新聞社を立ち上げ、たった一人で新聞を発行していたお父さんと、そんなお父さんを支えようと、大衆居酒屋を経営するお母さんのもと、一人っ子として誕生した、市村正親(いちむら まさちか)さんは、幼い頃から人を喜ばせることが好きだったそうですが、やがて、お芝居に目覚めます。

「市村正親の幼少期は人を喜ばせることが好きだった!」からの続き

Sponsored Link

小学校時代は映画館通いをしていた

一人っ子で両親が共働きだった市村さんは、小学生の時には、学校が終わると、お母さんのお店の真正面にあった映画館に、毎日のように通っていたそうで(フリーパスで入れたそうです)、いつしか、俳優の世界に憧れるようになったそうです。

また、映画館から100メートルほどの距離に立ち並ぶ、青果店、精肉店、電気店、洋品店、割烹(かっぽう)、理容店など様々なお店に行き交う人々を眺めて過ごすことも好きだったそうです。

父親が三度選挙に立候補するも三度とも落選

そんな中、お父さん(当時47歳)が、突如、埼玉県議会選挙に立候補すると言い出し、

(お父さんは、出馬する候補者が少ないことに憤り、締切間近に自ら立候補したのだそうです)

お母さんは、お店の売上を選挙資金に充て、自ら選挙カーに乗り込んでウグイス嬢を務めるなど、お父さんの選挙活動を全面的にバックアップしたそうですが、その甲斐なく落選。

それでもお父さんはあきらめず、今度は川越市議会選挙に出馬したそうですが・・・またしても落選。

さらには、もう一度(3回目)出馬したそうですが、結果は同じく落選となってしまったそうで、

選挙後、お母さんは、そんなお父さんのことを、

父ちゃんは思い込んだら曲げない人だから

と、周囲に語っていたそうです。

中学校時代は柔道部

さておき、市村さんは、中学に入ると、先輩の誘いで柔道部に入部したそうですが、乱取り稽古では、投げられることが気持ち良かったそうで、自ら進んで投げられるほどだったそうです(笑)

また、柔道での取っ組み合いは、兄弟ゲンカをしているような、じゃれ合っているような感覚だったそうで、一人っ子で両親が共働きだった市村さんは、やはり、兄弟への憧れがあったようです。

高校では体操部に入部も高2の時にバック宙に失敗し3ヶ月入院

そんな市村さんは、高校(川越商業高等学校)に進学すると、体を動かすことが好きだったことや、逆立ち、トンボを切ってみたいという単純な理由から、体操部に入部したそうですが、

高校2年生の時、バック宙に失敗して首から落ちてしまい、3ヶ月ほどの入院を余儀なくされたそうで、以来、体操には夢中になれなくなってしまったそうです。

Sponsored Link

高2の時に演劇に目覚める

そんな中、演劇部から、「3年生を送る会」を手伝ってほしい頼まれ、声と動きに分かれたお芝居すると、これがとても楽しく、

そんな市村さんの様子を見ていた、演劇部の顧問の茨木洋子先生が、

お芝居、好きなのね。入ってやってみたら

と、声をかけてくれたことから、市村さんは、演劇部に入部。

(10人の部員中、男子部員は市村さん1人だけだったそうです)

すると、すぐに、お芝居の面白さに目覚め、部活動だけでは物足りなくなったそうで、授業が終わった後は、東京都北区の赤羽(あかばね)にある「新日本児童」という学校に通うようになったそうで、

市村さんは、

面白いと思ったからこそ、突き進んでいけました。

と、語っています。

「市村正親は高校生の時に日活映画に出演(端役)していた!」に続く

Sponsored Link