1969年、デビュー映画「夕月」で、いきなり、元気と真っ直ぐな人柄を武器に青春スターとして人気を集めると、1974年には、社会派映画「砂の器」で演技力でも高い評価を受け、人気実力ともに獲得すると、その後は、政界でも活躍した、森田健作(もりた けんさく)さん。
そんな森田健作さんは、幼い頃は、警視庁の刑事だったお父さんのもとに誕生すると、幼い頃は、不在がちだったお父さんに不満を抱くも、お母さんの「お父さんは街を守っている」という言葉を聞いてお父さんを尊敬するようになり、
また、お母さんから教えられた”挨拶”と”ありがとう”の大切さを胸にすくすくと育つと、中学時代には、剣道で才能を発揮するなど、青春スターをリアルでいくような10代を送ったといいます。
今回は、そんな森田健作さんの生い立ち(幼少期から高校時代まで)をご紹介します。

森田健作のプロフィール
森田健作さんは、1949年12月16日生まれ、
東京都大田区久が原の出身、
身長175センチ、
血液型はO型、
学歴は、
大田区立矢口東小学校
⇒大田区立安方中学校
⇒私立正則高等学校
⇒明治学院大学法学部中退
趣味は、ガーデニング、
だそうです。
森田健作の本名は?
森田健作さんの本名は「鈴木栄治(すずき えいじ)」です。
ちなみに、両親は、もともと「善治(ぜんじ)」という名前を考えていたそうですが、近所に同名の故人がいたことから、「栄治」としたのだそうです。
また、愛称は「モリケン」です。
森田健作が幼い頃は刑事の父親はほとんど家にいなかった
森田健作さんは、警視庁の刑事だったお父さんの亀男さんと、お母さんのぬい子さんのもと、5人きょうだい(兄1人、姉1人、弟1人、妹1人)の第3子として誕生すると、
(お兄さんは幼い頃に目のガンで他界されたそうです)
お父さんは、刑事だったため、ほとんど家におらず、特に、台風などの有事ほど不在で、家族旅行の思い出はほとんどなく、休み明けに、友人から「どこに行った?」と聞かれるのがとても嫌だったそうです。
そして、お母さんに不満を漏らすと、
お父さんが街を守っているからこそ、友達も安心して遊べるんだよ
と、諭され、
幼心に釈然としない思いはありつつも、その言葉に納得せざるを得なかったそうです。
森田健作が幼い頃は両親から「挨拶」と「ありがとう」を言うよう育てられていた
ちなみに、お父さんの職業が刑事ということで、厳格な家庭だと思われることがあるそうですが、実際には、全くそんなことはなく、両親とも頑固な一面はあっても、押さえつけられることはなかったそうです。
ただ、両親からは、いつも、大きい声で挨拶をすることと、感謝の気持ちはちゃんと声に出さないと相手に伝わらないため、「ありがとう」と、声に出して言うように、よく言われたそうです。
森田健作が幼い頃は刑事の父親を尊敬し警察官になりたいと思っていた
すると、成長した森田健作さんは、家庭を顧みず公に尽くすお父さんに対し、やがて、尊敬の念を抱くようになり、
お父さんもまた、たまに顔を合わせる息子に、日本の未来を託すかのように、
日本はすごい大きな国になる。だから、国際社会で生きていけるような人になれ。いずれは日本の為に尽くせるような男になれ。
と、言うようになり、
森田健作さんは、自然と、将来は(お父さんのような)警察官になりたいと思うようになったそうです。
森田健作は小学6年生の時に父親の言いつけで剣道を習い始めていた
そして、小学校6年生の夏からは、お父さん(剣道三段)の言いつけで、母方の親戚で埼玉県蕨市に道場を構える、奥田芳太郎さんの下で剣道を習い始めたそうです。
森田健作は中学2年生の時に成績が振るわず自暴自棄になるも母親の言葉で元気を取り戻していた
ただ、中学生になると、団塊の世代で子供の数が多く、激しい受験競争の真っ只中だったそうで、中学2年生になり、周囲が塾や家庭教師に頼り始めたそうですが、経済的に余裕がなかった森田健作さんは、自習のみの勉強だったそうで、
成績は振るわず、教師から、
このままでは就職するしかないぞ
と、言われたそうで、
頑張ってはいるものの、結果が出ない悔しさから、次第に自暴自棄になっていったといいます。
そんな夏のある日、縁側でスイカを食べていると、お母さんに、
栄治(森田健作さんの本名)、人間はみんな必要があって生まれてきた。おまえにも良い部分が必ずある。それを見つけてがんばれ。
通信簿の備考欄にいつも『毎朝、元気に挨拶ができる』と書かれているのに、最近のおまえは暗くて声が出ていないし、声にハリもない。それじゃ、おまえのいいところが何も生かせていないということじゃないか
と、言われたそうで、その時は聞き流していたそうですが、
1ヶ月ほど経つと腑に落ち、
そうだよな、俺は剣道をやったらいちばん強いしな。運動会で応援団の団長をやって、いちばんみんなを盛り上げるのは俺だ
勉強ができなくてもいいや、剣道を一生懸命やろう。元気なのが俺のいいところなんだから、いつもの自分に戻ろう
と、開き直って、”元気”という自分の長所を全開にし始めると、
先生からホームルームでの活躍や剣道の成果を褒められることが増え、比例するように勉強の成績も伸びていったのだそうです。
実は、やる気を失っていた森田健作さんを見かねた両親が、学校の先生と相談し、森田健作さんをその気にさせるよう”褒める作戦”を仕掛けていたのですが、
(森田健作さんが30歳を過ぎた頃、お母さんから聞かされたそうです)
森田健作さんは、その後、芸能界、政治の世界へと進む中で、常にこの”自分の良いところ”を大切にしてきたそうで、今の自分があるきっかけをくれたお母さんには感謝してもしきれないそうです。
森田健作は中学時代~高校時代は剣道で活躍していた
こうして、すっかり自信を取り戻した森田健作さんは、中学3年生の時には、対抗試合で中学生組の大将を務めて、高校生組の大将を打ち負かし、
高校1年生の時には、高野佐三郎(昭和初期剣道界の第一人者)直系の弟子で、範士(剣道における最高位)である恩師に、口頭でニ段を許されるほどの腕前となったのだそうです。
「【画像】森田健作の若い頃から現在までのヒット曲や代表作ほか経歴は?」に続く
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「おれは男だ!」「青春をつっ走れ」「あしたに駈けろ!」「おこれ!男だ」などのテレビドラマに次々と主演し、青春スターとして大ブレイクすると、1974年には、社会派の映画「砂の器」でシリアスな役を演じ、見事、イメージチェンジ …







