数多くのテレビドラマや映画で、個性を消して役に憑依する名バイプレイヤーとして活躍している、光石研(みついし けん)さん。

そんな光石研さんは、幼い頃から、モノマネがうまく、クラスメイトを笑わせることが得意な少年だったそうですが、高校2年生(16歳)の時、友達に誘われて、映画「博多っ子純情」のエキストラのオーディションに参加すると、なんと、主役に抜擢されたといいます。

今回は、光石研さんの生い立ち(幼少期から高校卒業まで)をご紹介します。

光石研

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光石研のプロフィール

光石研さんは、1961年9月26日生まれ、
福岡県北九州市八幡西区黒崎の出身、

身長173センチ、
体重63キロ、

血液型はA型、

学歴は、
八幡市立黒崎小学校(現・北九州市立黒崎中央小学校)
⇒八幡市立黒崎中学校
⇒東海大学付属第五高等学校卒業

ちなみに、「光石研」は本名です。

光石研は幼い頃からモノマネや演技が上手だった

光石研さんは、幼い頃からモノマネがうまかったそうで、いつも、「北九州のおばちゃんのマネ」などと言って、クラスメイトを笑わせていたそうです。

また、中学3年生の文化祭の劇では、同級生の平尾隆志さんと2人で探偵の役をやったそうですが、それを見ていた国語の女性の先生からは、

光石君、あんた役者になりなさい

と、言われたといいます。

とはいえ、当時、光石研さんには、ほかにも好きなことや興味があることがたくさんあり、それを将来の夢にすることもなかったそうで、あと先を考えず、今この瞬間の感情や欲求に従って、毎日を過ごしていたそうです。

光石研は高校2年生(16歳)の時、映画「博多っ子純情」のエキストラのオーディションで主役に抜擢されていた

そんな中、光石研さんは、1978年、高校2年生(16歳)の時、友達に、博多で撮影される映画「博多っ子純情」のエキストラのオーディションに誘われたそうで、これに興味を持ち、オーディション参加を決めたそうですが、

あろうことか、オーディションの前日、ケンカを売られ、そのケンカを買う形で殴り合いになったそうで、光石研さんは、目の上を2~3針縫うケガを負ってしまったそうです。

そこで、翌日のオーディションには、絆創膏(ばんそうこう)を貼ってオーディション会場に行くと、審査員の人たちにケガの理由を聞かれたそうで、

正直にケンカの話をしたそうですが、今度は勝敗を聞かれたそうで、大負けしたと答えると、大人たちはおもしろがり、今度は、ケンカの再現をしてくれと言われたため、光石研さんが全力で再現すると、これが大ウケ。

結果、なんと、光石研さんは、映画「博多っ子純情」の主役に抜擢されたのだそうです。

また、撮影現場では、光石研さんがプロの役者の役をふざけてマネしていると、

曽根中生監督から、

お前のほうが上手いな

と、言われたそうで、

光石研さんは、

『受かったのはどいつだ』と先輩が教室に見に来て、オーディションの翌日から学校中で大騒ぎでした。

撮影は夏休みの前10日間と夏休みを合わせて40日間で収めたんですけど、お父さん役の小池朝雄さんをはじめ、大人たちとの撮影が新鮮でおもしろかった。セリフ覚えで苦労したという印象もなくて、ただただ楽しかったですね

と、語っています。

「博多っ子純情」
「博多っ子純情」より。

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光石研は高校卒業と同時に上京していた

そんな光石研さんは、この経験がとても刺激的だったことから、

映画業界で働きたい!

と思い、

高校卒業と同時に上京し、駅から歩いて10~15分ほどの場所にある、小田急沿線の千歳船橋に部屋を借りたそうで、

「博多っ子純情」でお世話になったプロデューサーに、俳優になるために上京した旨連絡すると、ちょうど撮影中だった映画「男はつらいよ」シリーズに、エキストラ(端役)として出演させてもらえることになり、

さらには、その映像を見た業界関係者から光石研さんの下宿先に連絡が入り、

今後俳優としてやっていくなら所属事務所が必要だ

と言われ、現在の所属事務所「鈍牛倶楽部」を紹介してもらったのだそうです。

「【画像】光石研の若い頃から現在までの出演ドラマ映画は?」に続く

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