テレビドラマ 「浅見光彦シリーズ」でおなじみの俳優、榎木孝明(えのき たかあき)さん。実は、水彩画家としての顔も持つ、芸術家です。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

榎木さんは、1956年1月5日生まれ、
鹿児島県伊佐郡菱刈町(現・伊佐市)のご出身、

身長180センチ、

血液型はB型、

学歴は、
鹿児島県立大口高等学校
⇒武蔵野美術大学中退

ちなみに、榎木孝明は本名です。

実家は?父母は?

榎木さんは、鹿児島県伊佐市菱刈のご出身ですが、もともと、榎木家は、今から約200年前の寛政時代には、広大な土地を持ち、村の人に土地を貸すほどのお金持ちで、「小触(こぶれ)えのどん」 と呼ばれていたそうです。

※小触(こぶれ)・・・藩の命令を集落に伝える地域代表者
※えのどん・・・(榎木殿のなまり)

しかし、榎木さんのおじいさんが、山師に持ち掛けられた金山開発の話に乗り、儲けることができないまま、全財産を失ってしまったそうで、おじいさんは土地を売り、菱刈を出られると、生活が困窮を極めた榎木家は一家離散してしまい、榎木さんのお父さんは、腹違いのお兄さんにひきとられることに。

その後、お父さんは26歳で陸軍に招集され、台湾に配属されるのですが、結核にかかってしまい、現地の病院に入院。

すると、そこで出会った同郷の看護士、千知岩トミさんと親しくなり、お付き合いされるのですが、終戦後は、トミさんと別れ、帰国されたのでした。

しかし、帰国後、偶然にも、トミさんのお姉さんのクニさんと出会うと、ある日、クニさんからお父さんあてに手紙(ラブレター)が。

実は、当時、お父さんは、腹違いのお兄さんの家に居候していたのですが、あろうことか、その兄嫁が、宛先を確認せずに封を切って手紙を読み、そのうえ、その内容を親戚中に言いふらしてしまうのですが、

その内容が、妹のトミさんへの遠慮がありつつも、真剣にお父さんに恋したクニさんの情熱的な言葉が綴られており、文末には血判付きの署名までしてあったそうで、

お父さんは、そのクニさんの好意を嬉しく思い、昭和22年にクニさんとご結婚。後に、孝明さんが誕生したのでした。

元恋人のトミさんには少し気の毒なような気がしますが、トミさんも後に結婚され、幸せな家庭を築かれたとのことなので、結果オーライですね。

それにしても、なんという運命のいたずらでしょう。

そして、この運命のいたずらには、続きがありました。

実は、お父さんは、その後、鹿児島県伊佐市菱刈に土地を買い戻されているのですが、おじいさんが、掘った金鉱はというと・・・

なんと、1981年に、金鉱脈が発見されたというのです!おじいさんが掘った坑道の100m下に。

ちなみに、この菱刈鉱山は、年間国内産金量のほぼ全てを占めているそうで、2012年には新たな金鉱脈まで発見。たらればですが、おじいさんがあの時、金鉱を掘り当てていたら・・・

でも、もしそうなっていたら、おそらく、孝明さんはこの世に生まれてくることはなかったでしょう。運命とは本当にミステリアスですね~

古武術

ところで、榎木さんは、古武術をされており、教室まで開いておられます。

明治維新後の文明開化の中で、時代遅れとされ、衰退していった「古武術」は、実は、江戸時代くらいまでは、日本人が自然と身に着けていた、戦闘のための技術だったそうですが、

実際、榎木さんは、この古武道で、人を一瞬にしてひっくり返すことができるのだとか。

そして、この古武術を介護に生かせないだろうかと、「古武術介護」を考えられているのだそうです。

もともと、「古武術」は、殺陣の指導を受けているときに、教わったそうですが、

榎木さんは、幼い頃、お父さんから、あの新選組も恐れたといわれる、「薩摩示現流(さつまじげんりゅう)」という剣術を教わったこともあるそうで、幼いころからそういう動きが、自然に身についていたのでしょうね。

榎木孝明美術館には常時100点の絵画

また、榎木さんは、古武道だけではなく、絵の才能もお持ちで、「榎木孝明美術館」には、榎木さんが描かれた水彩画が、常時約100点も展示されているのだとか。

実は、幼いころから絵を描くのが好きで、高校生の頃には、東京に行って美術の勉強がしたいと夢を抱いていたそうですが、薩摩男児であるお父さんには理解されず、絵は「軟弱なもの」のやることと断じられていたのでした。

ある日、孝明さんが大事にしていた映画雑誌を破り捨てられていた時は、さすがに、孝明さんは、とっさにお父さんに殴り掛かったそうですが、

最終的には、東京の美術大学に進学することを許してくれたそうで、武蔵野美術大学へ進学されています。

鹿児島県では、男の子にすごく期待をかけるそうで、ご両親の孝明さんに対する期待も相当なものだったようですね。

こうして、榎木さんは、美術の道を歩んでいくはずだったのですが・・・

結果的には、アルバイトで経験したお芝居にのめり込むことになったのでした。

息子は?

そんな榎木さんは、40歳の時に、(元)女優の鈴木輝江さんと結婚されると、3人のお子さん(男の子2人と女の子1人)が誕生しています。

お子さんのことは、あまり明かしておられないので、詳しいことは分かりませんが、

長男は、青山学院大学、

次男は、成城学園高校でサッカー部、

長女は、和光学園(中学)で吹奏楽部、

と言われています。

ちなみに、インドが好きな榎木さんは、以前、

息子がそれぞれ10歳になったらインドに連れて行くと決めている

と、おっしゃっていたので、すでにインドには行かれたかもしれませんね。

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断食ではなく不食

最後に、榎木さんを、「断食」で多くの方が検索しているようです。

というのも、榎木さんは、30日間、水以外口にしない、「不食」の生活を続けたことがあったそうで、

絶食、断食ではない。食べなくても生きられることを自分の体で科学的に調べてみたかった。不思議ですが一度も空腹感はない。心地良い満腹感に満たされているような。苦痛を探してもないんです。

とおっしゃっているのです。

榎木さんいわく、インド旅行へ出かけ、飲まず食わずで帰ってくると、いつも体調が良いことから、あるとき、1か月間、実験を行うと、

集中力が増し、本を読むスピードが格段に速くなった。睡眠も深くなり、4時間眠ればすっきり。腰痛も消えた。理由はまだ分からない。

でも、眠っていた自浄作用が一斉に目覚めた感覚。運動時も胸式呼吸が腹式に。スタミナが増しました。

と、その効果を再現出来たのだそうですが、ちょっと、試す気にはなれませんね・・・

さて、いかがでしたでしょうか。

薩摩の男なら黙って耐えろ

というお父さんの言葉を忘れず、黙々と仕事をこなして活躍を遂げた榎木さん。

芸術家らしく、ちょっと不思議な感覚をお持ちですが、それもまた榎木さんの魅力ですね。

これからのご活躍も期待しています!!

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