の痛む場所は足指の付け根と言われているところ、河西健司さんの場合は膝で、
しかも、河西健司さんの両親も4人の兄弟の中にも痛風を発症した人は誰もおらず、遺伝的な要素もなかったことから、痛風と診断された時はとても意外だったそうです。
ただ、医師によると、痛風は、贅沢な食事をしていなくても、プリン体を多く含む飲食物、つまり、ビールの飲み過ぎでもなるとのことで、河西健司さんは、ビールが大好きだったことから、納得がいったのだそうです。
(若い頃は、仕事が終わると、ビールをジョッキで5、6杯は飲み、さらに、枝豆、モツ、塩辛といった、プリン体を多く含むおつまみも大好きだったそうです)
河西健司は抗生剤と痛み止めで一時は痛風の症状が治まっていたが・・・
そんな河西健司さんは、抗生剤と痛み止めを処方され、症状は1週間ほどで治まったそうで、
その後、尿酸値を下げる薬による治療もできると医師に聞いたそうですが、この薬は、一度飲み始めると、ずっと飲み続けなければならない薬だと聞き、それでは不便なため、しばらくは様子を見ようということになったそうですが・・・
河西健司は46歳の時に左肘にも痛風の症状が出るようになっていた
2年おきぐらいに、左膝、次は右膝、と発作が出るようになったそうで、ズキン、ズキンと激しい痛みで眠れず、その度に、抗生剤と痛み止めでなんとかやり過ごしていたそうですが、
46歳の時、今度は左肘に発作が出たといいます。
河西健司は痛風を投薬治療(尿酸値を下げる薬)でコントロールしている
実は、この時、河西健司さんは、ちょうどNHK朝の連続テレビ小説「ひまわり」の撮影で福島県にいて、軽トラックを運転する役だったそうですが、
上腕から手首のあたりまで腫れて痛くて動かず、とても運転できる状態ではなかったそうで、ロケをやめるわけにもいかず、痛み止めの注射を打って何とか乗り切ったそうですが、
この先、仕事に支障を来たしたら・・・
と、思うと怖くなり、
ひどくなると関節が変形するほか、心筋梗塞を起こしたりするとも聞いて、その後、観念して尿酸値を下げる薬を飲むことにしたのだそうです。
すると、薬のお陰で症状が抑えられるようになったそうですが・・・
どうしても、ビールはやめられないそうで、
河西健司さんは、
薬のおかげで発作が抑えられているので、毎晩、ビールかハイボールをおいしくいただいています(笑)。
頭の隅っこに「ビールはあまりよくないんだよな」とありつつも、とくに暑い夏は欠かせません。だいぶん弱くなり、(現在は)グラス3杯ぐらいです。
たばこは30歳前後でやめましたが、ビールは「今日も一日無事に過ごせたな」とホッとしながら飲みたいのでやめられません。
などと、語っています。
(河西健司さんは、尿酸値を下げる飲み薬のほか、尿などをアルカリ化する飲み薬や、60歳後半からは、高血圧の治療薬(降圧剤)も飲んでいるそうです)
河西健司は40歳の時に腰部脊柱管狭窄症と診断されていた
また、河西健司さんは、痛風の症状が、一般的によく言われる足の指ではなく、右膝の激痛だったことから、最初は、病院でも痛風とは分からなかったそうで、
全身のMRIを撮ってもらったところ、4番目と5番目の椎間板が減ったり、ずれたり、変形したりして、脊柱管を通る神経に触れていることが判明し、腰部脊柱管狭窄症と診断されていたといいます。
河西健司は若い頃に青物市場で重い荷物を上げ下げするアルバイトを長い間していたせいで腰部脊柱管狭窄症になっていた
実は、河西健司さんは、若い頃、青物市場で、重いものを上げ下げするアルバイトを長い間していたそうで、何度かぎっくり腰になったこともあったそうですが、それが原因で、若い頃から腰のあたりの背骨が、少しずつずれていたといいます。
ただ、腰部脊柱管狭窄症と診断された時は、生活や仕事に支障が出るほどの症状はなく、寝起きに、背中や腰が固まって重いな、という程度だったといいます。
