1979年、30歳の時、「京王観光」を退職して、家業である「サンミュージック」に入社すると、早見優さんや酒井法子さんをスカウトしてブレイクさせるほか、近年は、ダンディ坂野さん、カンニング竹山さん、鳥居みゆきさん、髭男爵、小島よしおさん、スギちゃんさん、メイプル超合金(カズレーザーさん、安藤なつさん)などの人気お笑い芸人を、次々と輩出してきた、相澤正久(あいざわ まさひさ)さん。
今回は、そんな相澤正久さんの若い頃(「サンミュージック」入社以降)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。

「相澤正久(相澤秀禎の息子)の生い立ちは?米留学後は「京王観光」に就職!」からの続き
相澤正久は29~30歳の時、「京王観光」でツアープランナーを続けることに迷いが生じていた
アメリカの大学を卒業後、旅行会社「京王観光」で、ツアープランナーとして楽しく仕事をする日々を送っていたという相澤正久さんですが、
やがて、大量輸送は限界が訪れ、旅行自体のスタイルが変わっていく(これからは、パッケージツアーのような作られた旅行ではなく、個人がカスタマイズする旅行になっていく)という話を聞き、専門的なプランナーは必要ないのでは、と悩み始めたといいます。
相澤正久は30歳の時に「サンミュージック企画」に入社していた
そんな中、父・相澤秀禎さん創業の「サンミュージック」の総務部長から、
30年後のことを考えて後継者になる気持ちはないか
と、打診されたそうで、
相澤正久さんは、もともと、芸能界に興味はなかったそうですが、
旅行業界と芸能界のどちらが面白いか比べてみると、旅行業界はすでに形が出来上がりつつあるのに対し、芸能界は、(その頃)アイドル全盛で、デビュー前の松田聖子さんに、森田健作さん、桜田淳子さんがいて、戦国時代のように感じ、
歌というものを通じて世の中を幸福にすることができるんじゃないか
と、芸能界の方が面白いのではと思ったそうで、芸能界に入る決断。
ただ、一人のタレントのライフサイクルだけに向き合う、タレントのマネジメントは、当時の相澤正久さんには少し視野の狭い仕事に思えたそうで、さほど興味がなく、
「もっと広い分野で勝負したい」と考え、1979年、30歳の時、「サンミュージック」の関連会社「サンミュージック企画」に入社したのだそうです。
そして、「サンミュージック企画」では、コマーシャルの制作、コンサートの企画、タレントのCMを売り込むプロモーター、として働くと、広告代理店との深い付き合いを通じ、”物を売ることと人を売ることの共通性”を学んだそうで、
当時、まだ珍しかった、”新人タレントをまずCMに使ってもらい、そこに歌をタイアップさせてデビューさせる”という戦略を展開していったのだそうです。
相澤正久は30歳~31歳の時に早見優をスカウトしブレイクさせていた
そして、「サンミュージック企画」に入社してしばらく経った頃(1980年)、前職(京王観光)の仕事の引継ぎで、アメリカ西海岸とハワイに行くことになったそうですが、
その際、社長だった父・相澤秀禎さんに、
ハワイにすごくいい子(早見優さん)がいると聞いているから、帰りに会ってこい
と、言われたそうで、その子(早見優さん)に会いに行くと、
(父の相澤秀禎さんも、知り合いから噂を聞いただけで、早見優さんには会ったことはなかったそうです)
14歳だった早見優さんは、ハワイ育ちの日焼けした健康的な美しさに加え、英語がペラペラ、さらに、日本語の敬語もきちんと話せる知的さを兼ね備えており、
これまでにないアイドルのタイプだ
と、相澤正久さんはすぐに気に入ったそうで、
帰国後、父・相澤秀禎さんにそのことを報告すると、
相澤秀禎さんからは、
おまえがいいと思ったんだからおまえが面倒見ろ
と、言われたそうで、
相澤正久さんは、早見優さんの担当を任されることになったのだそうです。
