「日本プロレス」では、ジャイアント馬場さんとの「BI砲」で大人気となるも、乱脈経営に不満を抱き、実質的なフロント参加を画策していることが漏れて、「日本プロレス」を追放された、アントニオ猪木(あんとにお いのき)さんですが、その後、「新日本プロレス」を設立し、様々な革新的なアイデアを実行すると、大人気となります。
「アントニオ猪木は昔ジャイアント馬場と「BI砲」で共闘していた!」からの続き
「新日本プロレス」を設立
「日本プロレス」を追放されてしまった猪木ですが、1972年1月には、「新日本プロレス」を旗揚げすると、当初は、テレビ放送がなかったことや、「日本プロレス」の妨害で、外国人レスラー招聘ルートが閉ざされるなど、苦しい経営を強いられるも、
翌年の1973年に、NET(現・テレビ朝日)がバックにつき、テレビ放送が開始されると、元「国際プロレス」のエース「ストロング小林」との大物日本人対決や、「日本プロレス」時代の先輩である大木金太郎さんとの遺恨試合など、これまでタブーとされてきた試合のほか、
ストロング小林さん(左)と猪木さん(右)。
無名の外国人選手で後にスターとなる、タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガンなどを招聘して、奇抜で迫力ある試合を展開し、多くのファンを魅了します。
ハルク・ホーガンさん(左)と猪木さん(右)。
モハメド・アリとの異種格闘技戦などでますます人気を博す
そして、やがては、「WWWF」(アメリカ合衆国のプロレス団体)とも提携して、多数の外国人スターを呼べるようになると、
プロレスこそ全ての格闘技の頂点である
という、スローガンを掲げ、
1976年には、実際に最強を証明するため、当時、プロボクシング統一世界ヘビー級チャンピオンだったモハメド・アリさんとの格闘技世界一決定戦、
モハメド・アリさん(左)と猪木さん(右)。
「熊殺し」の異名をとる、空手家ウイレム・ルスカさんとの試合、
猪木さん(左)とウイレム・ルスカさん(右)。
と、異種格闘技戦を成功させ、ますます、人気を高めていきます。
タイガーマスクの登場で「新日本プロレス」は黄金時代
また、1980年代に入り、初代「タイガーマスク」(佐山聡さん)が登場すると、「新日本プロレス」伝統の「ストロングスタイル」をベースに、全米プロ空手流の打撃技と、ルチャリブレ(メキシコ式プロレス)の空中殺法とを織り交ぜた革新的なレスリングスタイルが、たちまち子どもたちを虜にし、毎週金曜日夜8時のテレビ放送では、視聴率が20%を超える大ヒットを記録。
初代タイガーマスク
「タイガーマスク」は、猪木さんを凌ぐほどの人気を博し、地方興行も空前の大入り満員が続くなど、「新日本プロレス」は黄金時代を迎えたのでした。
「アントニオ猪木は昔「新日本プロレス」でクーデターを起こされていた!」に続く