「劇団四季」時代は「オペラ座の怪人」のファントム役、「劇団四季」退団後は「ミス・サイゴン」のエンジニア役が当たり役となると、

その後も、「屋根の上のヴァイオリン弾き」「ラ・カージュ・オ・フォール」「モーツァルト!」など数々の名作で主演を務めた、市村正親(いちむら まさちか)さん。

今回は、そんな市村正親さんの、若い頃(舞台デビュー~「オペラ座の怪人」でブレイク~「ミス・サイゴン」でブレイク)の経歴を時系列でご紹介します。

市村正親

「市川正親の生い立ちは?高卒後は舞台芸術学院と西村晃の付き人!」からの続き

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市村正親は24歳の時に「劇団四季」のミュージカル「イエス・キリスト=スーパースター」のヘロデ王役で舞台デビュー

市村正親さんは、俳優の西村晃さんの付き人を卒業した後は、舞台の魅力に惹かれて舞台の道を選んだそうで、

1973年、24歳の時、「劇団四季」のミュージカル「イエス・キリスト=スーパースター」(後の「ジーザス・クライスト=スーパースター」)のオーディションを受けると、見事、敵役のヘロデ王に抜擢されたそうで、このミュージカルで舞台デビューを果たしています。

市村正親は26歳の時に舞台「エクウス」の主演で脚光を浴びていた

そして、翌1974年には、「劇団四季」に誘われ、「ウェストサイド物語」に出演することになったそうですが、このことがきっかけなり、「劇団四季」へ正式に入団し、厳しい指導の中で演技の基礎を徹底的に学ぶと、

1975年には、舞台「エクウス」で、主人公の少年役に抜擢され、たちまち、脚光を浴びています。

「エクウス」
舞台「エクウス」出演時の市村正親さん(右)。

ただ、市村正親さんは、舞台「エクウス」を成功させたことで有頂天になり、演出を無視して、自分なりの演技をし、「劇団四季」の主宰者・浅利慶太さんを激怒させたこともあったといいます。

市村正親は39歳の時に「オペラ座の怪人」で主人公・ファントム役に抜擢されブレイクしていた

さておき、舞台「エクウス」での成功の後も、市村正親さんは、次々と話題の舞台に出演し、「劇団四季」の看板俳優として活躍を続けると、

1988年、39歳の時には、「オペラ座の怪人」で主人公・ファントム(オペラ座の怪人)役に抜擢され、たちまちブレイクを果たしたのでした。

(実は、演出家のハロルド・プリンスさんの強い希望により、市村正親さんが主演のファントムを務めることになったそうで、「劇団四季」の主宰者・浅利慶太さんは、市村正親さんのファントム役を不服とし、反対していたそうです)

「オペラ座の怪人」
1988年、「オペラ座の怪人」より。野村玲子さんと市村正親さん。

市村正親は41歳の時に「劇団四季」を退団

その後も、市村正親さんは、「オペラ座の怪人」でファントム役を務め、人気、実力共に絶頂期を迎えていたのですが、

そんな中、当たり役となったファントム役を降板させられることを、衣装スタッフから偶然知らされ、翌日には浅利慶太さん本人からも直接告げられたことから、「劇団四季」を退団することを決めたそうで、

市村正親さんは、1990年、41歳の時に「劇団四季」を退団しています。

実は、市村正親さんは、この時、外部作品で日本初公演だった「ミス・サイゴン」のオーディションを控えていたそうですが、「劇団四季」の団員のままでは参加できない状況だったこともあり、「自分で動き出すしかない」と、「劇団四季」の退団を決断したのだそうです。

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市村正親は43歳の時に「ミス・サイゴン」のエンジニア役も当たり役となっていた

こうして、「劇団四季」を退団した市村正親さんは、その後、日本初公演だった「ミス・サイゴン」のオーディションを受けると、見事、メインキャスト・エンジニア役に合格したそうで、

1992年、43歳の時、「ミス・サイゴン」でエンジニア役を演じると、「ミス・サイゴン」は1年半のロングランヒットを記録。

市村正親さんは、「ミス・サイゴン」のエンジニア役も、当たり役となったのでした。

「ミス・サイゴン」
1992年、「ミス・サイゴン」出演時の市村正親さん。

お読みいただきありがとうございました

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