1974年、22歳の時、萩原健一さん主演のテレビドラマ「傷だらけの天使」に萩原さんの相棒役で出演し注目を集めると、その後、1978年には、「熱中時代」の主演で大ブレイクし、現在もなお、主演ドラマ「相棒」シリーズがロングヒットを続けるなど、活躍を続けている、水谷豊(みずたに ゆたか)さんですが、今回は、そんな水谷さんの知られざる少年時代をご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
水谷さんは、1952年7月14日生まれ、
北海道空知郡芦別町(現・芦別市)のご出身(東京都立川市育ち)、
身長168センチ、
体重60キロ、
血液型はA型、
学歴は、
立川市立第四小学校
⇒立川市立第一中学校
⇒大成高等学校(三鷹市)卒業
(東京海洋大学海洋工学部受験に失敗)
趣味は、
ギター、ピアノ、野球、ゴルフ、ドライブ、
ちなみに、「水谷豊」は本名です。
小学生の時テレビの仕組みに興味を持つ
水谷さんは、4人兄弟の末っ子として北海道空知郡芦別町(現在の芦別市)に誕生すると、雪深い田舎でのびのびと過ごされたそうですが、8歳の時、お父さんの転勤に伴い、東京都立川市へ転居されたそうです。
そして、小学生の時、初めてテレビが家にやってくると、
どうしてこんな小さな箱の中に映像が映し出されるんだろう
と、とにかく不思議でたまらず、その現場や舞台裏に興味を持ち、夢中でテレビを観ていたそうで、
それがやがて、
あの箱の中に自分も入ってみたい
と、思うようになったそうです。
小6の時「劇団ひまわり」に入団
そんな水谷さんは、小学6年生(12歳)の時、近所のとてもかわいがってくれる加山さんというおばさんに、そのことを話すと、ある日、加山さんが、児童劇団「劇団ひまわり」のパンフレットをくれたそうで、
水谷さんは、さっそく応募し、「劇団ひまわり」に入団。エキストラながらも、「箱」の中に入ることができたのですが・・・
何か違う。こんなに大勢で一瞬じゃ、確かな入った感がない。
と、思ったのだそうです。
高1の時「バンパイヤ」の主演でテレビドラマデビュー
そこで、水谷さんは、1966年、13歳の時、本格的に「箱に入る」ための手始めとして、「劇団雲」のオーディションを受けると、見事合格し、「ドン・ジュアン」で舞台デビュー。
(この舞台「ドン・ジュアン」は、山崎努さんの初主演舞台で、岸田今日子さんや橋爪功さんらそうそうたるメンバーが出演されていたそうですが、水谷さんにとっては、あくまでも、「箱に入る」ための前哨戦だったそうです)
そして、1968年、16歳の時には、手塚治虫さんの人気漫画を原作とするテレビドラマ「バンパイヤ」のオーディションを受けると、参加者800名の中から、いきなり、月を見ると狼に変身してしまう主人公「立花トッペイ」役に抜擢され、念願のテレビドラマデビューを果たし、「小さな箱に入る」という目的を達成されたのでした。
「バンパイヤ」より。右が水谷さん。
芸能界の嫌な面を見て人間不信になる
その後、(テレビドラマ「バンパイヤ」で主演を務めたことで)仕事が忙しくなった水谷さんでしたが・・・
やがて、
子どもの目から見て、こんな大人になりたくないなあっていう人が結構いたんですよねえ
と、周囲の大人が嫌いになり、人間不信になったそうで、
「小さな箱に入る」という目的を達成することができたこともあり、
ここは自分のいる世界じゃない
と、感じるようになっていったのだそうです。
高校時代は孤独な日々を過ごしていた
ちなみに、当時、水谷さんが通っていた高校の同級生によると、
水谷君は12歳から劇団に所属していた。『バンパイア』で忙しくなってからは、学校を休みがちな時期もあった。成績もよかったし、高校ではバスケ部で頑張っていた。
だが、周りは、『水谷は芸能人』という認識で、遠巻きに見ていた。彼女もずっといなかったね
学校では芸能人を鼻にかけることはなく、仕事の話もいっさいしなかった。悩みもあったろうが、ひとりで抱えて孤独だったと思う
と、水谷さんは学校で孤独だったようですが、
かと言って、水谷さんによると、
早くから仕事に恵まれていたため、突っ張っていた。脚本が気に入らないと、破いて紙飛行機にして飛ばすような反抗の仕方もした
と、仕事が楽しかったという訳でもなく、仕事場でも浮いていたのだそうです。