1972年、16歳の時、「芽ばえ」で歌手デビューすると、翌年の1973年には、5枚目のシングル「わたしの彼は左きき」が大ヒットを記録し、たちまちアイドルとしてブレイクされた、麻丘めぐみ(あさおか めぐみ)さん。そんな麻丘さんのルーツを調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?姉は?

麻丘さんは、1955年10月11日生まれ、
大分県日出町のご出身(大阪府育ち)、

身長162センチ、

体重49キロ、

スリーサイズは、80-59-88、

靴のサイズは23センチ、

血液型はO型、

本名は、藤井佳代子(ふじい かよこ)で、
愛称は、カコちゃん、

学歴は、
堀越高等学校
⇒明治大学付属中野高校定時制課程卒業

趣味は、
JAZZ、サッカー観戦、温泉巡り、映画鑑賞、カメラ、

ちなみに、お姉さんは、元歌手で、
「花里あけみ」⇒「藤井明美」⇒「立木久美子」と芸名を変えて活動されていました。

幼少期から子役&モデルとして活動

麻丘さんは、4歳年上のお姉さんが児童劇団に入っていたことから、生まれて間もなく児童劇団に所属すると、1歳8ヶ月の時にはCMに出演。

その後、3歳の時に、テレビドラマ「ピンからキリちゃん」で子役デビューを果たすと、仕事に行くときはお母さんが付き添い、帰りは仕事を終えたお父さんが駅まで迎えに来てくれて、おんぶされて帰るという慌ただしい日々を送ったそうで、

その忙しさは、小学校に上がってからも続き、仕事のため、遠足などの学校行事にもほとんど参加できず、仕事で学校を休むこともしょっちゅうだったそうです。


幼少期の麻丘さん。かわいい~

そんな中、麻丘さんが小学校5年生の時、中学生だったお姉さんが歌手を目指して上京するのですが、お姉さんは、厳しい下積み生活で倒れてしまい、急遽、そんなお姉さんをサポートするために麻丘さんとお母さんも上京。

実は、お姉さんの、歌手になりたいという夢のため、麻丘さんを含め家族全員が、お姉さんを中心に生活されていたそうで、今回のことも、お姉さんのためならばと、麻丘さんは転校することも厭(いと)わなかったのでした。

こうして、麻丘さんは、杉並区のお風呂のない1DKのアパートで、お姉さん、お母さんとともに3人暮らしを始めるのですが、お姉さんは歌手としてデビューされるもなかなか芽が出ず、

お姉さんのお給料とお父さんからの仕送りだけで生活していくのは大変だったことから(お母さんはお姉さんのサポートで働くことができませんでした)、

ついに、まだ小学生の麻丘さんが、

だったら私が働いて、お風呂のある部屋に引っ越そう

と決意し、モデルの仕事を始められたのでした。

(その後、麻丘さんが中学生の時、念願叶って、お風呂のあるアパートに引っ越すことができたそうです♪)

デビュー曲「芽ばえ」と「わたしの彼は左きき」がヒット

こうして、モデルの仕事を始められた麻丘さんですが、それでも、モデル業の合間には、お姉さんの仕事現場に雑用係としてたびたび顔を出していると、中学生になった頃には、そこにいたレコード会社のスタッフから、何度も歌手デビューを持ちかけられるようになります。

ただ、なかなか売れないお姉さんを間近で見て、歌手の大変さを痛感していた麻丘さんは、当初は、自分には無理だろうと、ずっと誘いを断り続けていたのですが、

このままいくと、お姉さんがレコード会社から契約を切られてしまうのではないかという不安から、自分が会社の言うことを聞けばいいのではないかと考え、最終的には、歌手デビューの話を受けることに。

すると、1972年6月にリリースしたファーストシングル「芽ばえ」が、いきなり40万枚を超える大ヒットを記録し、数々の音楽番組に出演するようになると、同年末には、「レコード大賞最優秀新人賞」を受賞。


「芽ばえ」

その後も、

1972年10月「悲しみよこんにちは」(2ndシングル)
1973年1月「女の子なんだもん」(3rdシングル)
     4月「森を駈ける恋人たち」(4thシングル)

と、立て続けにシングルをリリースすると、1973年7月にリリースした、5枚目のシングル「わたしの彼は左きき」が50万枚を売り上げる大ヒットを記録し、この年の「第15回日本レコード大賞」で大衆賞を受賞されたほか、「第24回NHK紅白歌合戦」にも初出場を果たされるなど、一躍人気アイドルの座に上り詰めたのでした。


「わたしの彼は左きき」

ちなみに、麻丘さんは、当時を振り返り、

自分の人生が大きく変わった運命の年。もともと私の姉が歌手で、スターになる日を夢みていたんです。その世界に私も入っていって、戸惑いと不安ばかり抱えていました。

と、語っておられるのですが、

家族全員のパックアップを受けて、ようやく歌手になるも、パッとしないお姉さんをさしおき、いきなり、売れてしまった心境はいかばかりだったことでしょう。

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髪型「姫カット」が大流行

ところで、麻丘さんの「わたしの彼は左きき」のヒットは、爆発的な左ききブームを巻き起こし、左利き用品が数多く発売されるなど、社会に大きな影響を与えたのですが、

麻丘さんと言えば、トレードマークの「姫カット」を思い浮かべる人も多いと思います。

ただ、麻丘さんいわく、

モデル時代はヘアメイクもスタイリストもいませんから、全て自前だったんです。髪形のバリエーションをつけやすいようにと、あのカットにしました。

と、「姫カット」は、おしゃれのためではなく、必要に迫られて考案されたものだったとか。

ちなみに、この「姫カット」は、当時の若い女性の間で爆発的なブームとなり、現在でも、ヘアスタイルの特集が組まれるほど、高い人気を誇っています。

「麻丘めぐみの元旦那は?馴れ初めや離婚原因は?復帰後はヌードも!」に続く

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