お笑いコンビ「130R」でブレイクされた、板尾創路(いたお いつじ)さん。テレビドラマ、映画、舞台などで俳優としても活動されている他、2010年には、「板尾創路の脱獄王」で、監督、脚本、俳優をこなされ、新たな才能を開花されています。
プロフィール!
板尾さんは、1963年7月18日生まれ、
大阪府富田林市のご出身です。
身長177センチ、
体重62キロ、
血液型はA型、
出身高校は、
東大阪大学柏原高等学校、
だそうです♪
島田紳助の家に押しかける
板尾さんは、高校卒業後、
「551の蓬莱」に就職されましたが、
しばらくして退職され、
その後は、いろいろな職を転々とされたそうです。
ほどなくして、島田紳助さんの家に、
いきなり押しかけ、
弟子入りを志願されましたが、
紳助さんには、すでに弟子がおられたことから、
弟子入りは叶いませんでした。
そのかわり、NSC(吉本興業のタレント養成所)
への入学を勧められ、
板尾さんは、1985年、
4期生として入校されたのでした。
ほんこんと?130R!
板尾さんの「130R」の相方は、
「ほんこん」こと蔵野孝洋さんですが、
もともとお二人は、同じNSCの4期生ながら、
お互い、別の人とコンビを組んで活動されていました。
板尾さんは、「ホンコン・マカオ」というコンビを組み、
活動されていましたが、ほどなく解散。
蔵野さんは、そのコンビ名が気に入り、
板尾さんの了承を得て、
ご自分のコンビ名を「ホンコン・マカオ」
に改名されるも、1987年に解散。
その後、お二人はピンで活動されていたのですが、
ある日、板尾さんが蔵野さんの家に泊まりに行った際、
自分も相方おれへんやろ、コンビ組めへん?
と、板尾さんが蔵野さんを誘う形で、
1987年、「蔵野・板尾」(後の130R)を、
結成されたのでした。
ブレイク!
その後、お二人は、
心斎橋筋2丁目劇場を中心に人気を博され、
東京に進出。
そして、先に東京に進出して、成功を収めていた、
「ダウンタウン」のバラエティ番組、
「ダウンタウンのごっつええ感じ」で、
レギュラー出演したことにより、
一躍、全国的に知名度を高められたのでした。
その後も、多数のバラエティ番組に出演し、
人気を博されたお二人でしたが、
2000年代以降は、
個別で活動されることが多くなり、
2001年には、
板尾さんは、キム兄こと木村祐一さんと、
コンビ「イタキム」を結成。
M-1グランプリに出場され、
準々決勝まで勝ち進まれています。
事件?
そんな板尾さんは、1994年、
当時中学3年生だった女子中学生と、
関係を持ったことから、
逮捕され、罰金30万円の処分を、
受けられます。
というのは、この女子中学生が、
別件で補導された際、
板尾さんとのことを話し始めたことで、
事件が明るみに出たのでした。
ただ、この女子中学生が、
18歳以上であると年齢を偽っていたことが分かり、
このことから、板尾さんの処分は、
芸能活動の謹慎のみで、
専属契約解除には至らなかったそうです。
そして、松本人志さんら、
吉本所属のタレントたちの後押しもあり、
無事に、芸能界に復帰できたのでした。
嫁は?
それから4年後の1998年、
板尾さんは、10歳年下で、当時、
OLをされていた方と結婚されています。
お二人の馴れ初めなど、
詳しいことは分かりませんでしたが、
1998年といえば、
板尾さんが「130R」として、
東京でブレイクされていた頃なので、
人気絶頂の時に、
結婚されていたようです。
ガキ使の嫁は?
板尾さんの嫁、といえば、
「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」
のコントで、
外国人の女性が、
板尾さんの嫁役を演じられているのですが、
お二人の演技が、あまりにもリアルなため、
本物の夫婦だと勘違いした視聴者が続出したようです(^^)
そして、その迫真に迫る演技は、
板尾さんの、後のドラマ出演などに、
繋がっていったのだそうです♪
子どもは?
板尾さんは、2007年、
女の子が誕生していますが、
2009年、「乳幼児突然死症候群」のため、
1歳11ヶ月で亡くなっています。
健康面で特に問題のない赤ちゃんが、
突然亡くなる現象だそうで、
現在のところ、その原因は解明されていないのだとか。
さぞ大きなショックを、
受けられたことと思いますが、
その悲しみを乗り越え、2012年には、
二人目の女の子が生まれたようです。
さて、芸人や俳優としての成功の一方で、
逮捕や、お子さんを亡くされるなど、
波乱の人生を歩んでこられた板尾さんですが、
そんな喜びや悲しみを糧に、これからも、
ドラマや舞台で、活躍してほしいですね。
応援しています!!