渡哲也さんのシングル「みちづれ」をカバーして大ヒットしたのをきっかけに、「夫婦きどり」「あなたの妻と呼ばれたい」「友禅流し」など、数々のヒットを飛ばしている、牧村三枝子(まきむら みえこ)さんですが、実は、デビューから長年、全く売れなかったといいます。
今回は、そんな牧村三枝子さんの、生い立ち、上京、デビュー、売れなかった時代を、時系列でご紹介します。

牧村三枝子のプロフィール
牧村三枝子さんは、1953年12月21日生まれ、
北海道美唄市(びばいし)常磐台の出身、
身長154センチ、
血液型はA型、
学歴は、
常盤台中学校卒業、
趣味は、
絵を描くこと、
特技は、
フラフープ、
ちなみに、本名は「千葉美恵子」で、愛称は「ミーコ」だそうです。
牧村三枝子は幼い頃に炭鉱夫の父親が体を壊して働けなくなり極貧生活を余儀なくされていた
牧村三枝子さんは、北海道美唄市常磐台という炭鉱の町で、炭鉱夫だったお父さんの勝志さんのもと、5人きょうだいの末っ子として誕生したそうですが、
お父さんは、40代後半の頃、長年に渡る過酷な炭鉱での仕事の影響で体を壊し、働けなくなってしまったそうで、
牧村三枝子さんら一家は、棟割り長屋の6畳一間に家族7人で暮らす極貧生活を余儀なくされたそうです。
(炊事場とトイレは共同で、隣の部屋とも薄い板一枚だけで仕切られているだけだったことから声が筒抜けだったそうです)
牧村三枝子は小学6年生の時に歌手になる決意をすると中学卒業後には上京していた
そんな暮らしの中、牧村三枝子さんは、小学6年生の時、雑誌でスターの豪邸を見て、
陽が当たる大きな家を建てて家族全員で住みたい
両親に家を建ててあげたい
という強い思いが芽生え、歌手になる決意をしたそうで、
1969年、中学卒業後には、上京して釣具店に就職し、働きながら歌手になる道を模索したそうです。
牧村三枝子は18歳の時に「少女は大人になりました」でレコードデビューするも全く売れなかった
そして、1971年、「サンミュージック」のタレントスクールのオーディションを受けると、見事、合格したそうで、
1972年7月25日、18歳の時、「少女は大人になりました」でレコードデビューを果たすと、その後も、次々とシングルをリリースしたそうですが・・・
全く売れなかったそうです。

「少女は大人になりました」
牧村三枝子は売れない中でも実家の両親に仕送りを続けていた
しかも、1973年には、故郷の美唄市の炭鉱が閉山し、両親が完全に無職になってしまったそうで、
牧村三枝子さんは、少ない収入の中からなんとか仕送りを続けたそうです。



牧村三枝子は22歳の時にテレビドラマ「大都会-闘いの日々」の挿入歌「赤堤灯の女」をリリースするも売れなかった
そんな中、牧村三枝子さんは、1976年1月6日より放送がスタートした、テレビドラマ「大都会-闘いの日々」に、バー「ムンク」の歌手役でレギュラー出演し、挿入歌「赤堤灯の女」もリリースしたのですが・・・
またしても、ヒットとはなりませんでした。
「【画像】牧村三枝子の若い頃から現在までの経歴は?病気だった?結婚は?子供は?」に続く

「赤堤灯の女」
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