1966年、初めて作詞を手掛け、「田代美代子とマヒナ・スターズ」に提供した「涙と雨にぬれて」が大ヒットを記録すると、これがきっかけで、作詞家として注目されるようになり、以降、歌手やアーティストに4000曲もの歌詞を提供し、「恋のハレルヤ」「天使の誘惑」「石狩挽歌」「時には娼婦のように」「北酒場」など、次々とヒットさせた、なかにし礼(なかにし れい)さん。
今回は、そんななかにし礼さんの、若い頃(作詞家デビュー以降)から死去までの代表作ほか経歴を時系列でご紹介します。また、最後に、著書の一覧もご紹介します。

「なかにし礼の若い頃は?石原裕次郎に訳詞家から作詞家への転身を助言されていた!」からの続き
なかにし礼は28歳の時に「裕圭子とロス・インディオス」に「涙と雨にぬれて」の作詞を提供するもはほとんど売れなかった
レコード会社「ポリドール・レコード」(現・ユニバーサル)のディレクター・松村慶子さんから訳詞を依頼され、菅原洋一さんに提供した「恋心」は全く売れなかったというなかにし礼さんですが、
渋谷のバーで、松村慶子さんと飲んでいると、松村慶子さんから、男性コーラスグループ「ロス・インディオス」のために、何かいい歌はないかと聞かれたそうで、
石原プロモーションに1年以上も預けたままにしてあるテープのことを話し、その場で、壁にかかっていたギターを借りて、自分で歌ってみせると、
松村慶子さんはその歌を気に入り、偶然にも、「石原プロモーション」から預かっていた新人歌手の裕圭子さんと「ロス・インディオス」をデュエットさせるというアイデアを思いついたそうで、
1966年、なかにし礼さんが28歳の時、「涙と雨にぬれて」として、「裕圭子とロス・インディオス」の歌唱により、ポリドール(現・ユニバーサル)からリリースされたそうですが・・・
ほとんど売れなかったそうです。

「涙と雨にぬれて(裕圭子とロス・インディオス)」
なかにし礼は28歳の時に「涙と雨にぬれて」が「田代美代子とマヒナ・スターズ」の歌唱により大ヒット
ただ、「涙と雨にぬれて」は、同時期の1966年10月、ビクターより、「田代美代子とマヒナ・スターズ」の歌唱でもリリースされると、こちらは大ヒットを記録したそうで、
これにより、なかにし礼さんの名前も音楽業界で知られるようになったそうです。

「涙と雨にぬれて(田代美代子とマヒナ・スターズ)」
ちなみに、田代美代子さんは、当時、「愛して愛して愛しちゃったのよ」の大ヒットで脚光を浴びていたシャンソン歌手で、「和田弘とマヒナスターズ」もブレイク中だったことから、相乗効果で大ヒットとなったそうですが、
なかにし礼さんは、かねてから、シャンソン喫茶「銀巴里」で、田代美代子さんと親しくしていたそうで、田代美代子さんは、訳詞家から作詞家に転身した友人であるなかにし礼さんの新たな出発を意気に感じ、自分も歌いたいと申し出て、「涙と雨にぬれて」を歌うことが決まったのだそうです。
なかにし礼は29歳の時に菅原洋一に提供した「知りたくないの」が売上80万枚超の大ヒット
また、「田代美代子とマヒナ・スターズ」の「涙と雨にぬれて」の大ヒットにより、1965年に菅原洋一さんに提供するも全く話題にならなかった「知りたくないの」(シングル「恋心」のB面)も人気に火がついたそうで、
1967年、「恋心」とジャケットを入れ替えて再リリースすると、有線放送をきっかけに、同年春から夏にかけて、売上80万枚を超える大ヒットとなったそうで、
これまで、くすぶっていた菅原洋一さんも、一躍、人気歌手の仲間入りを果たしたのでした。

「知りたくないの」
なかにし礼は29歳の時に作詞を手掛けた「恋のフーガ」「生命のあるかぎり」「いとしのジザベル」がヒット
こうして、なかにし礼さんのもとには、シャンソンの訳詞ではなく、オリジナルの流行歌の作詞の注文が殺到するようになったそうで、
1967年には、作詞を手掛けた、
- 「恋のフーガ」(ザ・ピーナッツ)

「恋のフーガ」 - 「生命ある限り」(フランク永井)

「生命ある限り」 - 「いとしのジザベル」(ザ・ゴールデンカップス)

「いとしのジザベル」
などが、次々とヒットしたのでした。
なかにし礼は29歳の時に黛ジュンに提供した「恋のハレルヤ」が累計売上120万枚の大ヒット
そんな中、なかにし礼さんは、「石原プロモーション」の新人・黛ジュンさんのプロデュースを任され、1967年12月、黛ジュンさんに、「恋のハレルヤ」を提供すると、
累計売上120万枚となる大ヒットを記録し(1968年時点)、この年、「レコード大賞作詞賞」も受賞しています。

「恋のハレルヤ」
ちなみに、なかにし礼さんは、満洲で誕生しており、8歳の時、満洲から引揚船に乗って日本に帰国しているのですが、満洲では、ソ連軍の侵攻により全財産を失ってハルビンまで逃げ、ハルビンではタバコなどの物売りをしていたそうで、
そんな貧しい生活から解放され、晴れた空の下、まだ見たことのない祖国(日本)に帰れる喜びを抱いていた引揚船の中での思いを元に、この「恋のハレルヤ」を作ったといいます。
なかにし礼は29歳の時に黛ジュンに提供した「天使の誘惑」が日本レコード大賞を受賞
その後も、なかにし礼さんは、黛ジュンさんに、1967年、2枚目のシングル「霧のかなたに」の作詞を提供しているのですが、
1968年に作詞を提供した3枚目のシングル「乙女の祈り」(1968年1月リリース)は公称125万枚を売り上げる大ヒット、

