1972年、18歳の時、「少女は大人になりました」でレコードデビューするも、なかなか売れない中、1978年、24歳の時、渡哲也さんのカバー曲「みちづれ」が110万枚を売り上げる大ヒットを記録し、ついに人気歌手の仲間入りを果たした、牧村三枝子(まきむら みえこ)さん。
今回は、牧村三枝子さんの若い頃(ヒット後)から現在までの経歴、病気、結婚や子供についてご紹介します。また、最後には、ディスコグラフィー(シングル)もご紹介します。

「牧村三枝子の生い立ちは?中卒で上京し歌手デビューするも全く売れなかった!」からの続き
牧村三枝子は24歳の時に渡哲也に「みちづれ」を歌わせてほしいと直談判していた
お父さんが体を壊して貧乏にあえぐ家族を救いたいと、中卒で単身上京し、18歳の時には、「少女は大人になりました」でレコードデビューを果たすも、なかなか売れなかったという牧村三枝子さんですが、
24歳の時、ディレクターから、同じポリドール所属の先輩・渡哲也さんの「みちづれ」という歌を歌うことを勧められたそうで、
(「みちづれ」は渡哲也さんのアルバムの中の1曲で、1975年には、シングルカットもされていました)
テープを家に持ち帰って聴くと、歌詞とメロディが気に入ったことから、渡哲也さんに、この「みちづれ」を歌わせてほしいと直談判すると、渡哲也さんは快諾してくれたそうです。
牧村三枝子は24歳の時にリリースした12枚目のシングル「みちづれ」が110万枚を売り上げる大ヒット
こうして、牧村三枝子さんは、1978年10月21日、24歳の時、12枚目のシングルとして「みちづれ」をリリースすると、当初は伸び悩むも、やがて、売り上げが伸び始めたそうですが・・・
本家である渡哲也さんのレコードも売れ始め、牧村三枝子さんの売り上げはピタリと止まってしまったといいます。
すると、そのことを知った渡哲也さんが、
俺は役者だから別に売れなくていい。あの子は8年も苦労してきたんだから
と、自分のレコードの出荷を止めてくれたそうで、
以降、牧村三枝子さんのレコードは再び売れ始め、最終的には、110万枚を売り上げる大ヒットとなったのでした。
ちなみに、牧村三枝子さんは、1979年7月10日、山梨県甲府市郊外にあるポリドールのプレス工場で100万枚目のレコードがプレスされた際、現場に立ち会うと、
歌っていて、よかった
と、涙ながらに喜びを語っています

「みちづれ」
牧村三枝子は30歳の時、両親に一軒家をプレゼントしていた
そんな牧村三枝子さんは、1981年~1984年には、「NHK紅白歌合戦」に4年連続出場するなど、一躍、スターの座に駆け上っているのですが、
1983年、30歳の時には、念願叶い、静岡市内の富士山が見える場所に7000万円の一軒家を購入し、両親にプレゼントしたといいます。
牧村三枝子は49歳頃、アルコール依存症・重度の肝硬変・食道静脈瘤を併発して「余命5年」と宣告されていた
しかし、1997年に最愛のお父さんが他界されると、牧村三枝子さんは、その深い悲しみから酒量が増え、ストレスも相まって、2002年頃には、アルコール依存症と重度の肝硬変、さらには、食道静脈瘤を併発して倒れ、救急搬送されたそうで、
牧村三枝子さんは、体重が35キロまで減少して歩行困難となったうえ、肺には3リットルもの水が溜まって呼吸困難になり、
医師からは、
このままでは余命5年
と、宣告されたといいます。
牧村三枝子は51歳頃に演歌歌手仲間の励ましがきっかけで病を克服し歌手活動を再開していた
そんな中、牧村三枝子さんは、
あと5年しか生きられない
という悲しみよりも、
こんなに苦しい状態で、あと5年も生き続けなければならないのか
と、深い絶望感に襲われていたそうですが、
牧村三枝子さんのもとに、親友の小林幸子さんの呼びかけにより、北島三郎さん、山本譲二さん、細川たかしさんら多くの仲間からの激励メッセージを収録したカセットテープが届いたそうで、
この温かい励ましがきっかけとなり、
病を克服し、歌手としてもう一度ステージに立ちたい
と、生きる意欲が湧き、懸命な治療とリハビリを続けた結果、回復し、2004年、見事、歌手活動を再開したのでした。
牧村三枝子は60歳の時に乳ガンになっていた
しかし、牧村三枝子さんは、再び、病魔に襲われていたそうで、2023年5月15日放送の「徹子の部屋」に出演した際、2013年に両胸が乳ガンになっていたことを明かしています。
牧村三枝子さんが、乳ガンに気づいたきっかけは、夏場、たまたま視聴していた乳ガン特集のテレビ番組だったそうですが、自身の体に触れてみたところ、左胸にこりこりとしたしこりがあるのを発見したそうで、
すぐに病院で検査を受けると、「異常なし」と言われそうですが・・・
2日後には、病院から「すぐに来てください」と連絡が入り、病院へ向かうと、左胸の乳ガンと、さらに右胸にも疑いがあることを告げられたのだそうです。
(牧村三枝子さんは、ショックで泣いたそうです)
牧村三枝子は60歳の時に乳ガンで両胸の全摘出&再建手術を受けていた
そして、乳がんの全摘出手術の前には、「胸を切除した後、胸を再建する前」の症例写真を見せられたそうで、
牧村三枝子さんは、
(切除後の症例)写真を見せられたんですね。それを見た時に本当にショックで。こんなになったら生きていたくないってくらいショックを受けたんですよ
最初から(再建したものを)見せてくれれば夢も持てるじゃないですか
と、語っているのですが、
6時間に及ぶ手術を受けると、無事、手術は成功し、現在は、両胸とも再建手術によって綺麗になっているそうで、牧村三枝子さんは、同じ境遇にある人々に励ましのメッセージを送っています。
牧村三枝子の現在は?
そんな牧村三枝子さんは、終(つい)の棲家を求めて、2022年3月には、東京から静岡県に移住しているといいます。
静岡県に移住したのは、両親のお墓があること、そして、静岡に住むお兄さんに「越してきたらどう?」と勧められたからだそうで、
牧村三枝子さんは、
甥(おい)っ子たちもみんないるので、そういう面で静岡がいいかなと。気候が本当にいいし、空もきれいだし、富士山も家からも見えるんですよ
と、語っており、
現在は、お兄さんの家族が住む静岡で、ゆったりと穏やかな生活を送っているようです。

