1956年、ラジオドラマ「赤胴鈴之助」に子役として出演すると、高校卒業後の1963年には、「文学座」に入り、以降、数多くのテレビドラマ、映画、舞台に出演されている、藤田弓子(ふじた ゆみこ)さん。今回は、そんな藤田さんの生い立ちについてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
藤田さんは、1945年9月12日生まれ、
東京都目黒区自由が丘のご出身(東京・神田育ち)、
身長158センチ、
体重55キロ、
血液型はA型、
学歴は、
東京都立城南高等学校卒業、
趣味は、
俳句、絵、釣り、ゴルフ、お酒、旅、読書、
特技は、素潜り、
ちなみに、「藤田弓子(ふじた ゆみこ)」は本名です。
裕福な家庭に生まれるも3歳で父親が他界
藤田さんは、「不二サッシ」の創業者の跡取り息子だったお父さんのもと、東京都目黒区自由が丘にある裕福な家庭に誕生すると、一人っ子だったこともあり、お嬢様として大切に育てられたそうです。
しかし、藤田さんが3歳の時、お父さんは、戦後処理の激務がたたり、結核のため、33歳という若さで他界してしまいます。
(そのため、藤田さんは、お父さんのことは、声以外はほとんど覚えていないそうです)
すると、親戚の人たちは、まだ25歳だったお母さんに、
実家に帰っていいから、跡取り娘の弓子ちゃんは置いて行くように
と、言ったそうですが、
お母さんは、
弓子のそばにいます
と、言って、藤田さんのそばを離れず、しばらくの間、そのまま、藤田家で暮らしたそうです。
祖父母が他界し母親の実家の東京・神田に移住
その後、藤田さんが6歳の時、相次いで祖父母が亡くなったそうですが、今度は、再び親戚がやってきて、
お母さんに、
跡取りがいなくなるから、あなたと弓子ちゃんとでこの藤田さんの家を支えてください
と、言ったそうですが、
お母さんは、
いいえ、もうやるべきことはやりましたので(祖父母を看取ったこと)、私はこの子と一緒に家を出させてもらいます
と、言ったそうで、
自由が丘の邸宅を出て、お母さんが育った東京・神田に移り住まれたそうです。
母親に女手一つで育てられる
こうして、藤田さんとお母さんの二人暮らしが始まると、お母さんは、会社員として働き、女手一つで藤田さんを育ててくれたそうですが、
(今と違い、男女雇用機会均等法がない時代だったため、お給料は上がらず、女だからという理由で地位も上がらなかったそうです)
娘の藤田さんと一緒にご飯を食べることが何より好きだったお母さんは、残業は絶対にせず、さっさと家に帰って来てくれ、休みの日には、一緒に大好きな野球観戦をするほか、映画館をはしごして何本も映画を観るなどしてくれたそうで、
藤田さんは、二人暮らしでも寂しいと思ったことはなく、むしろ毎日がとても楽しかったそうです。
そして、お母さんは、どんなことでもしっかりと話し合ってくれたほか、人の言うことに左右されず、自分で判断することや、いろいろなものを見て良し悪しを判断できる人間になるように、藤田さんを育ててくれたのだそうです。
「藤田弓子のデビューは小5の時のラジオドラマの声優!」に続く