和服の似合う上品な美貌で、1960年代から1980年代まで、テレビドラマの女王として君臨された、池内淳子(いけうち じゅんこ)さん。今回は、そんな池内さんの若い頃をご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
池内さんは、1933年11月4日生まれ、
東京府東京市本所区東両国(現在の東京都墨田区)のご出身、
身長176センチ、
血液型はO型、
学歴は、
トモエ学園(幼稚園)~
⇒十文字高等学校卒業
⇒日本女子割烹専修学校(現・池袋調理師専門学校)
ちなみに、本名は「中澤純子(なかざわ すみこ)」です。
スカウトされ新東宝に入社
池内さんは、高校卒業後、1952年、「日本橋三越本店」の呉服売り場に就職するも、1年半ほど退職されると(池内さんの美貌は評判だったそうです)、
その後、1954年には、花嫁修業のため、和裁と料理の学校である「日本女子割烹専修学校」(現在の池袋調理師専門学校)に通われます。
すると、その頃、友人に勧められ、雑誌「サンケイグラフ」のカバーガールに応募されると、見事合格。10月下旬号で表紙を飾ると、「新東宝」の宣伝マンの目に止まり、スカウトされて、「新東宝」に入社されたのでした。
新東宝の看板女優として
そして、翌年の1955年には、「皇太子の花嫁」でスクリーンデビューすると、
続く「次郎物語」では、主人公の姉役を演じ、注目を集めます。
「皇太子の花嫁」より。
以降、池内さんは、清純派女優として、青春映画や時代劇に出演されると、1956年には、「新妻鏡」で初の主演に抜擢。
「新妻鏡」より。
1957年には、
「警察官」
「リングの王者・栄光の世界」
「鋼鉄の巨人(スーパー・ジャイアンツ)」
と、立て続けに出演され、
久保菜穂子さん、三ツ矢歌子さんと共に、「新東宝現代劇の女優三羽烏」と呼ばれたのでした。
結婚して引退するも翌年には離婚し復帰
しかし、1957年、ラジオの共演で知り合われた、俳優でジャズ歌手の柳沢真一さんと結婚されると、同年、映画界を引退。
柳沢真一さんと池内さん。
ただ、早くも翌年の1958年には、別居を経て離婚されると、「新東宝」と再契約し、1960年には、映画「花嫁吸血魔」で映画界へ復帰されています。
ちなみに、池内さんはこの作品で、毛むくじゃらの怪物に変身する悲劇の美女を、特殊メイクをしてまで演じられているのですが、
これは、「新東宝」の社長・大蔵貢さんが、もともと、池内さんの結婚に反対だったため、復帰後、このような不本意な役を、泣く泣く引き受けさせられたと噂されました。
(ただ、当時の「新東宝」は、このような役は特別ではなく、池内さんに限った話ではなかったそうなので、この話はただの噂だとも言われています。)
「池内淳子の若い頃は20%女優と呼ばれるテレビドラマの女王だった!」に続く