東映退社後は、活動の場を舞台に移すも、鳴かず飛ばずだったという、石倉三郎(いしくら さぶろう)さんは、日劇ミュージックホールに活動の場を移したそうですが、
そんな中、ひょんなことで坂本九さんに気に入られ、坂本九さんのステージの司会のオファーを受けると、その後、プライベートでも坂本九さんとの交流が始まったそうです。
また、その後には、「ツービート」として売出し中だったビートたけしさんから声をかけられたのをきっかけに、ビートたけしさんとも仲良くなり、兄と慕うようになったといいます。
今回は、石倉三郎さんの下積時代(坂本九の司会時代~「チャップリンズ」時代)を坂本九さんやビートたけしさんとのエピソードを交えてご紹介します。

「石倉三郎が若い頃(下積時代)は高倉健の紹介で東映の大部屋俳優になっていた!」からの続き
石倉三郎が26歳~29歳の頃は舞台で活動するも役がつかず鳴かず飛ばずだった
高倉健さんに東映東京撮影所を紹介してもらい、大部屋俳優を5年間続けるも、スタッフからの理不尽なイジメにブチ切れ、スタッフを殴って東映を退社したという石倉三郎さんですが、
その後は、舞台に活動の場を移すも、通行人の役やその他大勢の役ばかりで、それから3年経っても役がつかず、鳴かず飛ばずの日々を送っていたそうです。
(この頃、お母さんが他界され、仕送りはしなくてよくなったそうです)
石倉三郎は29歳頃に坂本九からオファーを受けステージの司会を2年間務めていた
そこで、石倉三郎さんは、舞台を諦め、日劇ミュージックホールへと活動の場を移したそうですが、
そんな中、突然、坂本九さんから、電話で、
サブ、どうしてるの?オレの(ステージの)司会やってくれないか
と、ステージの司会のオファーがあったそうで、
(司会をやったことがなかったことから)戸惑いつつも「頑張ります」と言って、このオファーを引き受けたそうです。
(以前、石倉三郎さんは、坂本九さんとフランキー堺さんの「雲の上団五郎一座」というお芝居に出演したことがあったそうですが、その際、楽屋で白木みのるさんにちょっとした親切をしたことがあったそうで、それを坂本九さんが見ていて、気に入ってくれたそうです)
とはいえ、全く自信がなかったことから、全国ツアーに出る前に東京で予行演習のステージを行ったそうですが、
それを見ていた坂本九さんの事務所の社長が、
九ちゃん、何考えてるの?あれ(石倉三郎さんのこと)、チンピラでしょ。チンピラを司会にしてどうするの
と、激怒しているのを、石倉三郎さんは、偶然聞いてしまったといいます。
そんな中、石倉三郎さんは、怒りとやるせなさで帰り支度をしていたそうですが・・・
そこへ、坂本九さんがやってきて、
おい、サブよ、行くぞ
と、言ったそうで、
石倉三郎さんが、さっきの話を聞いてしまったことを坂本九さんに話したそうですが、
坂本九さんはというと、笑いながら、
社長?関係ないよ。お前はオレと付き合ってるんだから関係ないじゃないかよって。それで(話は)終わった
と、言ったそうで、
(石倉三郎さんは、男気溢れる坂本九さんの言葉に救われたそうです)
それから2年間、石倉三郎さんは、坂本九さんのステージの司会を務めたのだそうです。
また、契約の2年が終わると、坂本九さんは、今度はマネージャーのオファーをくれたそうですが、石倉三郎さんが、もう少し舞台をやってみたい旨を伝えると、坂本九さんは、「そうか、頑張れよ」と言ってくれたのだそうです。
(坂本九さんとはその後もプライベートで交流が続いたそうです)
石倉三郎は仲人予定だった坂本九の事故死を受け、喪に服して結婚式と披露宴を1年延期していた
そんなことから、石倉三郎さんは、坂本九さんを本当のお兄さんのように慕うようになっていたそうで、石倉三郎さんが1985年に結婚する際には、坂本九さん夫婦に仲人を頼むと、坂本九さんも喜んで引き受けてくれたそうですが・・・
この年(1985年)8月12日、坂本九さんが乗っていた日航機が御巣鷹山に墜落するという事故(日本航空123便墜落事故)が起こり、坂本九さんは他界。
石倉三郎さんは、喪に服し、結婚式と披露宴を1年延期したのだそうです。
(ちなみに、坂本九さんの死去が報じられた8月12日、偶然にも、スポーツ誌で石倉三郎さんの婚約が報じられたそうで、石倉三郎さんは、この悲しい偶然に、「ありえない」と思ったそうです)
石倉三郎は29歳の時に漫才コンビ「チャップリンズ」を結成するも全くウケなかった
その後、石倉三郎さんは、1975年、29歳の時、舞台で知り合った仲良太郎さんに誘われ、「チャップリンズ」という漫才コンビを組み、浅草松竹演芸場に出演したそうですが・・・
まるでウケなかったといいます。
石倉三郎は29歳頃にビートたけしと知り合い兄貴と慕うようになっていた
そんな中、石倉三郎さんは、この頃、ビートたけしさんと知り合ったそうですが、
ある時、石倉三郎さんが「チャップリンズ」として浅草の松竹演芸場に出演し、休憩時間に楽屋に一人でいると、(漫才コンビ「ツービート」として売り出し中だった)ビートたけしさんが、
おじさん、なんか東映上がりで、演芸場で浮いてるらしいな
と、話しかけてきたそうで、
石倉三郎さんは、
うっせえなこの野郎
と、思い、
何だよ、お前、その言い方は
と、怒鳴ったそうですが、
ビートたけしさんは、
俺も嫌われているから、どうだい飲まないか。金ならあるから
と、誘ってきたそうで、
そこから2人で近所のビアホールに飲みに行くと、石倉三郎さんは、ビートたけしさんの奢(おご)りでガンガン飲んだそうで、
以降、石倉三郎さんは、ビートたけしさんを兄貴分として慕うようになったのだそうです。
(今では考えられない話ですが、2人は夜な夜な街に繰り出しては、チンピラなどに絡んでいたそうです)
石倉三郎は29歳~30歳頃に「チャップリンズ」を解散していた
ちなみに、この日、石倉三郎さんは、ビートたけしさんと飲んだ後、演芸場に帰って夜の部に出演したそうですが、酔っ払っていて訳が分からなくなっていたのが良かったのか、お客さんにウケたそうで、
石倉三郎さんは、この時、
何かをつかんだのかもしれない
と、思ったそうですが・・・
結局、「チャップリンズ」は、売れることなく、結成から10ヶ月で解散したのだそうです。
「【画像】石倉三郎が若い頃はレオナルド熊と共にブレイクするも不仲だった?」に続く
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東映退社後は舞台に出るも鳴かず飛ばずで、その後、漫才に転向するも、相変わらずパッとしない日々が続いていたという、石倉三郎(いしくら さぶろう)さんは、33歳の時には、ついに芸能界を引退し、トマトの水耕栽培会社の立ち上げに …