牧村三枝子は結婚している?子供は?
ちなみに、牧村三枝子さんは、これまで1度も結婚しておらず、子供もいないのですが、
牧村三枝子さんは、ずっと独身でいる理由について、
私が結婚したい男性は、同じレコード会社の先輩でお世話になり『みちづれ』を私に下さった渡(哲也)さんか、亡くなった石原裕次郎さんの二人だけ。私が21歳の頃にそのお二人と出逢ってからは、他の男性に一切目が行かなくなった
と、語っています。
牧村三枝子のディスコグラフィー(シングル)
それでは、最後に、牧村三枝子さんのシングルをご紹介しましょう。
- 1972年「少女は大人になりました」

「少女は大人になりました」 - 1972年「恋人形」

「恋人形」 - 1973年「若狭の宿」
- 1973年「若い季節」
- 1974年「あなたの出船」
- 1975年「路傍の花」
- 1976年「赤提灯の女」

「赤提灯の女」 - 1976年「おそかった」
- 1977年「いち抜けた」
- 1977年「それから先はあんたしだい」
- 1978年「白い滑走路」
- 1978年「みちづれ」

「みちづれ」 - 1979年「はまゆうの花」
- 1979年「夫婦きどり」
- 1980年「通せんぼ」
- 1980年「あなたの妻と呼ばれたい」
- 1981年「夢おんな」
- 1981年「男ごころ」
- 1982年「酔いしれて」

「酔いしれて」 - 1983年「ともしび」
- 1983年「樹氷の宿」
- 1983年「霧雨クラブ」
- 1983年「奥能登・冬の旅」
- 1984年「冬仕度」
- 1985年「夾竹桃」
- 1986年「おんなみれん」

「おんなみれん」 - 1986年「螢川」
- 1987年「夢ごころ」
- 1988年「北のかもめ」
- 1988年「明日川」
- 1989年「極楽トンボ」

「極楽トンボ」 - 1989年「駅前カフェ」
- 1989年「友禅流し」
- 1989年「男ざくら」
- 1989年「博多恋人形」
- 1993年「室生寺」
- 1995年「花あかり~ワルツ~」
- 1996年「一ぱいのお酒」
- 1997年「月洩るる窓の下で」

「月洩るる窓の下で」 - 2000年「北越雪譜」
- 2001年「悲しい歌のくりかえし」
- 2004年「向島・夕立ち荘」
- 2005年「こぼれ陽」
- 2008年「恋女房」

「恋女房」 - 2011年「舞姫」
- 2014年「黄水仙」
- 2018年「歌一輪」
を、リリースしています。
さて、いかがでしたでしょうか。
牧村三枝子さんの、
- 「牧村三枝子の生い立ちは?中卒で上京し歌手デビューするも全く売れなかった!」
- 牧村三枝子のプロフィール
- 牧村三枝子は幼い頃に炭鉱夫の父親が体を壊して働けなくなり極貧生活を余儀なくされていた
- 牧村三枝子は小学6年生の時に歌手になる決意をすると中学卒業後には上京していた
- 牧村三枝子は18歳の時に「少女は大人になりました」でレコードデビューするも全く売れなかった
- 牧村三枝子は売れない中でも実家の両親に仕送りを続けていた
- 牧村三枝子は22歳の時にテレビドラマ「大都会-闘いの日々」の挿入歌「赤堤灯の女」をリリースするも売れなかった
- 【画像】牧村三枝子の若い頃から現在までの経歴は?病気だった?結婚は?子供は?
- 牧村三枝子は24歳の時に渡哲也に「みちづれ」を歌わせてほしいと直談判していた
- 牧村三枝子は24歳の時にリリースした12枚目のシングル「みつづれ」が110万枚を売り上げる大ヒット
- 牧村三枝子は30歳の時、両親に一軒家をプレゼントしていた
- 牧村三枝子は49歳頃、アルコール依存症・重度の肝硬変・食道静脈瘤を併発して「余命5年」と宣告されていた
- 牧村三枝子は51歳頃に演歌歌手仲間の励ましがきっかけで病を克服し歌手活動を再開していた
- 牧村三枝子は60歳の時に乳ガンになっていた
- 牧村三枝子は60歳の時に乳ガンで両胸の全摘出&再建手術を受けていた
- 牧村三枝子の現在は?
- 牧村三枝子は結婚している?子供は?
- 牧村三枝子のディスコグラフィー(シングル)
について、ご紹介しました。
幼少期は、炭鉱夫として働いていたお父さんが体を壊したことで極貧生活、デビューから8年越しで「みちづれ」が大ヒットした後も、アルコール依存症、重度の肝硬変、乳ガンなど幾多の大病に見舞われるも、その度に乗り越え、現在は、静岡で穏やかに暮らしながら、マイペースで歌手活動を続けている牧村三枝子さん。
そんな不屈の人生を歩み続ける牧村三枝子さんからは、今後も目が離せません!
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