河西健司は73歳の時に右足の大腿骨と骨盤の間にある軟骨がすり減っていることが判明していた
そんな中、2022年12月、右の下半身、腰からお尻、太もも、かかとにかけて、しびれや痛みを感じるようになったそうで、
それでも、河西健司さんは、もともと、医者が嫌いだったことから、痛み止めのロキソニンを飲んでやり過ごしていたそうですが・・・
年が明けても、一向に良くならないばかりか、むしろ、ひどくなっていき、歩くのが辛く、夜も眠れなくなったそうで、
いよいよ、2023年3月、整形外科に行き、改めてMRIを撮ってもらうと、右足の大腿骨と骨盤の間でクッションの役割をしている軟骨もすり減ってなくなっており、それが痛みの原因であることが判明したそうで、
医師から、
痛みで10分以上歩けなくなったら外科手術を、それまでは痛み止めを飲んで様子を見ましょう
と、言われたのだそうです。
ただ、幸い、河西健司さんは、30分は歩けたことから、手術はせずに痛み止めの処方だけで済んだそうですが、
痛み止めは、本来、1日2錠までのところ、1日3錠飲んでもあまり効かず、さらには、薬の成分で、ふとした瞬間に、眠り込んでしまうことがあったそうで、
車を運転することもあり、これでは危ないと思い、半年で薬は飲むのをやめたそうです。
(薬をやめた後は、健康食品を飲んだりしていたそうです)
河西健司はなるべく立ってこまめに動くように心がけている
ただ、痛いからといって安静にして動かずにいると、筋肉が衰えてますます歩けなくなることから、痛み止めを飲みながらでも歩いた方がいい、と医師に助言され、
河西健司さんは、奥さんの実家が赤坂で居酒屋を経営していることから、毎日、自宅からお店まで30分くらいかけて歩くようにしているそうで、
お店までの道は、(本当は柔らかい土の上がいいそうですが)アスファルトの道路しかないため、柔らかい厚めのソールの靴を履いて、ゆっくりゆっくり骨に響かないように歩くように気をつけているのだそうです。
(時々、ズキーンと骨がこすれ合うような激痛があるそうで、この激痛があったら、立ち止まって休み、しばらくして治まったら、またゆっくりゆっくり歩き出す、ということを繰り返しているそうです)
また、じっとしていると全身が固くなることから、お店でも、あまり座らないようにしているそうで、お店の食材の仕入れ、掃除、洗い物、時々、お運びなど、なるべくこまめに立って、程よく動くように心がけているそうです。
そのほかにも、合間を見つけては、軽いストレッチ、スクワット30回、散歩の途中の公園で鉄棒につかまって背中や肩を伸ばすなど、1日何回と決めるのではなく、こまめに運動をするように心がけているのだそうです。
河西健司の現在は?
これらの運動の効果があったのか、現在は、眠れないほどの痛みは出なくなったそうで、
河西健司さんは、
痛みの本当の原因が腰部脊柱管狭窄症なのか股関節にあるのか、複合的なものかわかりませんが、要するに老化なんですよね。
私の場合、70歳前後から肩も痛くて上がらないとか、手指も硬くなるとか、あちこち不調が出ていました。全身の潤滑油が減って、柔軟性がなくなっているんですよ。
体は少しずつ衰えることで、緩やかに死の準備をしているのだと思うのです。それを止めることはできないし、外科手術は検査や入院も大変ですから、できるだけ避けたい。
だから無理のない範囲で現状維持に努める。その程度でいいんじゃないかと思っています。
と、語っています。
「河西健司は妻の実家の居酒屋に出勤中!子供は?高橋長英と兄弟?」に続く
ロックミュージカル劇団「ミスタースリムカンパニー」や自ら立ち上げた「コットンクラブプロデュース」など、舞台を中心に活動すると、その後、舞台活動のかたわら、数多くのテレビドラマや映画にも出演し、名バイプレイヤーの地位を確立 …