1985年4月、34歳の時に、文化放送を退職すると、その後、フリーとしてテレビ業界に進出して、「夕やけニャンニャン」「11PM」「ぴったし カン・カン」などの司会で人気を博すかたわら、2007年には、ラジオ番組「吉田照美のやる気MANMAN」の司会で、昼の帯ワイドの基盤を確立した、吉田照美(よしだ てるみ)さん。
今回は、吉田照美さんの若い頃(文化放送退職後)から現在までの経歴をご紹介します。

「吉田照美の若い頃(文化放送時代)はラジオ「てるてるワイド」等が大ヒット!」からの続き
吉田照美は34歳の時に文化放送を退職していた
「セイ!ヤング」や「てるてるワイド」で若者から絶大な支持を集め、文化放送を代表する人気パーソナリティとなった吉田照美さんですが、
1985年の春、文化放送では、組織改編のためアナウンス部が廃止されることになったそうで、社員アナウンサーとしての将来に不安を感じた吉田照美さんは、密かに文化放送の退職を決意したといいます。
(後年の証言によると、それは表向きの理由で、実は、当時、吉田照美さんが担当していた番組「吉田照美のふッかいあな」が不振だったことの責任を被せられそうになったそうで、その先手を打ち、自分から退職を願い出ることにしたといいます)
そんな中、吉田照美さんは、ラジオ業界からテレビ業界への転身を狙っていたそうで、その後、思惑通り、フジテレビの平日昼の帯番組「吉田照美のてるてるTOKYO」(1985年4月1日から放送開始予定)の司会が内定したそうですが・・・
いざ、文化放送に退職(フリー転向)を申し出ると、すんなり退職することが出来なかったそうで、弁護士を立て、再度交渉に臨んだそうですが、フジテレビの番組開始には間に合わなかったのだそうです。
そして、最終的には、
1985年4月一杯まで(文化放送に)いれば、円満退社だから
と、文化放送の上層部から言われ、
吉田照美さんは、1985年4月末で文化放送を退社(フリーに転向)したのだそうです。
(ちなみに、「吉田照美のてるてるTOKYO」が予定されていたフジテレビの枠は、「荒川強啓のらくらくTOKIO」に差し替えられたそうで、吉田照美さんがフジテレビの帯番組の司会を務めるのは、それから14年後の1999年となっています)
吉田照美はフリー転向後は「夕やけニャンニャン」「11PM」「ぴったし カン・カン」の司会で人気を博していた
それでも、吉田照美さんは、その後、
フジテレビの「夕やけニャンニャン」(1985年~1987年)、

「夕やけニャンニャン」より。
日本テレビの「11PM」(1985年~1990年)、

「11PM」より。
TBSの「ぴったし カン・カン」(1985年~1986年)、
などの司会を務め、見事、テレビパーソナリティーとしても人気を博しています。
吉田照美はフリー転向後も文化放送の番組に出演し昼の帯ワイドの基盤を確立していた
また、吉田照美さんは、その一方で、文化放送の番組にも出演し続けており、
1987年4月3日に、(1980年10月6日から放送開始していた)「吉田照美のてるてるワイド(1985年4月に「新てるてるワイド 吉田照美のふッかいあな」に改名)が終了した後も、
1987年4月、午後1時からの昼の帯番組「吉田照美のやる気MANMAN」の放送が始まると、以降、2007年まで20年に渡って司会を担当し、昼の帯ワイドの基盤を確立しています。
吉田照美は42歳の時に「吉田照美のやる気MANMAN」で昼番組におけるニッポン放送超えを達成していた
ちなみに、当時、ラジオの昼の時間帯(ゴールデンタイム)の聴取率は、ニッポン放送が首位の座に君臨していたことから、文化放送は、ニッポン放送超えを狙って吉田照美さんにオファーをしたそうで、
吉田照美さんは、その時のことを、
また文化放送は最悪なオファーを出すなぁと思いましたね。この時はフリーになっていましたが、仕事は欲しいし(笑)。でも、あの枠は誰がやっても勝てなかったんです。
それぐらい、いまに哲夫さんは強かった。(ニッポン放送の「いまに哲夫の歌謡パレードニッポン」が首位の座に君臨)
昼間って、静かなしゃべりで、音楽のチョイスもよくて、リスナーのさりげない投稿を読んで……なんて、全部ボクがやってないことでしょう(笑)。
だからどうしようかと、最初は迷いがありました。とはいえ、ボクのしゃべりは変えられないし、変わらない。それなら主語も今まで通り『オレ』、たまに『ボク』、時々は『わたし』でいいやと(笑)
と、語っているのですが、
当初は2位と3位を行ったり来たりしていた時間帯聴取率も、放送開始から3年目には曜日別では1位を取る日が出るようになり、1993年には、ついに、時間帯聴取率で1位を獲得し、悲願だったニッポン放送超えを達成したそうで、
吉田照美さんは、昼番組では「やる気MANMAN」、深夜番組では「セイ!ヤング」「てるてるワイド」で、ニッポン放送超えを達成したのでした。
吉田照美は40代の時には「進め!電波少年」に出演するほか「どうーなってるの?!」で司会
そんな吉田照美さんは、1990年代には、日本テレビの「進め!電波少年」で「渋谷のチーマーを更生させよう」というコーナーに出演するほか、
1999年には、フジテレビの平日午前帯番組「どうーなってるの?!」の司会を担当するなど多方面で活躍しています。
吉田照美は55歳の時に小島嵩弘とのユニット「YK型」として「卍固めでTurn The Night」をリリース
また、吉田照美さんは、2006年7月19日には、小島嵩弘さんとのユニット「YK型」として、ファーストシングル「卍固めでTurn The Night」をリリースするなど、音楽活動もしています。

「卍固めでTurn The Night」
吉田照美は74歳の時に絵で文部科学大臣賞を受賞していた
さらに、2005年頃からは、本格的に油彩に取り組み始め、個展も開催すると、
2022年、71歳の時には、「第74回三軌展」で作品「輪郭を喪失する時代」が三軌会賞を受賞するほか、
2025年5月、74歳の時には、「第77回三軌展」で作品「ピカソの遺言 私に乾杯を!」が文部科学大臣賞に輝いています。

2025年、「第77回三軌展」で文部科学大臣賞を受賞した吉田照美さん。
吉田照美の現在は?
そんな吉田照美さんは、2020年頃からは、SNS上での活動を活発化させるほか、文化放送の「てるのりのワルノリ」「伊東四朗・吉田照美 親父・熱愛」で司会を務めるなど、精力的に活動していたのですが、
2025年9月9日には、体調不良のため入院療養していることとしばらく活動を休止することが発表されました。
ただ、その後、同年9月19日には、同日、退院し(9月7日から入院)、自宅療養を経て、9月27日放送の「てるのりのワルノリ」「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(生放送)」出演で活動を再開することが発表されると、
吉田照美さんは、9月27日には、発表通り、同日放送の「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛」に生出演しています。
(ちなみに、「てるのりのワルノリ」は、この9月27日で放送終了)
「吉田照美は体調不良で入院し活動休止していた!病状は?復帰は?」に続く
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1997年から続く長寿ラジオ番組「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛」でパーソナリティーを務めるほか、2023年からは、「てるのりのワルノリ」でパーソナリティーを務め、明るく元気なイメージだった、吉田照美(よしだ てるみ)さ …







