1950年代からピアニストとして活動を始めると、70年以上という長きに渡り、ニューヨークを拠点に精力的に活動を続け、2023年と2025年には来日公演も行っている、秋吉敏子(あきよし としこ)さん。

そんな秋吉敏子さんは、プライベートでは、結婚を2回、離婚を1回しているのですが、今回は、秋吉敏子さんの前夫(最初の夫)チャーリー・マリアーノさんとの、馴れ初め、離婚に至るまでの経緯、離婚理由、子供(娘)についてご紹介します。

秋吉敏子とチャーリー・マリアーノ

「【画像】秋吉敏子の若い頃から現在までのアルバム(CD)ほか経歴は?」からの続き

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秋吉敏子の前夫(最初の夫)チャーリー・マリアーノとの馴れ初めは?

秋吉敏子さんは、1959年、29歳の時、アルト・サックス奏者のチャーリー・マリアーノさんと結婚しています。

秋吉敏子さんは、1956年にバークリー音楽院に留学すると、同時にアメリカで音楽活動も始めているのですが、

そんな中、バークリー音楽院で教鞭を取っていたチャーリー・マリアーノさんと知り合い、やがて、交際、結婚に至ったそうで、結婚後は、現地にとどまることを決めたそうです。

秋吉敏子は前夫(最初の夫)チャーリー・マリアーノと「トシコ=マリアーノ・カルテット」を結成していた

そんな秋吉敏子さんは、チャーリー・マリアーノさんと、「トシコ=マリアーノ・カルテット」を結成し、音楽活動を展開すると、1961年には、チャーリー・マリアーノさんと共に日本でも公演を行ったそうです。

また、この時の滞在で、秋吉敏子さんは、サックス奏者の渡辺貞夫さんら日本人奏者とアルバム「トシコ、旧友に会う」を制作するほか、渡辺貞夫さんに留学するようアドバイスをしたといいます。

秋吉敏子の前夫(最初の夫)チャーリー・マリアーノとの離婚理由は?

また、秋吉敏子さんは、2年後の1963年にも、再び来日しているのですが、この時は、妊娠していたことから、そのまま日本に留まって長女を出産し、しばらくは育児に専念したそうで、

その後、1965年にチャーリー・マリアーノさんの待つニューヨークに戻ったそうですが・・・

チャーリー・マリアーノさんは、前妻との家族の問題に巻き込まれており、ほどなくして別居となると、そのまま、1965年に離婚したのだそうです。

秋吉敏子は前夫(最初の夫)チャーリー・マリアーノとアルバム「TOSHIKO MARIANO QUARTET」をリリースしていた

ちなみに、秋吉敏子さんは、1960年には、チャーリー・マリアーノさんと結婚してすぐに録音したアルバム「TOSHIKO MARIANO QUARTET」をリリースしているのですが、

このアルバムには、童謡”七つの子”のメロディーに着想を得た秋吉敏子さんの代表曲”LONG YELLOW ROAD”や、チャーリー・マリアーノさんが秋吉敏子さんに捧げた「LITTLE T」が収録されているほか、2人のぴったりと息の合った演奏も聴くことができます。

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秋吉敏子の子供(娘)はMonday満ちる

また、秋吉敏子さんは、1963年には、チャーリー・マリアーノさんとの間に娘を1人出産しているのですが、

その娘さんは、8歳の時にモダン・ダンスとバレエを、11歳の時にはフルートを始めると、当初は、「秋吉満ちる」名義で女優として活動し、1987年には、映画「光る女」で「第11回日本アカデミー賞新人俳優賞」を獲得しています。

その後、秋吉満ちるさんは、シンガーソングライターに転身し、1991年にアルバム「mangetsu」をリリースしているのですが、この時に、芸名を「秋吉満ちる」から「Monday満ちる」に改名すると、

以降、

ほか、数多くのアルバムを発表しています。

「秋吉敏子の夫(再婚相手)はルー・タバキン!結婚後の夫婦関係は?現在は?」に続く

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