元宝塚歌劇団雪組のトップ男役、朝海ひかる(あさみ ひかる)さん。中性的で華奢なルックスとは裏腹に、ダイナミックなダンスで注目を集められました。


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少女時代

朝海さんは、幼い頃から、
モダンダンスやクラシックバレエを習われ、
踊ることが大好きな少女だったそうです。

朝海さんが高校生の時、音楽の先生に、

「バレエを生かした職業がある」

と、宝塚音楽学校を受験することを、
勧められたのだそうです。

意外なことに、朝海さんは、
宝塚音楽学校を受験するまで、
宝塚のお芝居を見たことがなかったのだとか。

仙台市ご出身だったため、
宝塚に触れる機会がなかったのでしょうね。

朝海さんは、当時のことを振り返られ、

将来は語学を学んで、
客室乗務員になりたいと思っていたんです。

だから、受かるつもりもなかったので、
後々の話にでもなればと思って受験しました。

と、インタビューで語っておられました。

宝塚音楽学校に入学

そんな軽い気持ちで臨まれた、
入学試験でしたが、結果は見事合格。

2次試験で、兵庫県宝塚市にある宝塚歌劇団に行き、
その時、初めて宝塚のお芝居を観劇したのだそうです。

朝海さんは、その華やかさと、
規模の大きさに驚かれたとのこと。

ご家族の後押しもあって、
宝塚音楽学校に入校することとなったのでした。

厳しいレッスン

宝塚音楽学校での生活は、
分刻みでレッスンに明け暮れる毎日だったそうで、

そのうえ、朝海さんは、入学するまで、
ダンスやバレエの経験しかなかったため、
成績は芳しくなかったようです。

中の下あたりですね。
(同期の)春野(寿美礼)や安蘭(けい)は、
はるか上位にいました。
だから、彼女たちは雲の上の存在でした。

と、同期に実力派がそろっていたこともあり、
朝海さんは、目立つことはなく、
少々苦しいスタートだったようです。

宝塚歌劇団に入団

そして、1991年、朝海さんは、
77期生として宝塚歌劇団に入団され、

月組の「ベルサイユのばら-オスカル編-」
で初舞台を踏まれました。

翌年の1992年、花組配属後は、
得意のダンスで頭角を表し、

1994年のロンドン公演には、
最下級生だったにも関わらず、選抜されたのでした。

この頃、お弁当の手配など、
雑用もされていたそうですが、
初めての経験で楽しかったのだとか。

毎日厳しいレッスンに明け暮れていた中で、
ちょっとした息抜きだったのかもしれませんね。

エリザベートでブレイク!

1998年には、新たに設立された、
宙組(そらぐみ)に異動になり、
朝海さんに転機が訪れます。

なんと、ミュージカル「エリザベート」で、
皇太子ルドルフ役に抜擢されたのです。

朝海さんはその時のことを振り返り、

本公演であんなに大きな役をいただくのも、
1曲を歌うのも初めてのことで、毎日死ぬほど練習しました。

それまでは私の辞書に歌という言葉はなかったんですが、
それからは火がついて、歌も必死でやり始めました。

役を掘り下げること、
1つの作品の中で、責任ある役を演じきることを、
学んだ気がします。
自分の中で1つの階段を上ったという感じでした。

と、インタビューで語っておられました。

ダンスを得意とされていた朝海さんですが、
この公演で、お芝居にも目覚められたようですね。

この役で朝海さんはブレイクし、
熱狂的なファンを多く獲得されたそうです。

朝海さんの努力の結果であることはもちろん、
美しくクールな印象のある朝海さんと、
ルドルフがうまくマッチしたことも、
ブレイクにつながった大きな理由と言えるでしょう。