そんな相澤正久さんは、前年、松田聖子さんが資生堂のタイアップで成功したことを思い出し、早速、早見優さんも資生堂に売り込むと、ちょうど、新商品のオーディションがあったそうで、
早速、早見優さんに受けさせると、見事、初代イメージガールに選ばれたそうで、1982年4月には、ファーストシングル「急いで!初恋」でアイドル歌手としてデビューさせると、
早見優さんは、「帰国子女で英語がペラペラ」と、これまでにないアイドルとして、ブレイクしたのでした。

早見優さんと相澤正久さん。
(世間では、早見優さんは「ハワイの三越でスカウトされた」というのが定説となっていますが、相澤正久さんによると、この話は真実ではなく、ハワイにいた早見優さんに最初に会いに行ったのは、相澤正久さんだったそうです)
相澤正久は36歳頃、オーディションで酒井法子に才能を感じスカウトしていた
また、相澤正久さんは、
彼女(早見優さん)がやっていたヘアコロンシャンプー(資生堂)のイメージガールの後任を決めるオーディションを全国でやって、決勝大会を東京でテレビ局と組んで番組にしたり――。そんなことを全部自分でやれるという面白さが仕事を覚えていく醍醐味でした。
その中で覚えざるを得なくなるのが著作権や著作隣接権、商品化権、意匠権、それに肖像権などの権利関係。こういうことを実践で覚えられていったっていうことは、親父に感謝しなきゃいけないですね。「勝手にやっていい」と、縛らないでいてくれたおかげですから。
と、語っているのですが、
1985年10月、そのヘアコロンシャンプー(資生堂)のイメージガールの後任を決めるオーディションの九州地区の代表としてやってきたのが、当時14歳の酒井法子さんだったそうで、
当時、酒井法子さんは、まだどこか幼さの残る”田舎の少女”という印象だったそうですが、わずか2週間後に東京で開催された本選で再会した時には、ガラッと雰囲気が変わり、まるでレディのような気品を感じたそうで、その姿に、相澤正久さんは驚いたといいます。
そして、さらに、相澤正久さんを驚かせたのが、本選での「特技披露」だったそうで、酒井法子さんは、リハーサルでは、落語の「寿限無(じゅげむ)」を普通に披露していたそうですが、いざ本番が始まると、アドリブで、博多弁バージョンの「寿限無」を披露したそうで、
自分の見せ方を知っている酒井法子さんの才能に、相澤正久さんは強い衝撃を受けたといいます。
それでも、残念ながら、酒井法子さんは、オーディションでは1位を逃してしまったそうですが、相澤正久さんは、その努力と輝きを見抜き、迷わず酒井法子さんをスカウトしたそうで、
実際、その後、酒井法子さんは、またたく間にトップアイドルの階段を駆け上ってその愛くるしい笑顔で日本中を虜にし、さらには、日本のみならず、台湾や香港などアジア全域で絶大な人気を誇るようになったのでした。
相澤正久は酒井法子の逮捕に関して無念さを滲ませていた
そんな酒井法子さんに対し、相澤正久さんは、酒井法子さんが高校生の時には、勉強を教えてあげるなど、本当の娘のように思っていたそうで、
酒井法子さんが、1998年の結婚をきっかけに、2009年には、当時の夫とともに、覚せい剤取締法違反で逮捕されたことに関して、
できちゃった結婚でしたからね。翌年にも香港でのコンサートが決まっていたのを、報告を受けて急遽延期してもらったり、と慌てたのはよく覚えています。
事件はもちろん全然想像もしていなかったけれど、やっぱり結婚相手がどうだったのかなと思いますよ。小さい頃から複雑な家庭環境で人間関係に苦労していたのか、まわりの人にとにかく気を遣う少女でした。
だから、「みんなでファミリーになって、本音を言える関係を築こう!」ってやってきたんですけれど・・・
15歳から芸能界で活躍していて、大人になってからの初めての知らない世界で。(当時の夫の)ワルっぽいところが魅力的に見えてしまったところがあるんでしょう。
と、誰よりも周囲を思いやっていた酒井法子さんが道を踏み外してしまったことに、無念さを滲ませています。
