反対する篠原涼子さんの父親を説き伏せ、晴れて入籍した、市村正親(いちむら まさちか)さんと篠原涼子(しのはら りょうこ)さんは、当初、結婚式、結婚披露宴ともにしていなかったのですが、入籍から5年後、篠原さんの父親のため、結婚パーティーを開催していたといいます。
「市村正親は篠原涼子の父親に結婚を反対されていた!」からの続き
先の長くない篠原涼子の父親のために結婚パーティーを開催
市村さんと篠原さんは、当初、挙式・披露宴を行っていなかったのですが、入籍から5年後の2010年8月、篠原さんの故郷・群馬県太田市にある、チャペル付き結婚式場「ロイヤルチェスター太田」を貸し切り、市村さん・篠原さん双方の親族約50名を招いて食事会を開催しています。
というのも、入退院を繰り返していた篠原さんのお父さんが、いよいよ、もう先が長くないという状態だったことから、市村さんが提案し、食事会を開催したそうで、
結婚式場の関係者は、
県内の病院に入院していたお父さまのために、ソファなど体を休められるスペースを確保。地場の新鮮な野菜をふんだんに取り入れて、体調にあわせた特別メニューで対応させていただいた
と、明かしています。
篠原涼子の父親が他界
そして、この食事会では、篠原さんがウェディングドレス姿を披露したそうで、そんな娘の姿を目にしたお父さんは、感激のあまり涙を流して喜んでいたそうですが、それから3日後、篠原さんのお父さんは、娘が幸せになったのを見届けて、他界されたのでした。
ちなみに、某芸能ライターは、
(結婚に強く反対していたお父さんですが)それでも2008年に孫が生まれると、それはもう可愛がり、市村さんへの信頼も厚くなっていたそう。
そして2010年に5年越しの披露宴を開くと、その3日後に勝雄さん(お父さん)は亡くなったのです。花嫁姿を見届けて、涼子ちゃんの幸せを願って眠りについたのでしょう。
と、語っています。
息子2人を溺愛するも子役はさせない方針
ところで、市村さんと篠原さんの間には、2008年5月に男の子、2012年2月に2人目の男の子が誕生しているのですが、
市村さんは、長男の誕生後、それまでの、仕事が終わると飲み歩くという生活から、タバコを一切やめるほか、育児休暇を取得するなど、イクメンに変身。
2011年のインタビューでは、
僕は厳しい父親というより、遊び相手になればいいかなという感じ。何でもハイハイって子供の言うことを聞かない方がいい、と言われるけど、つい聞いちゃう
自分のことより子供のこと、になりました。すっごい大きな愛をもらっている感じがする。それに成長の変化を本当にヒシヒシと感じるね。
『アオアオ~』から少し言葉になり、言葉がつながってきて、最近は『パパみたいになりたい』ってね。やることなすことが、こんなに幸せを与えてくれるのかと。『パパ嫌い、あっちへ行って』と言われてもうれしい。こんな宝物はないね
と、子供が可愛くて仕方がない様子で、
記者から、育児の大変さを問われるも、
大変って考え方はしない。うれしいって思うの。うんちは臭いもいいし、出て良かった!って思うよ
と、もう何もかもが楽しいようです。
ただ、子供には子役はやらせない方針で、
思春期のいろいろな楽しみにしっかり触れ、学生生活をエンジョイしてほしい。子供のころから大人の中で仕事をさせると、何かを奪っちゃう気がする。むしろ楽しむ側でいろいろなモノを見せたいんですよ
と、語っています。