1971年に、「ザ・タイガース」が解散した後は、「タローとアルファベッツ」「森本太郎とスーパースター」など、バンドを結成するほか、音楽プロデューサーとしても活動すると、

1982年、「ザ・タイガース」再結成時には、作曲したシングル「色つきの女でいてくれよ」が大ヒットとなった、森本太郎(もりもと たろう)さん。

今回は、そんな森本太郎さんの、若い頃(「ザ・タイガース」解散以降)から現在までの経歴をシングルやアルバムほか作品を交えて時系列でご紹介します。

森本太郎

「【画像】森本太郎の若い頃(ザ・タイガース時代)のヒット曲ほか経歴は?」からの続き

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森本太郎は24歳の時に「タローとアルファベッツ」を結成していた

森本太郎さんは、1971年に「ザ・タイガース」が解散した後は、自身のバンドを結成するため、オーディションなどを行ってメンバーを集め、「タローとアルファベッツ」を結成すると、

  • 1971年5月「ふるさと/二人だけの結婚式」
    「ふるさと」
    「ふるさと」
  • 1971年10月「ママのいない朝/恋人のできる頃」
    「ママのいない朝」
    「ママのいない朝/恋人のできる頃」

と、シングルを2枚リリースしているのですが、

この頃は、グループ・サウンズの人気も下火になっていった時期だったこともあり、活動を維持していくことができなくなったそうで、解散しています。

森本太郎は26歳の時に「森本太郎とスーパースター」を結成していた

また、森本太郎さんは、「タローとアルファベッツ」解散後は、「森本太郎とスーパースター」を結成し、少し方向性を変えて、作曲家の平尾昌晃さんと作詞家の安井かずみさんに提供してもらった「望郷の旅」を1973年10月25日にリリースすると、

「望郷の旅」
「望郷の旅」

その後も、

シングルでは、

  • 1974年「若すぎた愛/太陽のロマン」
    「若すぎた愛」
    「若すぎた愛」
  • 1974年「さよならは僕のもの/どこへでも」

アルバムでは、

  • 1974年「若すぎた愛」

を、リリースするのですが、

「タローとアルファベッツ」の時と同じような活動になってしまい、1975年頃、活動を休止したそうで、

森本太郎さんは、

どちらも僕がリーダーとしてメンバーを集めたバンドなんです。オーディションしたりしてね。自分の音楽性自体はタイガース時代と大きな変化はなかったけど、自分のやりたいことをできたという意味では貴重な経験だったね。

これまでと違って、全部自分が考えて決めていかなくてはいけないから・・・メンバーがまだ若くて経験が少なかったし、相談できなくて孤独な気持ちになったこともありますけどね。

と、語っています。

森本太郎は29歳頃には芸能プロダクション「芸映」に入社し音楽プロデューサーとして活動していた

そんな森本太郎さんは、1975年、29歳の頃には、芸能プロダクション「芸映」に社員として入社し、音楽プロデューサーとして、作曲をメインに活動し、西城秀樹さん、岩崎良美さん、岸本加世子さん、河合奈保子さんらを手掛けたそうで、

森本太郎さんは、

(「芸映」在籍中は)派手な芸能活動はやっていないけど、お給料もらいながら音楽制作の仕事はアルバイトでやらせてもらってました。

と、語っています。

森本太郎は35歳の時に「ザ・タイガース」再結成の話が持ち上がると快諾していた

すると、1981年には、「ザ・タイガース」再結成の話が持ち上がったそうで、

(「日劇ウエスタンカーニバル」が取り壊されることになり、田邊昭知さんや内田裕也さんが、最後のウエスタンカーニバルをしようと、様々なグループサウンズのメンバーに声をかけてまわり、「ザ・タイガース」もそこに参加することになったそうです)

解散して10周年で区切りも良かったことや、いろいろあって脱退した加橋かつみさんから、

これを機会にまたやりたいね

と、言われたこともあり、

森本太郎さんも再結成への参加を快諾したそうです。

森本太郎は35歳の時に「ザ・タイガース同窓会」で作曲した「色つきの女でいてくれよ」が大ヒット

こうして、「ザ・タイガース」は再結成されたそうですが、瞳みのるさんが再結成に参加しなかったことから、「ザ・タイガース再結成」とは言えず、せめて、「同窓会」という形で活動したいということで、「ザ・タイガース同窓会」となったそうで、

「ザ・タイガース同窓会」は、1981年11月21日、第一弾シングル(通算16枚目)として、「十年ロマンス」をリリースしているのですが、森本太郎さんはこの作曲を担当しています。

「十年ロマンス」
「十年ロマンス」

また、森本太郎さんは、1982年2月5日にリリースされた、「ザ・タイガース同窓会」としての第二弾シングル(通算17枚目)「色つきの女でいてくれよ」でも、作曲を担当しているのですが(作詞は阿久悠さん)、

この「色つきの女でいてくれよ」は、「コーセー化粧品」のCMのイメージソングとして起用されたこともあり、大ヒットしたのでした。

(「ザ・タイガース」としては、1970年にリリースした「都会」以来、実に12年ぶりとなるオリコンチャートトップ10入りとなり、音楽番組「ザ・ベストテン」では、「ザ・タイガース」として唯一のランクイン曲で、最高位2位を記録するほか、10週連続トップ10内にランクインしました)