また、相澤正久さんは、酒井法子さんが「サンミュージック」を離れた後も、誕生日に花を贈り合うなど、現在も連絡を取り合い、家族だと思う気持ちは変わらないそうで、
うちの女性タレントたちを見ていると、彼女たちの人生が、結婚後、男性によって大きく左右されていることが多いように思います。
私が男性を選ぶうえで大切だと思うのは、自分本位ではなくて相手の立場になって考えられる人だね。あとは同じ時間を過ごしてくれる人。そして何と言っても、言動が一致している人がイチバンだよ。
結婚相手には、こういう男性を選んでほしいですね。具体的に言うと、早見優の旦那さんみたいな方がいいかな(笑)
と、語っています。

相澤正久さんと酒井法子さん。
相澤正久は41歳頃、「サンミュージック」にお笑い部門の立ち上げを提案するも猛反対に遭っていた
さておき、企画制作で強力にバックアップするほか、早見優さんや酒井法子さんをトップアイドルに導いた相澤正久さんは、その後も、コマーシャルの制作やイベントの運営に携わっていたそうですが、
1990年代初頭、テレビ業界に、低予算で高視聴率を狙うバラエティ番組の波が押し寄せ、「タモリのボキャブラ天国」「電波少年」「爆笑オンエアバトル」などの番組が次々とヒットするのを目の当たりすると、
かつて、アメリカ留学時代に肌で感じていた、エンターテイメントの3本柱(シンガー、アクター、コメディアン)という概念を思い出したそうで、
当時の日本の芸能界には、「歌手から俳優へ」という流れはあっても、「コメディアン」という柱がなかったことから、相澤正久さんはこの隙間を埋めるべく、「サンミュージック」にお笑い部門の立ち上げを提案したといいます。
しかし、アイドル事務所としてのプライドを持つ会社側の反応は、極めて冷ややかで、
うちは吉本さんじゃないんだよ
と、一蹴され、
サンミュージックはアイドルの事務所なのに、お笑いをやっていったいどうなるんだ
と、ものすごい反対に遭ったのだそうです。
また、(歌手や芝居で勝負してきた)畑違いの「サンミュージック」が、お笑い界で圧倒的な王者の座に君臨する「吉本興業」に対し挑むことには、社外の反応も冷ややかだったといいます。
相澤正久は49歳の時、お笑い部門プロジェクト「GET」を立ち上げお笑い芸人の育成に力を入れていた
それでも、相澤正久さんは、周囲の反対を押し切る形で、1998年、お笑い部門プロジェクト「GET」を立ち上げると、
お笑いは好きだったものの、お笑いの育成経験がなかったことから、森田健作さんの付き人からお笑い芸人に転向していた「ブッチャーブラザーズ(岡博之さん、山部薫さん)」にプロデュースを依頼し、お笑い芸人の育成に力を入れ始めたそうで、
相澤正久さんは、
ここから会社に新しい風を吹き込むんだという気持ちで、とにかく必死でした
と、語っています。
相澤正久が54歳の時、ダンディ坂野が「ゲッツ!」で大ブレイク
ただ、設立から5年間は、これといったヒットがなく、相澤正久さんは、役員会に出席しても、実績がないため、肩身が狭い思いをしたそうで、まさに、針のむしろ状態だったそうですが、
それでも、大好きなお笑いを信じ、所属タレントを全力でサポートし続けると、2003年(相澤正久さん54歳)、突如として、ダンディ坂野さんが「爆笑オンエアバトル」(NHK)で披露した「ゲッツ!」がウケて、爆発的なブームが巻き起こり、
このブレイクが突破口となり、ようやく「サンミュージック」の芸人たちが注目されるようになったそうで、
2004年には、「サンミュージックプロダクション」の代表取締役社長に就任すると、以降、カンニング竹山さん、鳥居みゆきさん、髭男爵、小島よしおさん、スギちゃんさん、「メイプル超合金」(カズレーザーさん、安藤なつさん)など、次々と、売れっ子芸人を輩出したのでした。

(左から)安藤なつさん、相澤正久さん、カズレーザーさん。
相澤正久の現在は?
