「オペラ座の怪人」では、ラウル役のオーディションを受けるも、演出家のハロルド・プリンスさんに気に入られ、いきなり、主人公・ファントム役に抜擢された、市村正親(いちむら まさちか)さんですが、その後、思わぬ展開が待っていました。

「市村正親は若い頃「オペラ座の怪人」の主演に抜擢されていた!」からの続き

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浅利慶太は市村正親の「オペラ座の怪人」主演を反対していた

演出家のハロルド・プリンスさんに、「オペラ座の怪人」の主役・ファントム役に抜擢された市村さんですが、実は、「劇団四季」の代表である浅利慶太さんは、キーの高いファントム役は、市村さんでは歌いこなせないと、この人選に反対。浅利さんは、自身が気に入る、キャスティング、演出でやりたいと思っていたそうです。

そんな中、ハロルドさんが、「僕が全部やる」と言って、がんとして譲らず、結果、ハロルドさんの強い希望で、市村さんが主演に抜擢されたそうで、

市村さんは、

あの時、彼が僕をファントムに選んでくれなければ、僕のその後の人生はずいぶん違ったものになっていただろうと思います。

と、語っています。

「オペラ座の怪人」のファントム役でブレイク

すると、1988年、市村さんがファントム役を演じた「オペラ座の怪人」は大きな反響を呼び、市村さんは、1989年にも、引き続き、「オペラ座の怪人」でファントム役を熱演。

同年末には、「NHK紅白歌合戦」にファントム役で初出場を果たし、全国的にその名を知らしめるなど、ファントム役は、市村さんの当たり役となったのでした。

そして、1990年、3度目の公演でもファントム役の候補として名前が挙がり、絶頂期を迎えていた市村さんですが・・・


「第40回NHK紅白歌合戦」でファントムに扮し熱唱する市村さん。

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「劇団四季」退団を決意した理由とは

そんなある日のこと、市村さんは、衣装さんから、「市村さん、次のファントムはお出にならないんですってね」と言われたそうで、寝耳に水で、一瞬、自分の耳を疑ったそうですが、この時、ファントム役を降ろされと知ったそうです。

(衣装さんは、市村さんはすでに知っていると思い、口をすべらせてしまったのでした)

そして、その翌日には、浅利さん本人の口から、「ファントムは他のヤツにやらせるから」と告げられたそうで、市村さんとしては、「はい」と言うしかなかったそうですが、同時に、「劇団四季」から退団することを決意。

というのも、この時、ミュージカル「ミス・サイゴン」の日本初公演(1992年)が決まり、オーディションが行われることになっていたそうですが、「劇団四季」の団員でいる間は、ほかの舞台のオーディションは受けられなかったことから、

ここは自分で動き出さなければ。もう迷いはありませんでした。衣装さんのポロッと発言も含めて、すべては僕を「ミス・サイゴン」に引き合わせるための伏線だったんだ。

と、考えたのだそうです。

(浅利さんから降板を告げられた時、「ミス・サイゴン」の歌が遠くから聞こえてきたような気がしたそうです)

ただ、後に、市村さんは

「役者としての“成人式”」と記す四季からの独立は41歳のときだ。当たり役だった「オペラ座の怪人」のファントムを降ろされると、衣装スタッフに漏れ聞いたのがきっかけだった。

四季を率いた浅利慶太さんが最初に伝えてくれたなら、ずっと劇団に残ったかもしれない。でも、人生にもしもはない。

と、語っており、愛弟子として可愛がられていると自負していた浅利さんからの仕打ちにがっかりしたことが、「劇団四季」を退団しようと思った最大の理由だったのかもしれません。

「市村正親が若い頃は「ミス・サイゴン」のエンジニア役が当たり役に!」に続く

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