「世界のオザワ」と称されて世界中の舞台で活躍するほか、「新日本フィルハーモニー交響楽団」を設立するなど、日本のオーケストラ界にも大きな足跡を残した、小澤征爾(おざわ せいじ)さん。
そんな小澤征爾さんは、プライベートでは、結婚を2度、離婚を1度しています。
今回は、小澤征爾さんの、前妻(最初の妻)、再婚相手(2番目の妻)、子供(娘の小澤征良さん、息子の小澤征悦さん)についてご紹介します。

「小澤征爾の兄弟は小澤克己・小澤俊夫・小澤幹雄!小沢健二は甥っ子!」からの続き
小澤征爾の前妻(最初の妻)はピアニストの江戸京子
小澤征爾さんは、1962年、元三井不動産社長・江戸英雄氏の娘で、桐朋女子高校(学校名に「女子」とついているが男女共学)で同期だった、ピアニストの江戸京子さんと結婚していたそうですが、1966年に離婚しています。
ちなみに、小澤征爾さんは、プライベートについてほとんど明かしていないため、どのような経緯で離婚に至ったか、詳しいことは不明ですが、江戸京子さんとは、離婚後も良き友人として交流を続けていたと言われています。
(江戸京子さんは、小澤征爾さんが他界する前月の2024年1月23日に他界されています)

小澤征爾さんと江戸京子さんの結婚式。
小澤征爾の再婚相手(2番目の妻)入江美樹との馴れ初めは?
その後、小澤征爾さんは、1968年9月、33歳の時、ロシア人ハーフのモデル・入江美樹さん(24歳)と再婚しています。
小澤征爾さんと入江美樹さんは、入江美樹さんの家で開催されたパーティーで知り合ったそうですが、
実は、小澤征爾さんが、その場の雰囲気に馴染めず、部屋の片隅で静かにしていたところ、入江美樹さんのお父さん(ロシア人)に話しかけられると、ロシア人でありながら、”べらんめえ”口調のお父さんと意気投合したそうで、
帰り際に、小澤征爾さんが、自身が指揮する公演のチケットを渡したことで、入江美樹さんとの交流が始まり、出会って、1年経たないうちに結婚に至ったのだそうです。
(この頃、小澤征爾さんは、世界的指揮者として注目を浴びるようになっていた頃だったのですが、入江美樹さんもまた、ロシア人ハーフのモデルとして、森英恵さんのファッションショーの常連として活動するなど、人気を博していました)

