1966年、和泉雅子さんと共演した映画「絶唱」では、同名主題歌も歌唱すると、日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞するなど、その人気を不動のものにした、舟木一夫(ふなき かずお)さん。

そんな舟木一夫さんは、プライベートでも、和泉雅子さんととても仲が良く、60年に渡る友情を築いていたといいます。

今回は、舟木一夫さんと和泉雅子さんの、出会いや、共演映画のエピソードなどをご紹介します。

舟木一夫と和泉雅子

「【画像】舟木一夫の若い頃は「高校三年生」でデビュー即ブレイクしていた!」からの続き

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舟木一夫と和泉雅子はデビュー当初から共演が多く親しい間柄だった

舟木一夫さんと和泉雅子さんの出会いは、日活の撮影所だったそうですが、

(和泉雅子さんは舟木一夫さんの3歳年下)

デビュー当時、二人とも同じ四谷で暮らしていたほか、映画での共演を重ねて、1年の3分の1を一緒に過ごしていたことで、お互い、「舟木君」「マコちゃん」と呼び合う親しい間柄となったそうです。

舟木一夫と和泉雅子
1965年、雑誌の対談より。舟木一夫さんと和泉雅子さん。

舟木一夫は和泉雅子に「北国の街」の撮影中セリフを全て忘れたことを打ち明けられていた

ちなみに、舟木一夫さんによると、和泉雅子さんは、”よくトチる人”だったそうで、映画「北国の街」では、蒸気機関車(SL)の最終便と夕暮れの駅舎を狙っての撮影中、

デッキの舟木一夫さんが取っ手につかまってホームの和泉雅子さんと話すシーンで、本番になり、「よーい!」と声がかかった時に、

後ろ姿のみの出演だった和泉雅子さんから、

舟木君ゴメン!セリフ全部忘れちゃった

と、打ち明けられ、

アフレコで合わせるからさ、適当に私のセリフの間を取って全部しゃべってくれる?

と、頼まれたそうで、

舟木一夫さんが、言われた通り、自身のセリフのみ口にして、無事、撮影を終え、その後、宿に帰ってから、

ひどいよマコちゃん

と、言うと、

和泉雅子さんは、

じゃあ東京に帰ったら罰金コーヒーをおごろう

と言い、コーヒーをおごってくれたことがあったそうで、

舟木一夫さんと和泉雅子さんがどれほど打ち解けた関係だったかが分かります。

(実際、舟木一夫さんによると、和泉雅子さんとの対談や記事は、他の女優と比べてと圧倒的に多かったそうです)

「北国の街」
「北国の街」より。舟木一夫さんと和泉雅子さん。

舟木一夫は「絶唱」ほかで和泉雅子と「ゴールデンコンビ」と呼ばれていた

そんな舟木一夫さんと和泉雅子さんは、舟木一夫さんの明るく誠実な青年像と、和泉雅子さんの健康的で親しみやすいヒロイン像が絶妙にかみ合い、「青春映画といえば舟木と和泉」と言われるなど、「ゴールデンコンビ」と呼ばれていたのですが、

特に、1966年の映画「絶唱」では、和泉雅子さんは、役作りのため、8キロ減量し、栄養失調になるほど演技に取り組んだそうで、その甲斐あり、この作品は日活映画の配収1位を記録する大ヒット。

舟木一夫さんが歌う同名タイトルの主題歌「絶唱」も大ヒットし、「日本レコード大賞最優秀歌唱賞」を受賞しています。

「絶唱」
「絶唱」より。舟木一夫さんと和泉雅子さん。

舟木一夫が語る和泉雅子とは?

ただ、和泉雅子さんは、2024年7月9日、77歳で他界。

舟木一夫さんは、2025年8月18日、「徹子の部屋」に出演した際、和泉雅子さんとの思い出について、

彼女っていうのは、あんまり自分が女優でどうであるとか、その先にどういう女優になりたいとか考えてなかった。

性格もわりとボーイッシュで、東京人っていう言い方がありますね、そういう人だった。非常にこざっぱりした人だったから、こちらも気を遣わずに済みました

舟木君なんて呼んでくれるのは彼女しかいなかったから、そういう意味では寂しい。

(訃報に触れた際は)思わずえっ?って言ったんですけど、そのクエスチョンマークが体中を巡ってる感じで、勝手に涙が出てきて止まらなくて困りました。その時は、悲しいとかなんとかいう感情は来ない。

と、語っており、

和泉雅子さんとの60年に渡る友情の深さが伺えます。

舟木一夫と和泉雅子
舟木一夫さんと和泉雅子さん。

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舟木一夫と和泉雅子の共演映画

それでは、最後に、舟木一夫さんと和泉雅子さんの共演映画をご紹介しましょう。

と、特に、1964年~1966年の3年間に集中して共演しています。

「舟木一夫の妻との馴れ初めは?結婚に至った経緯は?夫婦仲は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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