少年漫画に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れて、お色気・暴力・ギャグといった独自の作風を確立し、1970年代には、「マジンガーZ」「デビルマン」「ドロロンえん魔くん」「キューティハニー」「ゲッターロボ」など、ヒットを連発した、永井豪(ながい ごう)さん。
今回は、そんな永井豪さんの若い頃(「ハレンチ学園」でブレイク以降)から現在までの作品(漫画・アニメ)や経歴を時系列でご紹介します。

「【画像】永井豪は若い頃(デビュー直後)赤塚不二夫に連載を打ち切られていた?」からの続き
永井豪は23歳の時には「ハレンチ学園」で社会現象を巻き起こす大ヒットを記録していた
1967年、初の連載漫画「じん太郎三度笠」が、赤塚不二夫さんの抗議により打ち切られてしまったという永井豪さんは、逆に、赤塚不二夫さんが否定する、色恋沙汰、エログロ、残酷なシーンなどを、全部、自分の漫画に入れてやろうと思ったそうで、
デビュー翌年の1968年には、新創刊された「少年ジャンプ」(後の「週刊少年ジャンプ」)に「ハレンチ学園」を発表すると、過激な描写で、社会現象を巻き起こすほどの大ヒットを記録し、以降、永井豪さんは、本宮ひろ志さんと共に「少年ジャンプ」を牽引しています。
永井豪は24歳の時に「あばしり一家」、25歳の時に「ガクエン退屈男」を発表
ただ、「ハレンチ学園」は、”スカートめくり”を扱った「モーレツごっこの巻」がPTAの抗議の標的となって、新聞紙上やテレビのワイドショーで激しいバッシングを受けます。
それでも、永井豪さんは、この糾弾活動(PTA)そのものをパロディ化し、漫画で仕返しをしてやろうと、「ハレンチ学園」の登場人物たちを次々と戦争で死なせたそうで、
その後も、
- 1969年には、ギャグ・エロ・暴力のドタバタを織り込んだギャグ漫画「あばしり一家」
- 1970年には、暴力の百花繚乱ともいうべき世界観を表した「ガクエン退屈男」
などを発表しています。
永井豪は25歳~26歳の時に「鬼-2889年の反乱-」「くずれる」「ススムちゃん大ショック」を発表
また、その一方で、永井豪さんは、
- 1970年「鬼-2889年の反乱-」
- 1971年「くずれる」
- 1971年「ススムちゃん大ショック」
など、シリアスなストーリーの作品も手掛けるようになっています。
永井豪は27歳の時に「デビルマン」が大ヒットを記録
そして、1972年には、「週刊少年マガジン」で「デビルマン」を連載すると、人間の善悪や愛と憎しみという根源的テーマを追求したこの作品は、わずか全5巻ながら、2017年3月時点で、全世界累計発行部数5000万部を突破する大ヒットを記録したのでした。
(同時期、テレビアニメの放送も行われています)

「デビルマン」
ちなみに、この「デビルマン」は、人間の心を持ちながら、悪魔の体と力を得た主人公・不動明が、地球を奪い返そうとするデーモン族と戦うというストーリーなのですが、
物語後半は、人間同士の疑心暗鬼と殺戮、そして、絶望的な結末へと展開しており、従来の”正義が必ず勝つ”ヒーロー像を完全に破壊する、ダーク・ファンタジーの金字塔となった作品で、
50年経った現在でも、新規アニメ化(「DEVILMAN crybaby」など)され続け、世界中のクリエイターに影響を与え続けています。
永井豪は27歳の時に初の乗り込み型ロボット「マジンガーZ」が空前の大ヒットを記録
さらに、1972年には、主人公・兜甲児が超合金Z製の「マジンガーZ」に搭乗し、Dr.ヘルの機械獣軍団と戦う「マジンガーZ」を「週刊少年ジャンプ」に発表すると、
同時期にテレビアニメ化もされ、平均視聴率22.1パーセント(最高視聴率は、第68話の30.4パーセント)と、空前の大ヒットを記録。
永井豪さんは、この「マジンガーZ」で、これまでの遠隔操縦(鉄人28号)や自律型(鉄腕アトム)とは全く異なる、主人公が巨大ロボットに乗り込んで操縦し敵と戦う”乗り込み型ロボット”の概念を初めて確立したのでした。

「マジンガーZ」
永井豪は28歳の時に「ドロロンえん魔くん」が大ヒット
そして、1973年には、地獄界から来た妖怪パトロール隊が人間界の非行妖怪を退治する「ドロロンえん魔くん」を11誌で連載すると、こちらも、同時期にアニメ放映されると、大ヒット。
ちなみに、「ドロロンえん魔くん」は、高度経済成長期の日本が抱えていた社会問題(拝金主義、工場の排水・排煙などの公害問題)を風刺しつつ(妖怪という形で表しています)、
主人公のえん魔くん、雪子姫、カパエルの3人組が繰り広げる、お色気とギャグが融合した永井豪さんの世界観が表現された作品となっています。