雪組

翌年の1999年には、雪組に異動になり、
ルドルフ役でのブレイクとあいまって、
この頃から、朝海さんの人気が急上昇したそうです。

そして、2002年には「風と共に去りぬ」で、
轟さん演じるレッド・バトラーの相手役で、
ヒロインのスカーレット・オハラを演じておられます。

ショーで何度か娘役を演じられた以外、
舞台では、ずっと男役の朝海さんでしたが、

この舞台では、娘役を見事に演じきり、
人気実力とも不動のものにされたのでした。

トップ男役へ

そして、同年、絵麻緒ゆうさんが退団され、
その後任として、雪組のトップスターに就任。

朝海さんは、宝塚の上層部に、

「私がなってもいいんでしょうか」

と何度も聞き返されたそうです。

朝海さんは、その理由を、

私の前は絵麻緒ゆうさんでした。
でも、1作で退団されたので、
次のトップはほかの組から来るのかなと思っていたら、
私にと言われて・・・

トップになるという考えがなかったので、
ついその言葉が出てきてしまったんです。
でも決まってからは、前に突き進むしかないと覚悟を決めました。

と、明かしておられました。

トップ就任後は、娘役の舞風りらさんと、
トップコンビを組まれ、

「スサノオ」
「青い鳥を捜して」
「霧のミラノ」

と、次々に公演を成功させておられます。

朝海さんはトップスターになれた喜びを、

組子(各組を構成する生徒のこと)、スタッフ、
お客さまに支えられて、ここまでやってこられた。
人の優しさ、愛を感じます。

トップスター1人の力では舞台は成り立たないですから。
私に夢を見させてくれた宝塚、
いろいろな出会いをくれた宝塚のために、
少しでも役に立てればと思います。

と感謝と共に語っておられました。

ベルばらに出演

2006年には、星組の、
「ベルサイユのばら~フェルゼンとマリー・アントワネット編」
のオスカル役で特別出演された後、

雪組の「ベルサイユのばら~オスカル編」で、
主演のオスカルを務められました。

オスカル役は、宝塚歌劇団の団員なら、
誰でも憧れる、とても華のある役です。

待望のオスカル役を演じることについて、
朝海さんは、

初舞台は「ベルサイユのばら-オスカル編-」だったので、
オスカルをやらせていただくのはこの上ない幸せで、光栄です。

オスカルは熱血漢でナルシスト。
その人間性をアピールしていきたい。

と、その意気込みを語っておられました。

朝海さんは、美しくもはかない、
オスカル役の演技が絶賛され、
公演は大成功を収めたのでした。

退団!

朝海さんは、トップスター就任以来、
数々の公演で主演を務められましたが、

2006年、「堕天使の涙」「タランテラ!」の、
東京公演千秋楽をもって、
宝塚歌劇団を退団されています。

退団会見で、朝海さんが明かされたところによると、
実は「ベルサイユのばら~オスカル編」で、
主演が決まった頃に、
退団を決意されたそうです。

朝海さんは、

初舞台が「ベルばら」でしたし、
宝塚を代表する作品に出演できて、しかも、
オスカル役をいただいだことがとてもうれしかった。

自然に気持ちがその方向(退団)へ向いていき、
今が心身ともに充実していることもあって、
次の人生を踏み出してもいいか、と思いました。

と、退団を決意された理由について、
明かしておられました。

実は娘役だった?

宝塚のトップ男役として、
地位を築かれた朝海さんですが、

実は、朝海さんを、娘役に転向させる話が、
浮上したことがあったようです。

しかし、「ベルばら」の脚本・演出を手がける、
植田紳爾さんがその案を阻止。

植田さんは、

コム(朝海の愛称)にオスカルをやらせる夢がある。
それまで転向させない。

とおっしゃっていたそうです。

植田さんには、オスカルを演じる朝海さんが、
当時から、すでに見えていたようですね。

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退団後は?

朝海さんは、宝塚退団後は、
主にミュージカルを中心とした舞台に出演されています。

朝海さんは、

目の前にあるものをひとつひとつ、
全身全霊をかけてやる。

とおっしゃっていたので、

その言葉通り、現在も、舞台を中心としたお仕事に、
打ち込んでおられるようです。

やはり、ダンスや歌、
みんなでつくり上げるお芝居がお好きなのですね。

さて、2/19からBSスカパーでスタートする、
連続ドラマ「螻蛄疫病神シリーズ 螻蛄(けら)」では、
稗田涼子役を演じる朝海さん。

きっとドラマでも、舞台で培った迫力ある演技を、
見せてくれることでしょうね。
期待しています!!

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