「乙女の祈り」
同じく、作詞を提供した4枚目のシングル「天使の誘惑」(1968年5月1日リリース)も公称100万枚を売り上げる大ヒットとなり、

「天使の誘惑」
黛ジュンさんは、この年の「第10回日本レコード大賞」を受賞し、なかにし礼さんも日本を代表するヒットメーカーとしての地位を確立したのでした。
なかにし礼は36歳の時に北原ミレイに提供した「石狩挽歌」が日本作詩大賞を受賞
また、なかにし礼さんは、1975年、36歳の時には、北原ミレイさんに作詞を提供した「石狩挽歌」(1975年6月25日リリース)が、この年の日本作詩大賞を受賞しています。

「石狩挽歌」
なかにし礼は39歳の時に「時には娼婦のように」、43歳の時に「北酒場」が大ヒット
そんななかにし礼さんは、その後も、次々とヒット曲を世に送り出しているのですが、
特に、
は、大ヒットとなり、世代を超えて歌い継がれています。
また、「時には娼婦のように」は映画化もされているのですが、なかにし礼さんは、この映画において、原案・脚本・音楽のほか、主演も担当しています。
なかにし礼は73歳の時に食道ガンになっていた
また、なかにし礼さんは、1990年代後半からは、ワイドショー「ワイド!スクランブル」のコメンテーターを務めるようになっていたのですが、2012年3月5日の放送で、食道ガンであること、治療のために休業することを発表しています。
すると、その後、闘病してガンは寛解し、2012年10月には、仕事に復帰するまで回復するのですが、2015年3月には、ガンが再発し、再び、休養することを発表。
それでも、2015年9月には、再発したガンが消えたことを「週刊現代」のインタビューで明かし、仕事も再開していたのですが・・・
なかにし礼は82歳で死去
2020年秋には、持病の心臓病が悪化し、療養を続けるも、同年12月23日午前4時23分、心筋梗塞により、東京都内の病院で、82歳で他界されたのでした。
なかにし礼の著書
そんななかにし礼さんは、作詞のほか、数多くの著書も出版していますので、ご紹介しましょう。
小説
小説では、
- 「花物語」(1970年、新書館)
- 「昭和左膳只今参上」(1970年、東京スポーツ新聞社)
- 「大人の紙芝居・まぼろし劇場―丹下左膳 暁のG線上に死す」(1973年、継書房)
- 「兄弟」(1998年、文藝春秋)
- 「長崎ぶらぶら節」(1999年、文藝春秋)※第122回直木三十五賞受賞
- 「赤い月」(2001年、新潮社)
- 「てるてる坊主の照子さん」(2002年、新潮社)
- 「夜盗」(2003年、新潮社)
- 「さくら伝説」(2004年、新潮社)
- 「黄昏に歌え」(2005年、朝日新聞社)
- 「戯曲 赤い月」(2005年、河出書房新社)
- 「戦場のニーナ」(2007年、講談社)
- 「世界は俺が回してる」(2009年、角川書店)
- 「夜の歌」(2016年、毎日新聞出版)
- 「血の歌」(2021年、毎日新聞出版)
エッセイ・回想
エッセイ・回想では、
- 「ズッコケ勝負―終わりなき愛の遍歴」(1969年、双葉社)
- 「青春の愛について」(1972年、新書館)
- 「遊びをせんとや生まれけむ~なかにし礼の作詩作法」(1980年、毎日新聞社)
- 「音楽への恋文」(1987年、共同通信社)
- 「翔べ!わが想いよ」(1989年、東京新聞出版局)
- 「時には映画のように」(1997年、読売新聞社)
- 「愛人学」(1997年、河出書房新社)
- 「天上の音楽・大地の歌」(2001年、音楽之友社)
- 「道化師の楽屋」(2002年、新潮社)
- 「三拍子の魔力」(2008年、毎日新聞社)
- 「歌謡曲から『昭和』を読む」(2011年、NHK出版新書)
- 「人生の教科書」(2012年、ワニブックス)
- 「生きる力 心でがんに克つ」(2013年、講談社)
- 「天皇と日本国憲法 反戦と抵抗のための文化論」(2014年、毎日新聞社)
- 「生きるということ」(2015年、毎日新聞社)
- 「闘う力 再発がんに克つ」(2016年、講談社)
- 「芸能の不思議な力」(2018年、毎日新聞出版)
- 「がんに生きる」(2018年、小学館)
- 「わが人生に悔いなし 時代の証言者として」(2019年、河出書房新社)
- 「作詩の技法」(2020年、河出書房新社)
- 「愛は魂の奇蹟的行為である」(2021年、毎日新聞出版)
詩集
詩集では、
- 「エメラルドの伝説」(1969年、新書館)
- 「シャンソン詩集141・さらば銀巴里」(1991年、さがみや書店)
- 「なかにし礼訳詞によるモーツァルト歌曲集」(1991年、音楽之友社)
- 「昭和忘れな歌―自撰詞華集」(2004年、新潮文庫)
- 「金色の翼」(2014年、響文社)
- 「平和の申し子たちへ 泣きながら抵抗を始めよう」(2014年、毎日新聞社)
翻訳
翻訳では、
- ドーデ「哀愁のパリ・サッフォー」(1970年、角川文庫)
- ラディゲ「ラディゲ詩集」(1973年、彌生書房)
など、数多くの著書を出版しています。
「なかにし礼の兄が酷すぎて死去で万歳?著書「兄弟」はドラマ化も!」に続く
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