小学2年生の時、「T.M.Revolution」の「HIGH PRESSURE」に衝撃を受け、歌手に憧れるようになった、川谷絵音(かわたに えのん)さん。そんな川谷さんが、本格的に音楽活動を開始される前の、地元・長崎での生い立ちについて、調べてみました。
年齢は?出身は?身長は?血液型は?大学は?
川谷さんは、1988年12月3日生まれ、
長崎県松浦市のご出身(松浦市⇒佐世保市⇒長崎市)、
身長177センチ、
血液型はA型、
学歴は、
長崎県立長崎東中学校
⇒長崎県立長崎東高等学校
⇒東京農工大学工学部応用分子化学科卒業
趣味は、読書(大沢在昌さんの「新宿鮫」シリーズなどのハードボイルドがお好きだそうです)、
好きな言葉は、「一石二鳥」、
家族は、高校の世界史の教師のお父さん、キリスト教徒のお母さん、7歳年上のお兄さん、6歳年上のお姉さん(元アナウンサー・川谷伊代さん)がいらっしゃるそうです。
幼少期の川谷さん。
本名は?芸名の由来は?
ちなみに、川谷さんの本名は、川谷健太(かわたに けんた)ですが、
芸名の「絵音」は、川谷さんが大学院時代、音楽活動に専念しようと休学申請を出した際、とても怖かった教授に音楽活動をしていることを知られたくなかったため、考えだした名前だそうです。
(結局は、苗字がそのままだったせいか、教授にはバレてしまったそうですが。)
小学生の頃「T.M.Revolution」の「HIGH PRESSURE」に衝撃受ける
そんな川谷さんは、音楽が好きだったお兄さんとお姉さんの影響で、家族旅行の際には、車の中でずっとサザンオールスターズの「海のOh, Yeah!!」が流れているなど、物心ついた時から、自然とポップスを聴いていたそうで、
やがて、「TSUTAYA」に通うようになり、小学2年生の時には、お父さんに「TSUTAYA」で「その週のオリコンチャートの1位から10位までの曲」をレンタルしてもらい、「T.M.Revolution」や「シャ乱Q」など、売れている曲はくまなく聴くようになります。
小学生の頃の川谷さん。
そして、そんなある日のこと、「T.M.Revolution」が「HIGH PRESSURE」を歌っているのをテレビで見て衝撃を受け、漠然とではあるものの、
こういうふうになりたいな
歌を歌ってテレビ出るのとかいいな
と、夢見るようになったのですが・・・
スレた中学時代
小学校3年生の時に初恋を経験してから、人の目が気になるようになり、やがて、それが猛烈な人見知りとなって、中学の時には、完全に目立たない地味なグループに入ると、
そのせいで、腰パンのヤンキーたちに見下されるようになったそうで(田舎だったため、ヤンキーがモテたそうです)、
勉強もせずにゲーセン行ってるようなあいつらに未来なんかない
俺はこいつらより絶対すごいはずだ
と自分をなぐさめつつも、
ここ(学校)の人間関係とか、ほんとどうでもいいなあ
と、スレていったのでした。
(お父さんの仕事の都合で転校が決まった時には、思わず、ガッツポーズしたそうです。)
高校ではバンド結成
そして、中学卒業後、成績優秀だった川谷さんは、偏差値の高い高校に入学されるのですが、ある日のこと、中学時代の友人2人から、
ギター、ベースを始めた
と、連絡を受けたそうで、
当時、川谷さんは楽器ができなかったのですが、この2人とライブハウスに出入りするようになり、それまで聴いてこなかったロックバンドや洋楽も聴くようになると、(ほとんど話したことがなかった)ドラムができる高校の同級生を誘ってバンドを結成。
川谷さんは、歌には自信があったため、ボーカルを担当されたのですが、携帯電話のボイスメモに歌を吹き込むなどして作曲もされると、自分には才能があると確信されたそうで、
川谷さんは、初めて作った「ビリーブ」という曲について、
最初に作ったのは「ビリーブ」っていう曲で、ヤバいです。今でも思い出せるんですけど、相当ハンパない曲で、サビが《アイ・ビリーブ》っていう、かなりキツいやつです。
でも自分ではイケてると思ってて、当時自分が聴いてた音楽は「SUM41」とかだから、それとはかけ離れてるんですけど。
と、語っておられました。
バンドをクビになった悔しさから東京目指す
しかし、長崎市のあるライブハウスが主催するイベントに出演された際、バンド活動をしていることが高校のクラスメイトにバレてしまい、(目立ちたくなかったのか、川谷さんは周囲にバンド活動をしていることを伏せておられたようです)その翌日、周囲に言いふらされると、
サッカー部からは、
バンドしてんの?(笑)
と、バカにされたうえ、
(川谷さんは、高校に入った当初、サッカー部に入られたのですが、「肺病」を患って退部されていたそうです)
バンドのメンバーにも、
お前とはやれねえよ
と、バンドをクビにされ、
訳が分からない川谷さんは、
えっ? なんで
と、言ったそうですが、それからメンバーとは連絡が取れなくなったそうで、
このことがあまりにも悔しく、
東京に行って音楽をやろう
と、思いたつと、親に迷惑をかけないように国立大学に決め、国立の東京の理系という条件で探し、「東京農工大学」を見つけると、
悔しさをバネに、
俺をクビにしたあいつらは見る目がない
俺は実はすごいんだ
曲を作ったのは俺だ
と、自分自身に言い聞かせ、東京に行くことだけを目指して受験勉強にはげまれると、見事合格。晴れて川谷さんは、「東京農工大学」に入られたのでした。
「川谷絵音の大学時代は?音楽辞めてお笑い芸人を目指していた?」に続く
高校生の頃の川谷さんとお父さん。