テレビのリポーターからミュージカル女優へと転身された、異色の経歴をお持ちの、女優で歌手の、新妻聖子(にいづま せいこ)さん。透明感あふれる歌声で、しっとりしたバラードから、パワフルなロック系、ジャズなど、幅広く歌いこなすことができます。


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タイのバンコクで過ごす

新妻さんは、
愛知県中島郡祖父江町(現在は稲沢市祖父江町)で生まれ、
そこで小学校5年生まで過ごされたそうです。

そして、小学校5年生の時、
お父さんの海外転勤のため、
ご家族でタイのバンコクに移り住まれたのでした。

カラオケ大好き少女

新妻さんは、幼い頃から、
お母さんの影響で、オペラのアリア集や、
「サウンド・オブ・ミュージック」のような、
映画音楽を繰り返し聴かれていたそうですが、

バンコクへ移り住まれた頃、
カラオケを知ったことで、
歌を歌うことが好きになられたそうです。

週末には、お父さんが、
家族をカラオケに連れて行ってくれ、
なんと、7時間も、家族で歌われていたのだとか!

新妻さんは、テレサ・テンさんや、
小林明子さんの大ヒット曲「恋におちてーFall in loveー」
などの懐メロを、好んで歌う少女だったそうです(^^)

My Heart Will Go Onで目覚める

そんな一見普通の少女だった新妻さんが、
歌手になりたいと思ったきっかけは、

当時、世界的大ヒットを記録した、
映画「タイタニック」の主題歌で、
セリーヌ・ディオンが歌う、
「My Heart Will Go On」」を聴かれたことでした。

このPVを見られた瞬間、
感動で心が揺さぶられ、号泣されてしまったのだとか!

それは、セリーヌ・ディオンのライブへ行きたい、
というファン目線ではなく、

ああ、セリーヌ・ディオンになりたい。

と思われ、歌手を目指されたのでした。

難航する歌手活動

新妻さんは、17歳のとき、バンコクから帰国され、
上智大学法学部国際関係法学科に入学後、
オーディションを受け始められたそうです。

歌手を目指しながらも、大学に入学されたのは、
まず、自分の居場所を作ってから、
と思われたからだそうです。

いわば、大学はもしもの時の、
保険のようなものだったのでしょう。

しかし、オーディションは17歳まで、
という年齢制限があるものがほとんどで、

なかなか、オーディションを受けることが、
できなかったそうです。

そんな折、ある音楽出版社の社長にスカウトされ、
その会社で、大掛かりなデモテープを、
2年かけて製作させてもらえるという機会に恵まれます。

しかし、音楽業界が、
ちょうど不況を迎えた時期と重なったこともあり、

肝心なレコード会社が決まらず、
最終的には、歌手デビューをあきらめるように、
言われてしまったのでした。

「王様のブランチ」でリポーターに

「ああ、もう歌手になれないんだ」

と落ち込んでおられた矢先、

事務所の社長さんが、

興味ないかもしれないけど、テレビをやってみないか。

と、言ってくれたのだそうです。

タレントのイメージが、自分の中にはなく、
テレビの世界は向いていないと思われていたようですが、

悩んだ末に、やってみようということになり、
2002年、バラエティ番組「王様のブランチ」の、
リポーターのオーディションを受けられ、
見事合格されています!

アナウンサー試験も合格

実は、新妻さんは、万が一、
歌手になれなかった場合を考えて、
就職活動も始められていたそうです。

そこで、企業の中でも、
一番募集が早かったアナウンサーの試験を受けられ、
最終面接まで進まれたのだそうです。

しかし、リポーターの仕事と、
アナウンサーの最終面接の時期が重なり、

新妻さんは、どちらにするか悩まれた末に、
就職はせず、リポーターを選ばれたのでした。

やはり、歌いたい、
ということが脳裏にあったようで、

アナウンサーになるよりは、
テレビのリポーターのほうが、
将来的に歌える可能性があるかもしれない、

と思われたのがその理由でした。

「レ・ミゼラブル」オーディションに合格

しかし、リポーターの仕事はとても難しく、
毎日のロケに必至だったそうです。

歌のことを考えている余裕はなく、
いつしか、歌のことは、
頭からどこかに飛んでいっていたとか。

そんな折、新妻さんに、
とてつもないチャンスが巡ってきます。

ミュージカル「レ・ミゼラブル」の、
オーディションの話が、
舞い込んできたというのです!

そして、2003年、
ミュージカル「レ・ミゼラブル」のオーディションを受けられ、

なんと、5000倍もの確率を勝ち抜き、
エポニーヌ役に大抜擢されたのです!

