1994年に初めて北朝鮮を訪れて以来、2017年9月までに32回の訪朝を果たしている、アントニオ猪木(アントニオ いのき)さんですが、実は、1995年には、北朝鮮で「平和のための平壌国際スポーツ・文化祭典」を開催し、38万人もの観客を動員しています。

「アントニオ猪木の引退試合の対戦相手は?結果は?」からの続き

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スポーツ平和党結成~参議院議員初当選

1998年4月の引退試合では、見事、ドン・フライをグラウンド・コブラツイストで下し、プロレスを引退したアントニオ猪木さんですが、

実は、1989年には、

スポーツを通じて国際平和

を合言葉に「スポーツ平和党」を結成し、「第15回参議院議員通常選挙」では、比例区から99万3989票を集めて参議院議員に初当選しており、以降、プロレスラーと政治家の、二足のわらじを履いて活動しています。


参院選の比例代表区で初当選し、喜ぶ猪木さん。

(ちなみに、猪木さんは、国会議員になる前に「スポーツ平和党」を結成しているのですが、政党は国会議員でなくても作ることができ、国会議員でなくても政治活動はできるそうです。ただ、政党助成金や団体献金を受けるためには、国会議員が5人以上など要件があるそうです)

当初、北朝鮮での「平和の祭典」は断られていた

そんな猪木さんは、その後、都知事選出馬騒動(猪木さんの辞退により内田裕也さんが急遽出馬)や、脱税、借金トラブルほか、数多くの問題を抱えてボロボロとなり、

北朝鮮で大規模なイベントを開催することで起死回生を図ろうと、1994年、「力道山の弟子」として、初めて北朝鮮を訪問しようとするのですが、

北朝鮮側の返事は、

今回はお迎えできません

で、あきらめて帰国しています。

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新国家主席・金正日の招待で「平和の祭典」が成功

しかし、その帰国途中で、時の権力者である金日成主席が逝去。

すると、国家主席を引き継いだばかりの金正日氏が猪木さんの申し出を受け入れ、2ヶ月後には、猪木さんのもとへ北朝鮮側から招待状が届いたそうで、

(金正日氏は、金日成氏が亡くなって不安定になった国に、自分の権威を見せつけようとしたようです)

猪木さんは、1995年4月28日、29日の2日間に渡って、北朝鮮の平壌で「平和のための平壌国際スポーツ・文化祭典」を開催。

会場のメーデースタジアムには、2日間で38万人もの観客が集まり、平壌市民を熱狂の渦に巻き込んだそうです。

「アントニオ猪木が北朝鮮にこだわる理由とは?」に続く


北朝鮮平和の祭典・完全版<闘魂Vスペシャル>

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