世界的指揮者として活躍し、日本においても、国際的音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(現在は「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」)を設立して総監督に就任するほか、後進の育成にも力を注いでいた、小澤征爾(おざわ せいじ)さんですが、
2005年頃から体調不良に悩まされるようになると、その後は、静養と復帰を繰り返し、2024年2月6日、他界されています。
今回は、小澤征爾さんが、体調不良に悩まされるようになってから他界されるまでの闘病の経緯をご紹介します。

「小澤征爾の若い頃から死去までの指揮者としての経歴は?著書は?」からの続き
小澤征爾は70歳の時に白内障、帯状疱疹、慢性上顎洞炎、角膜炎などを患っていた
小澤征爾さんは、2005年末に体調を崩し、同年12月に白内障の手術を受けると、
2006年1月半ばには、帯状疱疹、慢性上顎洞炎、角膜炎を患い、通院治療をしながら静養し、音楽活動を一時休止していたそうです。
小澤征爾は75歳の時に食道ガンが判明し食道全摘出手術を受けていた
その後、小澤征爾さんは、同年(2006年)6月に仕事を再開すると、以降、精力的に活動を続けていたのですが、
2010年1月7日、75歳の時には、人間ドックの検査で食道ガンが判明し、1月末に食道全摘出手術を受けたそうです。
小澤征爾は75歳~76歳の時に腰痛の手術を2度受けていた
すると、手術は無事に成功したそうで、
小澤征爾さんは、
(手術で)ガンがなくなった
と、喜んでいたのですが・・・
それもつかの間、その後、持病の腰痛が悪化し、2011年1月には、腰の手術を受けると、さらにこの年の11月にも、再び、腰の手術を受けたそうです。
小澤征爾は79歳の時に「腰椎棘突起及び横突起骨折」と診断されていた
そんな小澤征爾さんは、2012年3月には、体力回復に務めるため、1年間、指揮活動を休止することを発表し、2013年8月には、復帰したのですが、
2015年8月には、転倒して腰を強く打って、「腰椎棘突起及び横突起骨折」と診断されたそうで、医師からは、3週間の加療が必要だと告げられたそうですが、
翌年の2016年4月には、ドイツを訪れ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で指揮を執り、現地を熱狂の渦に巻き込んでいます。
ただ、翌年のドイツ公演は辞退したそうで、
某音楽関係者は、
長時間のフライトは体力的にも厳しい。征爾さんは無理を押してでも行きたがったが、医師や家族の説得で断念しました。特に猛反対したのは長女の征良さんだったといいます
と、語っています。
小澤征爾は83歳の時に「大動脈弁狭窄症」と診断され手術を受けていた
また、小澤征爾さんは、2018年3月には、大動脈弁狭窄症と診断され、治療と精密検査で1ヶ月の入院を余儀なくされたそうで、翌4月、大動脈弁狭窄症の手術をすると、その後は療養生活に入っています。
それでも、2019年3月には、京都市内の演奏会で指揮をするのですが、その後、急性気管支炎で一時入院すると、以降、静養と復帰を繰り返し、
2019年8月に、「セイジ・オザワ松本フェスティバル」で10分ほど指揮をしたのが、最後の指揮となったのでした。
小澤征爾は86歳の時に24時間看護体制であることが報道されていた
そして、2022年3月24日には、小澤征爾さんが、24時間看護体制で自宅療養中であることが、NEWSポストセブンにより報じられているのですが、
記事では、
2018年4月に大動脈弁狭窄症の手術を受けてから、本格的な療養生活に入りました。2019年8月に松本で10分ほど指揮棒を振って以来、もう2年半以上ステージには上がっていません。
体重が落ちていて、現在は自分で歩くことも難しい状態。言葉も思うようには発することができないといいます。一時は、都内の大学病院に入院していましたが、本人の強い希望で自宅に戻り、24時間対応の看護体制の下で自宅療養を続けています
と、小澤家の某知人の証言が掲載されています。
(家族の中では、特に長女の小澤征良さんがずっと寄り添い、介護を担っていたそうです)
小澤征爾は87歳の時に「2023セイジ・オザワ 松本フェスティバル」に登場していた
そんな中、2023年9月2日(小澤征爾さん87歳)、ジョン・ウィリアムズ氏が来日して、「2023セイジ・オザワ 松本フェスティバル」で、「サイトウ・キネン・オーケストラ」を指揮し、「スター・ウォーズ」や「インディ・ジョーンズ」など、映画音楽などを演奏しているのですが、
ジョン・ウィリアムズ氏が、アンコールの「レイダース・マーチ」の演奏を終えた後、舞台袖に向かって、
セイジ!
と、呼びかけると、
小澤征爾さんは、車いすに乗ったマスク姿で登場し、ジョン・ウィリアムズ氏と固い握手をしています。
小澤征爾の死因は?
しかし、そんな小澤征爾さんも、2024年2月6日、東京都内の自宅で心不全により、88歳で他界されています。
ちなみに、弟の小澤幹雄さんは、NEWSポストセブンの取材に対し、
病気を患ってからは体も動かなくなって指揮もできなくなってしまいましたけど、晩年も『指揮がしたい』と話していました。ステージに上がるのも難しくなり、総監督としてコンサートの陣頭指揮をとっていました。
私が最後に征爾と会ったのは、昨年に長野で行われたコンサートです。込み入った会話をする時間はありませんでしたが、こんなに早く別れの日が来てしまうとは思っていませんでした。
兄は小さい頃からいろいろなことに気遣いしてくれて、声をかけてくれる優しい人でした。とても感謝しています。
(2024年2月6日の午前に)征爾の訃報を聞いて急いで病院へ向かいました。静かに息を引き取ったようで、安らかに眠ったような顔をしていました。
よしちゃん(小澤征悦さん)や(小澤征悦さんの)奥さんの桑子真帆さんもいて、みんな黙って立ち尽くしていました。大往生だと仰る方もいらっしゃいますが、征爾はまだまだやりたいことがあったんじゃないかと思います。今も兄の指揮する姿が頭から離れません
と、亡きお兄さんを追悼しています。
「小澤征爾はN響(NHK交響楽団)事件が「世界のオザワ」への契機となっていた!」に続く
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