「色つきの女でいてくれよ」
「色つきの女でいてくれよ」

ちなみに、森本太郎さんは、「色つきの女でいてくれよ」を作曲することになった経緯について、

同窓会第一弾シングルで『十年ロマンス』を出した後、コーセーの口紅のCMソングの依頼があったんですよ。マネージャーの中井さんが阿久悠先生の歌詞を持って来てくれて僕と沢田とかつみに「競作だけど書いてみるか?」って。

僕と沢田が書いてきて、たしかかつみは書けなかったのかな?(その後、森本太郎さんの曲が選ばれたのでした)

おかげさまで売れました(笑)

と、語っています。

(森本太郎さんさんが作曲した曲では、この「色つきの女でいてくれよ」以外に、「青い鳥」も大ヒットとなっています)

森本太郎は35歳の時に「芸映」を退職していた

そんな中、森本太郎さんは、「ザ・タイガース」再結成(「ザ・タイガース同窓会」)にあたり、勤務していた芸能プロダクション「芸映」に、半年休みがほしいと願い出るも、

他の社員の手前、そういうことはできない

と断られたため、退職したそうですが、

不安は全くなかったそうで、

またこのメンバーとやれるな

と思うと、楽しくて仕方がなかったといいます。

森本太郎は42歳の時に「タイガース・メモリアル・クラブ・バンド」を結成していた

その後、期間限定の企画だった「ザ・タイガース同窓会」の活動が終了すると、森本太郎さんは、1982年、42歳の時には、音楽事務所「オフィスタロー」を設立しているのですが、

アイドルダンスユニット「リフラフ」(後のTRFのSAMさんが在籍)を世に送り出すほか、

1988年には、森本太郎さんの呼びかけで、グループサウンズのスターが結集した「タイガース・メモリアル・クラブ・バンド」を結成すると、ちょうど、グループ・サウンズがリバイバルする時代だったことも重なり、大反響を呼んだそうで、

それまでは、ライブハウスでやっていたメンバーたちが、ホールでやるようになり、地方へ行ってもお客さんが詰めかけてくれ、盛り上がったのだそうです。

ちなみに、森本太郎さんによると、独立後、いろいろな人のライブに参加した際、かつてのスターたちが小さなライブハウスで細々とやっているのを見て残念に思い、

一人一人では難しくても、みんな集まれば面白いことが出来るかもしれない

と、「タイガース・メモリアル・クラブ・バンド」を結成したのだそうです。

森本太郎は47歳の時に「ザ・タイガースマニア」を結成していた

そんな「タイガース・メモリアル・クラブ・バンド」の活動は1993年まで続いたそうですが、

その後、森本太郎さんは、同年、岩本恭生さん、加橋かつみさん、岸部四郎さんらと、「ザ・タイガースマニア」を結成すると、同年9月22日には、シングル「涙のロマンス」をリリースしています。

「涙のロマンス」
「涙のロマンス」

森本太郎は51歳の時に沢田研二、岸部一徳と共に「TEA FOR THREE」を結成していた

しかし、1997年には、森本太郎さんの事務所「オフィスタロー」が倒産。

すると、その後、森本太郎さんは、音楽の原点に立ち返るかのように、音楽活動を本格化させ、沢田研二さん、岸部一徳さんと共にロックユニット「TEA FOR THREE」を結成すると、同年には、シングル「君を真実に愛せなくては他の何も続けられない」をリリースしています。

「TEA FOR THREE」
「君を真実に愛せなくては他の何も続けられない」

ちなみに、森本太郎さんは、「TEA FOR THREE」を結成した経緯について、

初め、僕に『みんなのうた』(NHK)に流す曲の依頼が来たんですよ。シングルになった『君を真実に愛せなくては他の何も続けられない』のカップリングで『あなたが見える』という曲なんだけど。

そこで沢田と岸部一徳に相談したら三人でやろうということになったのがTEA FOR THREEだね。一曲やるだけじゃつまらないからレギュラーでラジオ番組を持ったり、あと実現はしなかったけどライブやアルバムを作る計画もあったんですよ

と、語っています。

森本太郎は52歳の時に「森本太郎とスーパースター」を再結成していた

また、森本太郎さんは、1999年5月22日には、「森本太郎とスーパースター」を再結成すると、

2019年11月6日には、シングル「A Lot of Good Friends」を再結成20周年記念ライブでリリースするほか、

「A Lot of Good Friends」
「A Lot of Good Friends」

アルバムも、

  • 2008年「J.S.T. ROCK’N’ROLL」
    「J.S.T. ROCK'N'ROLL」
    「J.S.T. ROCK’N’ROLL」
  • 2010年「To My Love」
    「To My Love」
    「To My Love」

とリリースし、

その後も、メンバーチェンジを繰り返しながら、2026年現在まで活動を続けています。

森本太郎が67歳の時には「ザ・タイガース」が「完全復活」を果たしていた

そして、2013年には、ついに、長年不在だったドラムの瞳みのるさんも加わり、「ザ・タイガース」が”完全復活”を果たすと、

2013年12月3日~27日にかけて、「ザ・タイガース」復活コンサートを東京ドームを含む全国8公演を行い成功させています。

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森本太郎の現在は?

そんな森本太郎さんは、「森本太郎とスーパースター」としての活動のほか、瞳みのるさんとジョイントコンサートを開催したり、毎年、自身の誕生日である11月18日前後には大規模なバースデーライブを開催しており、

2026年現在も、現役のミュージシャンとして活動を継続しています。

(公式サイトやブログなどを通じて、近況も発信しています)

「森本太郎は子供(息子)がいる?妻は?連帯保証人・岸部四郎とのその後は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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