そんな相澤正久さんは、2023年には、「サンミュージックプロダクション」代表取締役会長に就任しており、
今後の展望として、
まずベースとしての歌とドラマとお笑いをきっちり押さえていかないといけないと思っています。
そして、今までは、我々が発掘して育成する時代でしたが、それだけではなく、既にその分野で押しも押されもせぬプロフェッショナルな方たちのテレビ等の出演をお手伝いし、メディアに露出することによってさらにその方たちの知名度を上げるという仕事を始めています。
そこにはオリンピックもあって、スポーツコメンテーターとしてのスポーツ選手のマネジメントも視野に入れています。それから、最初の歴史好きの話に戻りますが、歴史を学んでいくと、どうしても、外交問題、国際情勢に行き着きます。
国際社会の中における日本の位置づけを考えますと、防衛ジャーナリストや外交ジャーナリストの方たちが発言する場を広げるお手伝いをすることも大事だと思っています。
と、語っています。
相澤正久は結婚している?子供は?
相澤正久さんは、プライベートについてほとんど明かしておらず、結婚しているのか、子供がいるのかも不明です。
ただ、「相澤康幸」さんという方が、「サンミュージック」傘下の「株式会社 SAY HO」の代表取締役と「肖像パブリシティ権擁護監視機構」の理事長を務めており、
写真を拝見すると、なんとなく相澤正久さんに似ているような気もするのですが、この方が相澤正久さんの息子さんであるかどうかは不明です。

相澤康幸さん。
さて、いかがでしたでしょうか。
相澤正久さんの、
- 相澤正久(相澤秀禎の息子)の生い立ちは?米留学後は「京王観光」に就職!
- 相澤正久のプロフィール
- 相澤正久は大学生の時、アメリカ近代史を勉強するためアメリカ留学していた
- 相澤正久は23歳の時にアメリカ留学から帰国すると自宅にタレントの卵が住んでいて驚いていた
- 相澤正久はアメリカ留学から帰国後は「京王観光」に就職していた
- 相澤正久は「京王観光」に入社後はツアープランナーとして様々なツアーを作り出していた
- 相澤正久(相澤秀禎の息子)の若い頃から現在までの経歴は?結婚は?子供は?
- 相澤正久は29~30歳の時、「京王観光」でツアープランナーを続けることに迷いが生じていた
- 相澤正久は30歳の時に「サンミュージック企画」に入社していた
- 相澤正久は30歳~31歳の時に早見優をスカウトしブレイクさせていた
- 相澤正久は36歳頃、オーディションで酒井法子に才能を感じスカウトしていた
- 相澤正久は酒井法子の逮捕に関して無念さを滲ませていた
- 相澤正久は41歳頃、「サンミュージック」にお笑い部門の立ち上げを提案するも猛反対に遭っていた
- 相澤正久は49歳の時、お笑い部門プロジェクト「GET」を立ち上げお笑い芸人の育成に力を入れていた
- 相澤正久が54歳の時、ダンディ坂野が「ゲッツ!」で大ブレイク
- 相澤正久の現在は?
- 相澤正久は結婚している?子供は?
について、ご紹介しました。
アメリカ留学で培った広い視野と企画力を武器に、旅行会社「京王観光」でツアープランナーとして活躍すると、「サンミュージック企画」入社後は、早見優さんや酒井法子さんの才能を見い出すほか、社内の反対を押し切って、お笑い部門を立ち上げるなど、見事、父・相澤秀禎さんが創業した「サンミュージック」を発展させてきた相澤正久さん。
そんな相澤正久さんは、現在も「サンミュージック」の代表取締役会長として、歌、ドラマ、お笑いを軸に、スポーツやジャーナリズムといった新たな分野にも目を向けており、今後、エンターテインメント界にどんな新風を吹き込んでいくのか、引き続き注目です!
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