1981年から2002年まで放送された人気テレビドラマ「北の国から」で、厳しさと温かさの両面を持つ父親・黒板五郎役を演じ、すっかり国民的人気俳優となられた、田中邦衛(たなか くにえ)さんですが、今回は、そんな田中さんの若い頃についてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

田中さんは、1932年11月23日生まれ、
岐阜県土岐郡土岐津町のご出身、

身長167センチ、

血液型はO型、

学歴は、
麗澤短期大学英語科卒業、

ちなみに、「田中邦衛」は本名です。

「俳優座養成所」の7期生に合格

田中さんは、少年時代、成績も素行も良くなかったことから、中学校卒業後は、お父さんの命で、千葉県にある全寮制の「麗澤高等学校」に入り、その後、「麗沢短期大学」に進学すると、短大在学中には芝居に夢中になったそうです。

ただ、「俳優座」養成所の試験を受けるも、2年連続で不合格だったそうで、1954年に短大を卒業後されると、実家に戻って、中学校の代用教員となられます。

それでも、やはり諦めきれなかったのか、1955年に、再々度、「俳優座」養成所の試験にチャレンジすると、見事合格。

田中さんは、「俳優座」養成所7期生となり、ついに、俳優としての第一歩を歩み始めたのでした。

(ちなみに、3度目の受験の際には、試験官だった女優の東山千栄子さんから、「あなた、またいらしたの」と言われたそうです(笑))

青大将で脚光を浴びる

こうして、「俳優座」養成所で演技を学ばれた田中さんは、1957年、「純愛物語」で映画デビューされると、

1958年には「俳優座」座員に昇格し、「幽霊はここにいる」(安部公房・作)で、新人ながら、主役に大抜擢。


「幽霊はここにいる」より。左端が田中さん。

その後、田中さんは、もともと、新劇ではなく映画俳優志望だったため、映画の世界へ行こうとすると、引き止められたそうですが、

それでも、

1959年「人間の條件」
     「第五福竜丸」
     「キクとイサム」

1960年「悪い奴ほどよく眠る」
1961年「武器なき斗い」


「人間の條件」より。仲代達矢さん(左)と田中さん(右)。

と、映画にも端役として出演され、アクの強い個性的な風貌を印象づけると、

1961年には、映画「大学の若大将」で、お金の力でモテようとするも、いつも、
若大将(加山雄三さん)には敵わない、青大将役をコミカルに演じ、一躍、脚光を浴びられたのでした。


「大学の若大将」より。(左から)田中さん、星由里子さん、加山雄三さん。

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「若者たち」で高視聴率&男優主演賞

そして、その後も、

1962年「おとし穴」
     「椿三十郎」

1963年「真田風雲録」
1964年「無頼無法の徒 さぶ」


「おとし穴」より。(左から)田中さん、佐々木すみ江さん、井川比佐志さん。

と、映画への出演を重ねられると、

1965年には、無教養でありながら心優しい、5人兄妹の長男・佐藤太郎役を演じられた、テレビドラマ「若者たち」が高視聴率を記録。

1967年には映画化もされると、田中さんは、その心温まる演技で、「第22回毎日映画コンクール男優主演賞」を受賞されたのでした。

「若者たち」より。(左から)佐藤オリエさん、山本圭さん、 田中さん、橋本功さん、松山政路さん。

「田中邦衛のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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