小澤征爾さんと入江美樹さん。
小澤征爾の再婚相手・入江美樹はファッションデザイナーに転身していた
ちなみに、妻の入江美樹さんは、結婚後、モデルは引退したそうで、
その後、「小澤ヴェラ」として、ファッションデザイナーに転身すると、レディスブランド「ザ・ギンザ・バイ・ミズ・ヴェラ」などを手掛けたそうです。
小澤征爾と入江美樹の間には子供が2人(娘1人と息子1人)
小澤征爾さんは、入江美樹さんとの間に、子供が2人(娘1人と息子1人)誕生しています。
娘(長女)は小澤征良
まず、小澤征爾さんの娘(長女)は、1971年12月29日に誕生した、エッセイストの小澤征良(おざわ せいら)さんで、
小澤征良さんは、6歳までアメリカ・ボストンで過ごし、6歳の時に帰国すると、成城学園初等学校に転校し、以降、成城学園中学校・高等学校・大学に進学すると、成城大学を中退して上智大学比較文学部に入学。
そして、上智大学比較文学部卒業後は、演出助手を務めオペラ学を学ぶと、その後、テレビ番組の司会や雑誌を中心にエッセーを寄稿していたそうですが、2002年に出版したエッセイ「おわらない夏」がベストセラーとなっています。
息子(長男)は小澤征悦
小澤征爾さんの息子(長男)は、1974年6月6日に誕生した、俳優の小澤征悦(おざわ ゆきよし)さんで、小澤征悦さんは、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身で、3歳の時に帰国すると、
その後は、成城学園初等学校、成城学園中学校高等学校、成城大学に進学し、卒業しています。
そんな小澤征悦さんは、1998年、NHK大河ドラマ「徳川慶喜」で俳優デビューすると、以降、NHK連続テレビ小説「さくら」、NHK大河ドラマ「義経」「篤姫」、「もみ消して冬〜わが家の問題なかったことに〜」「ハケン占い師アタル」「いだてん〜東京オリムピック噺〜」などのテレビドラマや、
「釣りバカ日誌13 ハマちゃん危機一髪!」「るろうに剣心 伝説の最期編」「相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」などの映画のほか、
時代劇、シリアス、コメディと、ジャンルを問わず、様々な作品に出演しています。
さて、いかがでしたでしょうか。
小澤征爾さんの、
- 小澤征爾の家系図は?幼少期から裕福でピアノもケガで指揮者に転向していた!
- 小澤征爾のプロフィール
- 小澤征爾の本名の由来は?
- 小澤征爾の家系図
- 小澤征爾が幼い頃は裕福で何不自由ない生活を送っていた
- 小澤征爾は幼少期に教会で讃美歌を歌ったことがきっかけに家族で合唱するようになっていた
- 小澤征爾は10歳の時に本格的にピアノを学び始めていた
- 小澤征爾は中学3年生の時にラグビーの試合で人差し指を骨折しピアニストを断念していた
- 小澤征爾は中学3年生の時に豊増昇に勧められ指揮者に転向していた
- 小澤征爾の若い頃から死去までの指揮者としての経歴は?著書は?
- 小澤征爾は15歳の時に齋藤秀雄の指揮教室に入門していた
- 小澤征爾は22歳の時に群馬交響楽団で指揮をしていた
- 小澤征爾は23歳の時にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝していた
- 小澤征爾は26歳の時にニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任していた
- 小澤征爾は27歳の時にNHK交響楽団からボイコットされ日本に見切りをつけて渡米していた
- 小澤征爾は29歳の時に北米で成功を収めていた
- 小澤征爾は37歳の時に「日本フィルハーモニー交響楽団」存続の危機に接し天皇陛下に直接窮状を訴えていた
- 小澤征爾は38歳の時にボストン交響楽団第13代音楽監督に就任
- 小澤征爾は57歳の時に「サイトウ・キネン・オーケストラ」を設立していた
- 小澤征爾は67歳の時に東洋人初のウィーン国立歌劇場音楽監督に就任
- 小澤征爾は88歳で心不全により死去
- 小澤征爾の著書
- 小澤征爾の死因は?晩年は約20年に渡る壮絶な闘病をしていた!
- 小澤征爾は70歳の時に白内障、帯状疱疹、慢性上顎洞炎、角膜炎などを患っていた
- 小澤征爾は75歳の時に食道ガンが判明し食道全摘出手術を受けていた
- 小澤征爾は75歳~76歳の時に腰痛の手術を2度受けていた
- 小澤征爾は79歳の時に「腰椎棘突起及び横突起骨折」と診断されていた
- 小澤征爾は83歳の時に「大動脈弁狭窄症」と診断され手術を受けていた
- 小澤征爾は86歳の時に24時間看護体制であることが報道されていた
- 小澤征爾は87歳の時に「2023セイジ・オザワ 松本フェスティバル」に登場していた
- 小澤征爾の死因は?
- 小澤征爾はN響(NHK交響楽団)事件が「世界のオザワ」への契機となっていた!
- 「N響(NHK交響楽団)事件」の背景
- 小澤征爾はN響(NHK交響楽団)から内容証明を受け訴訟を起こしていた
- 小澤征爾はN響(NHK交響楽団)の対立で浅利慶太らに協力してもらっていた
- 小澤征爾は「一人ぼっちの指揮者」を演じ世論を味方につけていた
- 小澤征爾を支持する若き芸術家・文化人が「小澤征爾の音楽を聴く会」を結成し世代間闘争へと発展していた
- 小澤征爾はNHKと対立中「小澤征爾の音楽を聴く会」で指揮していた
- 小澤征爾はNHKと和解するもN響(NHK交響楽団)に復帰することなくアメリカに旅立っていた
- 小澤征爾の兄弟は小澤克己・小澤俊夫・小澤幹雄!小沢健二は甥っ子!
- 小澤征爾の兄弟は?
- 長兄は小澤克己
- 次兄は小澤俊夫
- 弟は小澤幹雄
- 小沢健二は小澤征爾の甥
- 小澤征爾の兄弟は?
- 小澤征爾の前妻は?再婚相手は入江美樹!娘は小澤征良!息子は小澤征悦!
- 小澤征爾の前妻(最初の妻)はピアニストの江戸京子
- 小澤征爾の再婚相手(2番目の妻)入江美樹との馴れ初めは?
- 小澤征爾の再婚相手・入江美樹はファッションデザイナーに転身していた
- 小澤征爾と入江美樹の間には子供が2人(娘1人と息子1人)
- 娘(長女)は小澤征良
- 息子(長男)は小澤征悦
について、ご紹介しました。
幼少期に讃美歌と出会ったことをきっかけに、音楽の道を歩み始め、ピアニストを目指すも、指の骨折というアクシデントをきっかけに指揮者へと転向すると、
齋藤秀雄氏の厳しい指導のもと基礎を徹底的に身につけ、23歳でブザンソン国際指揮者コンクールで優勝したのを皮切りに、世界の檜舞台で活躍し続けた小澤征爾さん。
そんな小澤征爾さんの生涯を通して貫いた、音楽への純粋な愛情、妥協を許さない探究心、そして「音楽をやるなら外国へ行って勉強するしかない」という信念は、
「サイトウ・キネン・オーケストラ」や「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」として現在も受け継がれ、世界中のコンサートホールで響き続ける美しい調べとともに、これからも多くの音楽家たちの心に永遠に刻まれ続けることでしょう。
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23歳の時、ブザンソン国際指揮者コンクールでの優勝をきっかけに世界的に活躍するようになり、ボストン交響楽団音楽監督を29年間務めると、東洋人初のウィーン国立歌劇場音楽監督にも就任し、「世界のオザワ」と称され国際的な地位を …






