幼い頃、父親に暴力を振るわれ、挙句の果てに、その父親の浮気が原因で両親が離婚したことから、異性に理想の父親像を重ねられていた、大原麗子(おおはら れいこ)さんですが、その大原さんが、生涯愛し続けたのは、渡瀬恒彦さんでした。
「大原麗子の生い立ちは?若い頃は?ウィスキーのCM?出演ドラマ映画は?」からの続き
渡瀬恒彦との馴れ初めは?
大原さんは、1973年、同じ東映に所属していた渡瀬恒彦さんと結婚されています。
当時、大原さんの方が先輩で、渡瀬さんはまだ駆け出しの俳優だったのですが、大原さんが渡瀬さんを好きになって交際をスタートしたそうで、
晩年の渡瀬さんは、すっかり穏やかで優しそうな外見となられていましたが、実は、子どもの頃から喧嘩がめっぽう強く、芸能界でも「最強伝説」があるほどなので、ファザコンを自認する大原さんにとっては、渡瀬さんは、まさに理想の人だったのかもしれません。
(大原さんは、好きなタイプとして、「毅然としている人、強い人、繊細な人、おとなしい人が好き」と答えられています)
大原さんは、自宅マンションに、渡瀬さんにしか番号を教えていない「専用電話」があったそうで、その電話のベルが鳴るとどんなに夜遅くでも飛んでいくほどだったそうです。
その理想の人と結婚したことから、さぞ、甘い新婚生活を送られたのかと思いきや・・・
新婚生活は、渡瀬さんのお母さんと同居で、家事が一切できない大原さんは、渡瀬さんのお母さんに厳しく家事を教え込まれ、
そのうえ、渡瀬さんが京都の東映撮影所での仕事が多くなって、京都に行きっぱなしだったことから、実質、姑との二人暮らしとなり、相当、気詰まりな新婚生活だったようです。
ただ、渡瀬さんが、そんな大原さんを気遣い、京都に生活の場を移して夫婦一緒に暮らそうと提案されるも、すでに売れっ子女優だった大原さんの仕事場はほとんどが東京。
そのため、大原さんは、女優を辞めてまで京都に移り住むことができず、このことが原因で、お二人の間にすれ違いが生じてしまったそうで、大原さんは、そのことにかなり落ち込まれたようです。
そして、追い打ちをかけるように、女性週刊誌などで、渡瀬さんの女性問題や、格差婚、嫁姑関係のことなどを書き立てられ、離婚説がささやかれるようになると、ついにお二人は、1978年2月、本当に離婚してしまったのでした。
離婚理由は?
ちなみに、大原さんは、声明文に、
恒彦さんと私はけっして憎み合って別れたのではない。夫婦という絆は切れても私は恒彦さんを男性として人間として心から尊敬しています・・・
と、綴られたほか、マスコミの取材に対し、
離婚を考えだしたのは去年夏頃から。今年1月になって、彼から子どもを産むか仕事をとるかと迫られた。私はどうしても子どもをつくる方をとることができなかった
と、離婚理由を明かされると、
渡瀬さんも、取材に対し、
彼女は僕が女優として認めている数少ない一人。だから、仕事をやめろとは言えなかった。彼女をちゃんと包んでやれなかったのが原因です。
と、語っておられるのですが、
実は、大原さんは、1975年8月頃、「ギラン・バレー症候群」という、手足の筋肉に力が入らなくなる病気を発症されており、京都に住んでいた渡瀬さんが、忙しい撮影の合間をぬって、頻繁に帰京し、献身的に大原さんの看病をされていたそうで、その甲斐あって、大原さんは、半年後に退院。
その後、大原さんは、すぐに仕事に復帰され、翌年の1976年、テレビドラマの製作発表会見の際、
今回、主人がしょっちゅう見舞いに来てくれて。お互い忙しくて、なかなか話す暇がなかったんですけど、不幸中の幸いというか、十分に話しあえました
と、語っておられ、病気をきっかけに、すれ違いがちだった二人の心が、再び一つになったかと思われたのですが、
皮肉なことに、大原さんの病気が癒えたことで、大原さんが以前のように仕事に邁進するようになって、家庭に入ることができず、破局となったのでした。
ちなみに、渡瀬さんのお兄さんの渡哲也さんご夫婦は、奥さんが子育てをしながら、病気がちの夫を懸命にフォローされていたことから、
渡瀬さんのお母さんは、正反対の大原さんに対し、
仕事を休んで京都で一緒に暮らすべき
と、ますます不満を募らせていったようで、以前にも増して、嫁姑の関係が悪くなったことも、離婚の原因になったと言われています。
離婚後も・・・
ところで、後に、大原さんの弟・政光さんは、
姉は結婚前に渡瀬さんの子を身籠り、それが子宮外妊娠だったため、泣く泣く緊急手術をしました。そのとき、渡瀬さんから輸血を受けています。離婚後も姉は「渡瀬さんの血が今でも体に流れているから嬉しいの」と言っていました。
と、語っておられ、
デビュー当時からのマネージャーである、佐藤嘉余子さんも、大原さんが、離婚後も渡瀬さんと連絡を取り合い、
渡瀬さんの家に電話すると再婚した奥さんが出て、私が「大原です」と名乗ると、「ギャッ」と驚かれちゃうのよ、なんて笑って話すんです。テレビを見ていても、「カヨさん、渡瀬さんが出てるわよ、フフフ」って、いつも嬉しそうにしていました。
と、語っておられるほか、
大原さんは、晩年、車で外出される時、
渡瀬さんの家の前を通ってね
と、運転手に頼んでおられたそうなので、
大原さんが、離婚後も渡瀬さんへの想いが変わることがなかったにもかかわらず、仕事までは捨てられなかったことがわかります。
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