1999年にJ-POPユニット「ET-KING」を結成し、2007年には「愛しい人へ」「ギフト」などのヒットを飛ばされた、いときんさんですが、その後、「ET-KING」は次第に人気が低迷し、2014年には活動を一時休止。そんな中、メンバーのTENNさんが急逝されたことをきっかけに、2015年7月に活動を再開されるのですが、いときんさんは、2017年8月、ステージ4の「肺腺がん」であることを公表されたのでした。
出身は?身長は?本名は?
いときんさんは、1979年3月3日生まれ、
兵庫県三田市のご出身、
血液型はA型、
学歴は、
三田市立上野台中学校
⇒兵庫県立有馬高等学校卒業
⇒大阪の福祉専門学校卒業
趣味は、図画工作、
特技は、酒、
本名は、山田祥正(やまだ よしまさ)、
旧芸名は、「イトキン」(カタカナ)、(2015年7月に「et-king」再活動に伴い、ひらがなの「いときん」に改名されています)
ちなみに、当初の芸名「イトキン」は、専門学校時代、「僕といっしょ」というマンガの登場人物、伊藤茂(通称「イトキン」)に似ているという理由で呼ばれていたものをそのまま使われたとのこと。
剣道と柔道に明け暮れた少年時代
いときんさんは、小学校の時から剣道教室に通われており、高校には推薦入学できるほど強かったのですが、
お父さんが、
「剣道ばっかりだと将来の道が狭まってアカン!」
との考えから、剣道での進学を断念し、普通の受験で高校に入学。
ところが、高校入学後は、目標を見失ったせいかグレてしまい、更生の目的で、お兄さんから、柔道部に入部させられたそうで、高校卒業後は、大阪の福祉専門学校に通われ、「柔道整復師」の資格を取得されています。
J-POPユニット「ET-KING」結成
その後、どのような経緯かは分かりませんでしたが、1999年に、TENNさん、KLUTCHさんと「ET-KING」を結成すると、いときんさんは、プロデュース、トラックメイク、構成などを担当し、リーダーとして、ユニットの中心的な存在として活動。
その後、センコウさん、BUCCIさん、DJ BOOBYさん、コシバKENさんが加わり、最終的には、7人組のユニットとして活動されています。
(左から)BOOBYさん、KLUTCHさん、TENNさん、イトキンさん、BUCCIさん、センコウさん、コシバKENさん。
ちなみに、いときんさんは、お母さんが児童養護施設で働いていたことから、幼い頃、家にはギターやオルガンがあったそうで、お母さんにギターを教えてもらったことが、音楽に目覚めるきっかけとなったそうです。
「愛しい人へ」「ギフト」がヒット
そして、2005年頃からは、大阪の大国町で、メンバー全員が共同生活を送りながら音楽活動を行われると、同年、テレビ番組「流派-R」で特集されたイベント、「流派NIGHT」のオーディション企画「R-Battle」で、見事グランプリを獲得し、
翌年の2006年には、
ファーストシングル「ドーナッツ/夏大盛り」でメジャーデビュー。
2007年には、
3枚目のシングル「愛しい人へ」
5枚目のシングル「ギフト」
がヒットし、いときんさらは、一躍、人気アーティストの仲間入りを果たされたのでした。
活動休止から再開へ
また、2008年には、人気アニメ、「ヤッターマン」の主題歌を担当されるなど、順調な活動を続けられていたのですが、次第に人気が低迷すると、2014年、「ET-KING結成15周年記念全国ツアー おまえとおったらおもろいわ!」の最終公演をもって、「ET-KING」は一時活動を休止。
活動休止中は、メンバーであるTENNさんが急逝されるという不幸に見舞われますが、2015年7月に活動を再開されています。
いときんさんは、活動休止期間を振り返り、
そうですねぇ。休止してからの2年間は、仕事のことを考えたり、家族のことを考えたり、メンバーのことを考えたり、いろんなことを考えましたね。
その中でやっぱり、「大阪でやることが一番ええんちゃうかなぁ。」って思いましたわ。ET-KINGを結成して18年目に入って、それまでの間にはメジャーになって東京で仕事もさせてもらった。
契約はまだ残ってたんですけど前の事務所を抜けて、「さぁ自分らでやっていこう!」っちゅう中で、TENNが天国に行ってしもたり。ホントいろいろありましたけど、一番しんどいときに今の仲間が、自分の会社を辞めてまでして、僕らの事務所を立ち上げてくれたんです。
「もっかいオマエら音楽やれ!」っていう環境を整えてくれたんで、そこはもう感謝しかないですね。2016年4月30日のライブ(再始動後初のワンマンライブ)ができたのも、仲間のおかげなんです。
と、語っておられました。
現在は?
しかし、これからという矢先の2017年8月、いときんさんは、ステージ4の「肺腺がん」に罹患していることを公式サイトで発表されます。
(※がんは0期(ステージ0)から4期(ステージ4)までの5段階に分類され、4期が最も進行している状態だそうです)
6月に健康診断を受けられた際に発覚し、すでに、リンパ節、脳にも転移しているとのことで、治療に専念するため、再び、活動は休止となってしまったのでした。
ただ、「ET-KING」の活動と、いときんさんが立ち上げられた、「Bar OSAKA ROOTS」の活動は継続されているようで、「Bar OSAKA ROOTS」では、事務所や「ET-KING」のメンバーが、スタッフとなり、「ET-KINGいときん応援プロジェクト」を設立。売上はすべて、いときんさんの治療費に充てられるそうです。
享年は?死因は?
そんないときんさんは、「肺腺がん」の公表後は、闘病のかたわら、アルバムのレコーディング参加ほか、2017年12月28日には、「大阪Zepp Namba」のライブツアーにも出演されていたのですが・・・
これが生前最後の出演となってしまい、2018年1月19日、容体が急変し病院へ搬送されると、治療もむなしく、31日午前11時28分、「がん性心膜炎」のため、大阪府和泉市内の病院で息を引き取られたのでした。
享年は38歳でした。
いときんさんのご冥福をお祈りいたします。