もともと体を動かすことが好きで、中学では柔道部、高校では体操部に入部するも、高校2年生の時、バック宙に失敗して長期入院し、体操への情熱が冷めてきた時、「3年生を送る会」の手伝いを頼まれ、出し物のお芝居に参加したことで、演じる楽しさに目覚めたという、市村正親(いちむら まさちか)さんは、その後、ますます、演劇にハマっていきます。

「市村正親は小学生の時から映画館通いし俳優に憧れていた!」からの続き

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高校時代には日活映画に出演したことも

高校2年生の時、「3年生を送る会」を手伝ってほしいと頼まれ、その出し物のお芝居に参加したことがきっかけで、演劇に興味を持ち、演劇部に入部したという市村さんですが、演劇部に入部すると、ますます、面白くなってきたそうで、

その後、西郷輝彦さんと松原智恵子さんが主演の映画(日活映画)のエキストラ(松原さんの弟の学校の友人役)のため、信州・松本にまで行ったこともあったそうです。

(日活スタジオでは、水の江瀧子さん、石原裕次郎さん、小林旭さん、宍戸錠さん、浜田光夫さんなど、テレビや映画で見るスターを間近で見たそうですが、とても新鮮だったそうです。)

劇団「新制作座」の主宰女優・真山美保の言葉に感銘を受ける

また、同じく、高校の時、劇作家で女優の真山美保さん主宰の劇団「新制作座」が体育館に公演に来たことがあったそうですが、

その際には、プロの舞台作りを間近で見られるとワクワクし、朝から荷物運びなどの手伝いに行くと、八王子に劇団の拠点があることを教えてもらったそうで、

後日、訪ねると、そこでは、みんなが生活を共にしており、真山さんは、「悲惨な状況をつくらないためにも演劇は大事だ」と言ったそうで、市村さんは、その言葉に感銘を受け、ますます、お芝居にハマっていったのだそうです。

(この言葉は今でも忘れられないそうです)

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劇団「民芸」の滝沢修の演技を見て俳優になろうと決意

そんな市村さんは、高校卒業間際に、劇団「民芸」の、太平洋戦争前に起きた国際スパイ事件を描いた戯曲「オットーと呼ばれる日本人」を観たそうですが、

内容は、高校生には難しかったものの、主演の滝沢修さんの演技に、

たかが2、3時間の間にこんな激しい人生を生きられるなんてすごい

と、頭をガツーンと殴られたような衝撃を受けたそうで、本格的に俳優になろうと決意。

そこで、お父さんにそのことを告げたそうですが、

お父さんはというと、

お前は何をやっても三日坊主だからな

と、取り合ってくれなかったそうで、

市村さんが、負けじと、

三日坊主だからつとまるんだよ!

役者ってのは同じ職業をずっとやるわけではない。今日が八百屋なら明日は医者と、職業が変わっていくんだ。だから三日坊主にはピッタシなんだ

と、精一杯理屈をこねたそうですが、

それでも、お父さんには、

いい加減なことを言いやがって。お前なんかバカ殿しかできないよ

と、言われたそうで、とても悔しい思いをしたそうです(笑)

「市村正親は昔西村晃の付き人をしていた!」に続く

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