「ドロロンえん魔くん」
永井豪は28歳の時に「キューティーハニー」が大ヒットし社会現象を巻き起こしていた
また、永井豪さんは、同年(1973年)、「週刊少年チャンピオン」で、天才科学者に作られたアンドロイドの美少女・如月ハニーが、変身能力を駆使し、秘密結社パンサークローと戦う、女性ヒーローの先駆けとなる作品「キューティーハニー」を連載すると、
同時期にアニメ化もされ、セクシーな変身シーンや主題歌が視聴者にウケて、社会現象を巻き起こす大ヒットを記録しています。
永井豪は29歳の時に「ゲッターロボ」で合体ロボットのジャンルを確立していた
そんな永井豪さんは、1974年には、石川賢さんとの共同原作「ゲッターロボ」がアニメ放映されているのですが、
この「ゲッターロボ」は、3機のメカが合体・変形することで、空・陸・海に対応した3つの異なるロボットになるという画期的な設定で、またしても、大ヒット。
「ゲッターロボ」は、合体ロボットのジャンルを確立し、後のロボットアニメに大きな影響を与えたのでした。

「ゲッターロボ」
永井豪の現在(80代)は?
永井豪さんは、そのほかにも、
- 1973年「バイオレンスジャック」
- 1974年「おいら女蛮」
- 1976年「手天童子」
- 1979年「花平バズーカ」
- 1980年「凄ノ王」
などの作品を発表しており、
2015年以降は、少年誌での新作は発表していないようですが、2025年現在も、北國新聞で「マンガ街道一人旅」を連載するほか、
2025年3月には「マジンガーZ」の新作アートプリント展を東京で開催するなど、過去作品の復刻や監督作業を行うなど、現在も、第一線で活躍を続けています。
また、永井豪さんは、2024年1月1日に発生した能登半島地震に伴う輪島市の大規模火災により、出身地・輪島市の「永井豪記念館」が焼失しているのですが、
石川県観光大使を務め、能登半島地震の復興支援のためのチャリティーオークションにも参加するほか、被害を受けた輪島市に作品を寄贈もしており、復興に向けた支援活動も行っています。
永井豪の漫画作品一覧
それでは、最後に、永井豪さんの主な漫画作品をご紹介しましょう。
- 1967年「目明しポリ吉」
- 1968年「ハレンチ学園」
- 1969年「あばしり一家」
- 1970年「ガクエン退屈男」
- 1971年「魔王ダンテ」
- 1972年「デビルマン」
- 1973年「バイオレンスジャック」
- 1974年「けっこう仮面」
- 1975年「UFOロボ グレンダイザー」
- 1976年「手天童子」
- 1977年「バイオレンスカー炎の鷹」
- 1978年「超マン」
- 1979年「花平バズーカ」
- 1980年「青春一番」
- 1981年「まぼろしパンティ」
- 1982年「鉄戦士ムサシ」
- 1983年「アイアンマッスル」
- 1984年「ゴッドマジンガー」
- 1985年「ハレンチ・ママさん」
- 1986年「サムライ日本」
- 1987年「骨法伝説 夢必殺拳」
- 1988年「MAZINGER」
- 1989年「獣神ライガー」
- 1990年「マジンサーガ」
- 1991年「ミストストーリー」
- 1992年「Cutieハニー」
- 1993年「バイオレンスジャック(書き下ろし)」
- 1994年「ダンテ神曲 地獄編」
- 1995年「永井豪のヴィンテージ漫画館」
- 1996年「ゴセンゾくん」
- 1997年「デビルマンレディー」
- 1998年「Zマジンガー」
- 1999年「機神」
- 2000年「戦群(いくさむら)」
- 2001年「キューティーハニー 天女伝説」
- 2002年「サタンクロース」
- 2003年「魔王ダンテ 神魔大戦編」
- 2004年「魔神王ガロン」
- 2005年「新バイオレンスジャック」
- 2006年「金四郎無頼桜」
- 2007年「シレーヌ誕生編」
- 2008年「炎の虎 信玄」
- 2009年「真マジンガー 衝撃!H編」
- 2010年「激マン!デビルマンの章」
- 2011年「タイム・スリッパー珠姫」
- 2012年「どろろとえん魔くん」
- 2013年「キューティーハニー対デビルマンレディー」
- 2014年「激マン!マジンガーZ編」
- 2015年「デビルマンサーガ」
ほか、多数の作品を発表しています。
「永井豪の妻との馴れ初めは?結婚後の夫婦仲は?子供は?」に続く
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