若い頃は、血気盛んでケンカっ早く、高倉健さんに紹介してもらって入った東映も、ケンカが原因で退社していたという、石倉三郎(いしくら さぶろう)さん。
そんな石倉三郎さんには、”ケンカ最強伝説”があるそうで、山城新伍さんやビートたけしさんがテレビ番組やラジオ番組で語ったことにより広まったといいます。
今回は、石倉三郎さんの”ケンカ最強伝説”についてご紹介します。

「【画像】石倉三郎の若い頃(俳優復帰後)から現在までの出演ドラマ映画は?」からの続き
石倉三郎は暴力団の事務所に一人で乗り込んでいた
石倉三郎さんの”ケンカ最強伝説”の中でも特に有名なものに、「暴力団の事務所に一人で乗り込んだ」というものあるのですが、
これは、山城新伍さんがテレビ番組に出演した際、石倉三郎さんのことを「ケンカが強い俳優」として紹介し、
あいつは組事務所潰してるから
と、語ったことから広まったそうです。
ちなみに、石倉三郎さん本人によると、その筋の人に身に覚えのない言いがかりをつけられ、「おかしいじゃないか」と一人で暴力団の事務所に乗り込んだといいます。
石倉三郎はナイフで睾丸を切られ14針縫っていた
そんな石倉三郎さんは、路上でタクシーに乗ろうとしたところ、酔っぱらいが割り込んできたことから、殴り合いのケンカになったそうで、
なんと、睾丸をナイフで切られて大出血し、14針も縫う大ケガを負ったこともあったといいます。
石倉三郎は新宿で大ゲンカし頬骨と鎖骨を骨折するも翌日は映画の撮影に臨んでいた
また、石倉三郎さんには、「新宿で大ゲンカしていた」という噂もあるのですが、
石倉三郎さんは、ビートたけしさん主演の映画に、ビートたけしさんのマネージャー役で出演したことがあったそうですが、その映画のクランクインの前夜、東京・歌舞伎町で、
(石倉三郎さんいわく「いろいろあって」)ケンカとなってしまい、この時のケンカで、石倉三郎さんは左の鎖骨や左のほお骨を骨折したといいます。
(これについて、石倉三郎さんは、「本当はケンカを止めに入った」と説明しています)
ただ、翌日の映画の撮影には、そのまま臨んだそうで、
石倉三郎さんは、
頬(ほお)はメガネをかけてうまいことごまかして、肩はセカンドバッグをワキに挟む(ようにして動かさない)芝居に急きょ変えた
と、語っています。
ちなみに、石倉三郎さんは、この時の骨折を治療せず、半年かけて自力で治したそうです。
石倉三郎はビートたけしとしばしば繁華街でチンピラを脅して飲んでいた
さらに、石倉三郎さんは、1975年頃、漫才コンビ「チャップリン」として活動していた時に、浅草の松竹演芸場でビートたけしさんと知り合ったそうですが、
その後、ビートたけしさんとは、しばしば、一緒に繁華街に行き、チンピラなどを脅して飲んでいたそうで、
石倉三郎さんは、
酔っ払いに絡まれたりすると、つい手が出てしまった
たけちゃんのケンカはね、ボクシングスタイルで結構パンチも速かった
と、語っています。
石倉三郎はヤクザに3回もスカウトされていた
そのほかにも、石倉三郎さんには、
- ヤクザの女性に手を出して斬られそうになった。
- ヤクザに3回スカウトされたことがある。
- 酔って目が覚めたら留置場にいた事がある。
- 山梨県で非合法カジノ(裏カジノ)を経営していた時、地元のヤクザと揉めて木刀で滅多打ちにされた。
など、まるで、マンガのようなエピソードが数多くあります。
そんな石倉三郎さんの”ケンカ最強説”が広まったのは、1981年頃、ビートたけしさんがラジオ番組「オールナイトニッポン」で石倉三郎さんの様々な武勇伝を語ったからだといいます。
石倉三郎のほかに「ケンカ最強伝説」を持つ芸能人は?
ちなみに、芸能界では、石倉三郎さんのほかにも、渡瀬恒彦さん、本宮泰風さん、宇梶剛士さん、生島ヒロシさんらが、”ケンカ最強伝説”を持っています。
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「石倉三郎と長渕剛は家族ぐるみの交流!出会いは家族ゲームⅡでの共演!」に続く
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「どら平太」、「座頭市」、「あなたへ」、大河ドラマ「功名が辻」、連続テレビ小説「ブギウギ」ほか、数多くの映画やテレビドラマに出演し、名バイプレイヤーとしての地位を確立している、石倉三郎(いしくら さぶろう)さん。 そんな …








