映画「陰陽師」「公文」のCMでお馴染みの、狂言師で俳優の、野村萬斎(のむら まんさい)さんですが、実は、高校生の時には、父親への反抗心などから、ロックバンドを結成し、エレキギターで生きていこうと決めておられたのだとか。今回は、そんな野村さんの、生い立ちから、狂言に目覚めるまでの経緯などについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?学歴は?本名は?

野村さんは、1966年4月5日生まれ、
東京都のご出身、

身長174センチ、

血液型はB型、

学歴は、
筑波大学附属小学校
⇒筑波大学附属中学校・高等学校
⇒東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻卒業

本名は、「野村 武司(のむら たけし)」

お父さんは、狂言師で人間国宝の「二世 野村 万作」さん、
お母さんは、詩人の「阪本 若葉子」さんです。

ちなみに、趣味は特にないようで、2015年、テレビ番組「中山秀征の語り合いたい人」に出演された際、MCの中山さんに趣味を聞かれると、

それを聞かれると、困るんですよね。普通のオジサンと一緒ですよ(笑)。家に帰って、ビールを飲んで、スポーツ番組を見て……って生活ですしね。深夜番組は好きですよ!「今はこういうのがはやってるんだ」とすぐに理解できる。

とおっしゃっています。

幼少期は厳しい稽古に耐える日々

野村さんは、狂言師の家系に、姉2人、妹1人の4人兄弟の3番目として誕生したことから、幼い頃は、お姉さんと一緒にリカちゃん人形で遊びながらも、絶えず、家を継ぐ重圧を感じながら過ごされたそうです。

実際、野村さんは、3歳で初舞台に立つことが決められており、そのため、幼い頃から、自由に友達と遊ぶことが許されず、毎日、稽古に明け暮れていたのですが、

できるようになるまで稽古は終わらず、嫌になっても、とにかく必死になってやらないと稽古が終わらないため、泣きたくても、泣いているどころではないほど厳しい稽古をこなしたのだそうです。

そして、1969年、3歳の時、「靱猿」の小ザル役で初舞台を踏むと、4歳の時には、舞台「いろは」で初めてセリフのある役を演じられているのですが、

小学生になっても、舞台があると、運動会の日であっても早退しなければならないなど、相変わらず、狂言中心で、稽古漬けの毎日を送られたのだそうです。

高校ではロックバンドを結成

そんな野村さんは、中学生になると、型にはめられる狂言を窮屈に感じたことや、お父さんへの反抗心から、バスケットボールやバンド活動をするようになったそうですが、変声期に入ると、声が出なくなり、一層、狂言に身が入らなくなったそうです。

(他とは違うと思われたくなかったため、家が狂言師の一族であることは、周りには伏せていたそうです。)

そして、高校に進学すると、ロックバンドを結成してギターとヴォーカルをされ(LOUDNESS、ヴァン・ヘイレン、マイケル・シェンカー、AC/DCなど)、

エレキギターで生きていくんだ!

と、思うようになったそうで、

後に、野村さんは、

狂言をやっているより、ロックをやっていたほうがモテるじゃないですか(笑)。僕はそこまで意識していなかったんですけど、妹は「モテたいこと、片っ端からやってたよね」と分析していましたね。

サーフィンがはやったときには、すぐ手をつけましたしね。中学のときはビートルズ、高校のときはヘビーメタルをやってましたよ。

と、明かされています。

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マイケル・ジャクソンのダンスから狂言に目覚める

そんな野村さんは、高校3年生の時には、マイケル・ジャクソンさんに憧れるようになっていたそうですが、

ある日、狂言で、「三番叟(さんばそう)」という舞踊曲を舞った際、

これはマイケルに対抗できる唯一の僕らのダンスではないか

と、感じ、初めて狂言をかっこいいと思うようになったそうで、

後に、野村さんは、

マイケル・ジャクソンのような世界一のエンターティナーを見たときに「俺の指の回らないギターではかなわない」と身の丈に気付くんです。

僕が彼らに対抗できることは、やっぱり狂言なんですよね、僕が表現者として彼らの猿まねをするよりも、狂言こそが僕の武器だって気付いたんですね。

と、おっしゃっていました。

「野村萬斎は陰陽師の振付けを羽生結弦にアドバイスしていた!」

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