1968年には、特撮ドラマ「怪奇大作戦」、1970年代には、時代劇「伝七捕物帳」「銭形平次」「水戸黄門」など、幅広いジャンルの作品に出演されている、松山政路(まつやま せいじ)さん。様々な役を演じられる演技派俳優として活躍されましたが、近年は日本俳優連合専務理事を務められ、俳優としては活動されていないようです。
年齢は?出身は?本名は?
松山さんは、1947年5月21日生まれ、
東京都武蔵野市のご出身、
身長167センチ、
血液型はA型、
学歴は、
東京都立神代高等学校卒業、
本名は、松山省次、
旧芸名は、松山省二(まつやま せいじ)、
ただ、「しょうじ」と読まれることが多かったため、1979年、現在の「政路(せいじ)」に改名されたのだそうです。
俳優として
松山さんは、1952年、「草青みたり」で初舞台を踏まれると、同年、「箱根風雲録」で映画デビュー。
その後、どのような活動をされていたのかは分かりませんでしたが、10年後の1962年には、映画「雲に向かって起つ」に出演され、1966年には、「若者たち」でテレビドラマデビュー。
「若者たち」より。(左から)佐藤オリエさん、
山本圭さん、 田中邦衛さん、橋本功さん、松山さん。
以降は、数多くのテレビドラマや映画に出演されています。
声優として
そんな松山さんは、近年は、声優としても活動されており、
2003年「ぼくの孫悟空」
2006年「ブラック・ジャック21」
など、手塚治虫アニメや、
2006年「ホテル・ルワンダ」(映画)
2009年、2010年「マードック・ミステリー~刑事マードックの捜査ファイル~」(テレビドラマ)
など、海外作品の吹き替えもされています。
兄は松山英太郎
そんな松山さんを「兄」で、多くの方が検索されているようです。
というのも、松山さんのお兄さんは、同じく俳優の松山英太郎(まつやま えいたろう)さんで、
英太郎さんは、
1964年「七人の孫」
1968年「肝っ玉かあさん」
1970年「時間ですよ」
など、ホームドラマに出演され、お茶の間で人気を博すと、
「肝っ玉かあさん」で清田圭司に扮する松山英太郎さん。
その後も、
1971~1990年「大岡越前」
1973~1987年「江戸を斬る」
1989年「翔んでる!平賀源内」
など、時代劇でも活躍されたのですが、1991年、「食道がん」のため、48歳の若さで亡くなっています。
「大岡越前」で兄の代役
ところで、松山さんは、1978年、時代劇「大岡越前」で、第5部のみ、「猿(ましら)の三次」役を演じられているのですが、
実は、第2部~第4部は、お兄さんの英太郎さんが、「猿(ましら)の三次」役を演じられており、当時、英太郎さんが、プロデューサーに転身を図られた為、
弟である政路(当時は省二)さんが、代わりに、同役を演じることになったようです。
ただ、その後、第6部~第11部は、英太郎さんが復帰されているので、プロデューサー業は、あまり、かんばしくなかったのかもしれませんね。
ちなみに、英太郎さんが亡くなった後、再び政路さんにオファーがきたそうですが、別の仕事とバッティングしていたほか、お兄さんのおかげで仕事が入ったと陰口を叩かれるのが嫌で、このオファーを断られたそうです。
元妻は大谷直子
最後に、松山さんの、気になるプライベートですが、
松山さんは、2回結婚されており、最初の奥さんは、女優の大谷直子さん。
お二人は1971年に結婚され、娘さんに恵まれるも、1974年に離婚。
大谷さんが、俳優の近藤洋介さんと不倫したうえ、お子さんを連れて離婚されたということで、松山さん、大変でしたね・・・
当時の「女性自身」より。
現在の妻と娘は?
そして、1977年、現在の奥さんである、女優の紅景子(くれない けいこ)さんと結婚されると、1982年には、娘の松山愛佳(まつやま あいか)さんが誕生。
愛佳さんは、現在、「文学座」所属の女優として、主に舞台を中心に活動されているそうです。
ちなみに、松山さんの長女(大谷さんとの子ども)に関しては、情報がないことから、おそらく、一般のお仕事をされているのでしょうね。
娘の松山愛佳さん。松山さんとそっくりですね♪
さて、いかがでしたでしょうか?
近年は、
日本俳優連合専務理事として、俳優の資質向上・権利問題などにも力を尽くしている。
そうで、
2010年、NHKスペシャル「さよなら、アルマ〜赤紙をもらった犬〜」に出演されて以来、目立った俳優活動はされていないようですが、
たまには、また、テレビで、元気なお姿を見せてほしいものですね。