偶然からオーディションに参加

実は、新妻さんが、
「レ・ミゼラブル」のオーディションを受けられた経緯は、
すごい偶然が重なったことによるものでした。

大学時代、英語のクラスで、
生徒たちが順番に自分をプレゼンしていく、という授業で、

新妻さんの番が来た時、

“I love singing”(歌うのが好きです)

と言ったところ、
「何か歌ってみてよ」と言われたのだとか。

最初は断られていたのですが、
声だけ聴かせて、とみんなに言われてしまったため、

仕方なく、アリアの「ピエタ・シニョーレ」を、
ほんの、5秒くらい歌ったそうです。

それから2年後、そのクラスで、
新妻さんの歌声を聴いていた、先輩の女性が、

たまたま、「レ・ミゼラブル」の、
オーディションを担当されている方と、
知り合いになられたそうで、

エポニーヌ役で歌える子が全然見つからなくて困っている。
だれか歌がうまい子知らないか。

と相談されたというのです。

それで、その先輩の女性は、

そういえば2年前ぐらいに、大学の授業で歌を一瞬口ずさんだ子が、
とてもきれいな声をしていたけど、あの子何やっているんだろう。

と、新妻さんのことを思い出され、
調べてみると、テレビのリポーターをしていることが分かり、
オーディションに呼んでみようという話になったのだとか。

新妻さんはそのことを、後で知られたそうで、

あの授業で恥ずかしがって歌わなければ、
こうならなかったし、

歌っていたとしてもリポーターをやっていなければ、
連絡は取れなかったでしょう。

アナウンサーをやっていたら社員だし、
オーディションを受けられる立場にはなかったでしょう。

とその時のことを振り返っておられます。

すべての選択が、
新妻さんを歌うことへ導いていたのですね!

審査員を魅了した歌声

オーディションでは、
さぞや緊張されたことと思われましたが、

その逆で、審査員の方たちの前で歌える、
という喜びが湧いてきて、
堂々と「ふゎぁぁ」と歌うことができたのだとか!

そして、歌っている最中に、
すでに手応えを感じられていたそうです。

まさに、歌の神様が、
新妻さんの中に降りてきたのでしょう。

審査員の方たちが、
体を前に乗り出すように聴いておられたことがわかり、

新妻さんが歌い終わると

ちょっと待って、もうちょっと聴かせて。

となったのだそうです!

新妻さんの素晴らしい歌声に、
審査員の方達は、
完全に魅了されてしまったようですね♪

ミュージカル女優として

そして、新妻さんは、
「レ・ミゼラブル」がどんな話なのか、
エポニーヌ役がどの程度の役なのかも知らず、
オーディションを突破され、

あれよあれよと、右も左も分からないまま、
初舞台を踏まれたのだそうです♪

その後も、
2004年「ミス・サイゴン」
2005年「LOVE LETTERS」
2006年「忍者イリュージョンNARUTO」
2007年「THE LIGHT IN THE PIAZZA」
2008年「MIDSUMMER CAROL ガマ王子 vs ザリガニ魔人」
2009年「スペリング・ビー」

左から、高田聖子さん、藤井隆さん、新妻さん、梶原善さん。

2010年「プライド」
2011年「国民の映画」
2012年「Bitter days, Sweet night」
2013年「トゥモロー・モーニング」
2014年「CATCH ME IF YOU CAN」
2016年1月「DNA-SHARAKU」

「CATCH ME IF YOU CAN」より。(左から)菊地美香さん、新妻さん、
松岡充さん、福井晶一さん、今井清隆さん、彩吹真央さん。

などのミュージカルに出演され、

ミュージカル女優としてのキャリアを、
着実に積んでおられます。

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受賞作品

新妻さんは、評価も上々で、

2005年「21C:マドモアゼルモーツァルト」「サド侯爵夫人」で、
第31回菊田一夫演劇賞

2006年「マリー・アントワネット」
文化庁芸術際演劇部門新人賞

2010年「キャンディード」
ミュージカル誌女優部門第1位

2011年「GOLD -カミーユとロダン-」
再び、ミュージカル誌女優部門第1位

と、新妻さんが、歌だけではなく、
演技も磨かれていることが、とてもよく分かります。

さて、歌いたいという強い気持ちで、運を引き寄せられ、
歌手としての道を切り開かれた新妻さん。

近年は、テレビドラマにも出演されていて、
女優としての活躍も目覚ましいものがあります。

これからも、その素晴らしい歌声と演技で、
私達を魅了してほしいですね。
応援しています!!

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